
アウシュビッツの影とアーティチョークの光
こんにちは。アンヌです。
4月は、なにかと心が揺れる季節。引っ越しや入学、社内での異動や昇進など、新しい環境や顔ぶれに、戸惑うことがあるとしても無理はありません。
そんな折、私は思い切って、ポーランドを初めて訪れました。南部の古都、クラクフの美しい街並みや教会をゆっくり味わったあと、そこから西へおよそ70キロ。負の遺産として知られる「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」を見学しました。
周知のように、ここは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ政権下で設置された強制絶滅収容所です。主にユダヤ人を対象に、強制労働や人体実験、そして大量虐殺が行われました。収容者の増加に伴い、やがてビルケナウに第二収容所が設けられます。その規模は想像をはるかに超え、実際にその地に立つと、言葉を失うとはまさにこのことだと感じました。
では、なぜこのような非人道的な出来事が起きてしまったのか。それは、紀元前からのユダヤ人差別の歴史、宗教や文化の違いから積み重ねられてきた偏見に加え、20世紀初頭の社会不安が複雑に重なり合ったことが背景にあるといわれています。やがて差別は制度化され、取り返しのつかない悲劇へとつながっていきました。
隣人へのほんの小さな不満が、偏見を生み、それが大きな差別の渦へと形を変えていく……。こうした流れは、決して遠い国の過去の話ではないのだと、胸に迫るものがありました。気を緩めれば、私たちもまた、知らぬ間にその一端を担ってしまうかもしれません。
どこか重たい気持ちを抱えたまま、帰国前にパリの実家へ立ち寄った私。久しぶりに母の手料理の前に座ると、最初に出てきたのは、大きなアーティチョークです。握りこぶしよりも大きなその姿に、思わず懐かしさが込み上げてきました。
アザミのつぼみをいただく、少し不思議な食べものですが、フランスの食卓ではおなじみの存在です。中学生の頃、(パリの学校の)給食で初めて出会ったときは、食べ方がわからず戸惑ったものです。そんな私にクラスメイトが隣から「初めて?」と微笑み、優しく教えてくれました。重なり合う萼(がく)を一枚ずつはがし、根元のやわらかい部分を味わうこと。そうしていくうちに現れる芯の部分が、いちばんのご馳走だということも。
あのときのさりげない親切、文化の違いにそっと手を差し伸べてくれた温かさを、今でもよく覚えています。
隣り合う一枚一枚を大切に味わっていくうちに、やがてたどり着く豊かな芯。そんなアーティチョークの食べ方が、アウシュビッツ帰りの私にはなぜか「平和」のかたちのように感じられました。隣人への小さな思いやりを重ねていくことこそが、やがて大きな寛容さという実りとなって、私たちの穏やかな日々を約束してくれるのではないでしょうか。
もうすぐアーティチョークが旬を迎える季節。そんな「小さな優しさ」に光を当てた、心揺さぶる2冊をご紹介したいと思います。
*次ページではアンヌさんのおすすめ2冊をご紹介します

『ひとりひとりのやさしさ』
作/ジャクリーン・ウッドソン
絵/E.B.ルイス
訳/さくまゆみこ
(1,650円/BL出版)
ある日、クローイの学校にマヤという女の子が転入してきます。遊びたがっている様子を見せますが、クローイは相手にしたくありません。ほかのみんなも同じ気持ちで、マヤの古びた服や変わったお弁当をあざ笑っています。無視は続き、やがてマヤは学校に来なくなり……。そして先生から聞く「さざなみ」に例えた優しさがもたらすものとは……。思春期の多感な心を描いた物語と写実的な絵のタッチ。悲しくも眩しい、心に響く作品をぜひ手にとって!

『花さき山』
作/斎藤隆介 絵/滝平二郎
(1,430円/岩崎書店)
山菜を取りに行った10歳のあや。山奥で道に迷ってしまうと、見たこともない美しい花が一面に咲く場所へ辿り着きます。そこで誰もが恐れる山姥(やまんば)がそっと語り始めます。この花たちがどうして咲いたかを。あやが咲かせた花は? 辛さをこらえ、優しさを差し出すとき、世の中は少しずつ美しくなる。その想いを映すような静かな物語と、切り絵の第一人者が彩る世界観が胸に迫ります。55年以上も読み継がれてきた名作は今もなお、色あせることはありません。
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