港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:「妹みたいな存在だから」女の長年の恋心に気付いた男が放った一言。その瞬間、秘密が明かされた夜
― じゃあ、2人が抱き合ってたのは…?
こんなに慌てたミチを初めて見た。…いや、メグ――元カノが登場したときも同じことを思った気がするけど、今回の方が酷い気がする。しまった、と顔に書いてあるし、なのに眼光鋭くともみから目を外さないから、ともみは沈黙に耐えられず聞いた。
「じゃああの時、ルビーがミチさんに好きだと告白して…」
「…」
「ミチさんは、断わった…と」
「……」
沈黙の肯定。
「……なのに、抱き合って、た…?」
「それは……申し訳ない」
「なんで、私に謝るんですか?」
「お前にとってもルビーは、妹みたいなものだろ」
妹…?そんな感情を他人に抱いたことはないし、女友達もほぼ皆無の人生なのだから、よくわからないけれど、ミチからはそう見えているのだろうかと、ムズムズと恥ずかしくなってきた、この気持ちの正体が分からない。
「お前も聞いてるのかと思ったから。でも知らなかったのならアイツには何も言わないでもらえると助かる」
「……全く気づかなかった」
自分はともかく人の気持ちに誰よりも聡いミチに、気づかせないとはルビーが隠すのが上手いのか。でもいつから?誰よりも自分の気持ちに正直に生きているように見えるあの笑顔の下に、ルビーは母への思いも、ミチへの恋も、ただ秘めていたなんて。
― なんかムカついてきた。
「…まだ、メグさんのことを?」
紛争地域で行方不明になった少女を探しに出かけたジャーナリスト、ミチの元恋人は、未だ帰国していない。
「アイツとももう、本当にないよ。まあ、たまに安否確認はしてるけど」
確かに、旅立つ前のメグの最後の告白を、ミチは優しく断っていたけれど。
「妹みたいだから、って断る人いるんですね」
「は?」
「好きな人に、妹、って断られるの、キツすぎます」
「なんで?」
「なんで…って…」
ミチの視線にからめとられて言葉に詰まる。時々、ミチが怖くなることがある。鋭くとも冷たくはないはずのその瞳に、試されているような気がして。
「ルビーには多分伝わってる。オレたちは――同じだから。たぶん誰よりもお互いの気持ちが分かる」
「同じ?」
「特別枠なんだよ、ずっと。“家族”ってものを知らないオレらが、“家族”と思える誰かを見つけたら――それが、どういうことなのか、ってことをさ」
うまく説明できねぇけど、と珍しく困った顔になったミチは、自分も飲まずにはいられなくなったのか、マッカランを小さなビールグラスに注いでいく。軽く捲られた袖口から覗く腕の逞しさに反して、その所作は指先まで整い、静かで柔らかい。
「キレイ」
思わずそうこぼしたともみに、グラスにソーダを足そうとしていたミチの手が止まる。
「あ、いや、ミチさんがお酒を作る動きが、改めて美しいなって。光江さんに叩き込まれたんでしたっけ?」
「…ああ、逃げ出してやろうかと思う程にな。でもまあ、いつのまにか癖になるもんだ。ケンカ三昧で傷だらけのこの体が、まさか美しいなんて言われる日がくるとは、オレが一番驚いてるよ」
「所作が粗いバーテンダーの酒はまずい」とは、西麻布の女帝こと光江の口癖のようなもので、実はともみもTOUGH COOKIESを任されることになった時に、ミチから猛特訓を受けた。
酒作りなど初めてな上に、“美しく素早く、美味しく作れ”という難易度に、ともみは焦ったが、芸能界での経験から型を覚える要領の良さがあったことが功を奏し、「まあハリボテだけど、なんとか許されるだろ」と、光江に最低ラインだと念押されたとはいえ合格点をもらい、なんとかTOUGH COOKIESのオープンに間に合わせることができたのだが。
「なんでこんなに、ミチさんのお酒は美味しいんだろ」
ともみはマッカランソーダを、また口に含んで思った。ミチが作ってくれる酒のレシピは、配合から全てともみも同じレシピを持っているはずなのに。なぜか違うのだ。
「経験値の差、だけだったらいつか追いつけるのかな」
「追いつく?」
「いや、いつか私も、一生懸命練習すれば、ミチさんみたいなお酒が作れる日がくるのかなって」
「なるよ。でも、別に酒をうまく作ることだけが、店の魅力じゃない。ともみが目指すものが何かって話だ」
「私が、目指している、もの…」
「別に店のことだけじゃなくてさ。そろそろ光江さんとは…」
そこで、すみませ~ん、と呼ばれたミチがテーブル席の方へ向かう。そろそろ光江さんとは、で途切れたその先も、でもその前に、ルビーのことが気になる…とミチの戻りを待っている間に、携帯が鳴った。
『勇太が大泣きしててまだ帰れない。ごめん!ともみは今どこ?』
失恋した親友に呼び出された大輝からだった。ともみはずっと体育会系の柔道部だったという勇太が、大きな体で大輝に縋り嘆く姿を想像しながら、『Sneetにいるから大丈夫だよ』と返信すると、すぐにまた返ってきた。
『店出る時、一応連絡してくれる?迎えに行けそうだったら行きたい。少しでも早く会いたいから』
『少しでも早く会いたいから』
文字だけで胸がギュンとなる。大輝の愛情表現には迷いがなく、付き合って4ヶ月ほど経つけれど、日に日に甘くなっている気もする。ともみが『ありがと、私も会いたい』と打ち返した時、「大輝か?」と、戻ってきたミチに慌てた。
「な、なんで…?」
「にやけてるから。あと顔も赤い」
ミチは意地悪に口角を上げ、カウンターに入った。ともみは自分の頬を触る。
「うまくいってるようで、なにより」
氷を削り始めたミチに、ともみは照れをごまかし話題を変える。
「ルビーが泣いてたのは、あれは告白を断られたせい、ですか?」
数時間前、ルビーはミチの胸で泣いていた。まさか恋の告白だとは思わなかった自分の想像力の欠如が情けない気持ちはあるが、その時のともみは、ルビーは自分の母親のことをミチに相談し、涙したのだと疑わなかった。
「さっき、ともみが言ってた、帰らせてしまったことを後悔してるんじゃないか、って話か」
ともみが頷くと、ミチはほんの少しためらいを見せてから、「まあ、ともみにならいいだろ」と続けた。
「なんであんな言い方しかできなかったんだろう、とは言ってたよ。別れ方は後悔してるようにも見えた。でもそれが当然だろう。8歳で親に捨てられたんだ。怒りを爆発させる権利はある。たとえあの人に――どんな事情があったとしても、な」
「ミチさんは、その、明美さんの事情を、ルビーに話そうと思ったことはないですか?」
ルビーが帰ってしまったあと、明美がともみに話してくれた過去。ルビーが年齢をごまかし六本木で働いていた店に向かった明美を助けたのは、ミチであり光江だった。つまりミチも明美がルビーと離れた本当の事情を知っている。けれどルビーは未だ、母が自分を捨てた本当の理由を知らない。
「…少なくとも、今までは一度もなかったな。オレにはルビーの気持ちが分かりすぎる。どんな事情だって、大人の勝手な後付けにしか思えないもんだ。待ち続けた子どもにとってはさ」
ミチも…親に捨てられたのだろうか。ミチも15歳で光江に拾われたのだということ以外、ミチについて何も知らないということが、なぜかとても寂しいとともみは思った。
「でも、お前は違うだろ」
ミチの声が和らいだ気がした。
「ともみはオレたちとは違う。だから母親の方に同情することもできるんじゃないか?オレにできないことが、ともみにはできる」
守秘義務の契約書で守られているからではない。例えミチであってもともみは、明美の余命についても漏らすつもりはなかったけれど。
「…ミチさんは、やっぱり何かを知ってるんですか?」
「何も。知りたくもないしな。ただ想像はつく、って話だ。突然会いたいと言ってきた母親に、多分また…どうしようもない事情とやらができたんだろうってことくらいは」
どこまでも見透かしていそうなその瞳が、また、ともみを絡めとる。
「ルビーはお前のことが大好きだからさ」
「…え?」
ミチの口からまさか、大好きという言葉が発せられるとは。その衝撃に固まったともみに、ミチは続けた。
「ともみの言うことなら…ルビーは最終的には受け入れる。最初は反発したとしてもな。だから、アイツがもう一度、何も知らないままに捨てられる――ってことだけは、防いでやって欲しい」
何も知らないままに捨てられる。ともみの胸の中に住み着いてしまった8歳のルビーが、グッと唇を噛んで涙をこらえている。頼むよ、とぶっきらぼうなミチの呟きに涙腺が緩みそうになり、ともみは慌ててテンションを上げた。
「ミチさんって、ほんといい男ですよね」
「あ?」
「モテるのわかります。私のタイプじゃないけど」
バカにしてんだろ、と睨んだ口元が緩み、ともみも笑いながら続けた。
「そんな爆モテのミチさんに、忠告しときます」
「なんだよ」
「ルビーはたぶん、諦めませんよ」
「…」
沈黙の小さなため息は、すでにルビーにそう宣言されたからだろう。それでこそルビーだ。一度や二度フラれたくらいで、諦めるとは思えない。ともみは、ミチの元カノ、メグに罪悪感を覚えながらも続けた。
「私は、ルビーの恋が上手くいってほしいです」
「……妙なお節介はするなよ」
「だって特別枠の女の子なんですよね?」
「だから、それは家族として…」
「わかんないですよ。私もずーっと、大輝さんにはともみちゃんには本気になれないって言われてきましたけど。大人の男女は何があるか分からないからなぁ~」
「……何ドヤってんだよ」
― ヤバ。調子に乗り過ぎた。
いつもの強面が困ることが珍しくて、ついからかい過ぎたと後悔したその一瞬…カウンターに置かれていたともみの手を、ミチの大きな手が包み込んだ。
そして、見せつけるようにゆっくりと持ち上げると、ミチが目を細めた。
― ミチさん、こんな顔もするの…!?
大輝とは種の違う、危険だと知りながらも思わず誘いこまれてしまう、アンダーグラウンドの影をまとった笑み。
「ミ、ミチさん…?」
「大輝とはずっと大人の関係だったんだろ?」
「…え?」
そしてともみの指先を弄ぶようにして、ミチの薄い唇が妖艶に歪む。
「オレもそういうのなら得意だけど。大輝とどっちがいいか…試してみるか?」
▶前回:「妹みたいな存在だから」女の長年の恋心に気付いた男が放った一言。その瞬間、秘密が明かされた夜
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
▶NEXT:4月21日 火曜更新予定

