食物を口に運び、噛み、飲み込む――この当たり前の行為を「嚥下(えんげ)」と呼びます。ところが、高齢化や病気、障害などの影響で嚥下が難しくなる「嚥下障害」により、食事に困難を抱える人は少なくありません。嚥下障害の人に必要な食事形態「嚥下食」は医療や介護の現場では広く知られている一方で、社会全体の認知度はまだ十分とはいえません。
そんな現状を少しでも変えようと立ち上がったのが、医療法人社団登豊会 近石病院(外部リンク)の理事で歯科医師の近石壮登(ちかいし・まさと)さんです。近石さんは2022年に、「食べる」を通じて、医療と地域をつなぐ場として、コミュニティカフェ「カムカムスワロー(外部リンク)」を設立。一般食の他に、嚥下機能のレベルに合わせて、飲み込みやすいように調整した食事「嚥下食」を提供し、誰もが食を楽しめる場を提供しています。
今回、近石さんに「嚥下障害とは何か」をはじめ、カムカムスワローで取り組む嚥下食の普及・啓発への思いや、誰もが食を楽しめる社会に向けて私たち一人一人ができることについてお話を伺いました。

食事の制限、外食、旅行……。嚥下障害の人が抱える困難
――はじめに、「嚥下障害」とはどのような障害なのでしょうか。
近石さん(以下、敬称略):嚥下障害とは、食べ物や飲み物を口から喉、そして胃へと送り込む一連の流れがうまくいかなくなる状態をいいます。例えば、噛む力が弱まって食べ物を十分に細かくできなくなる他、舌や頬の動きが衰えて食べ物を口の奥へ送りにくくなることがあります。また、喉の筋肉や飲み込みの反射が弱まると、食べ物が途中で止まってしまったり、気管に入ってむせやすくなったりします。
原因は加齢による筋力の低下に加え、脳梗塞やパーキンソン病など神経の病気、舌や喉のがん、あるいはその治療の影響など多岐にわたります。
――「嚥下障害」がある人は、どのような困難を抱えているのでしょうか。
近石:嚥下障害があると、「食事に時間がかかる」「水分でむせる」「薬が喉につかえる」といった日常的な困り事が増えるだけでなく、パンのようにパサパサした食品や食物繊維の多い野菜、すじの多い肉などは特に噛みにくく・飲み込みにくく、誤嚥(ごえん)のリスクが高まります。
誤嚥とは、飲み込んだ食べ物や唾液が食道ではなく気道(気管)に入ってしまうことで、これが繰り返されると誤嚥性肺炎を引き起こし、健康や生活の質(QOL)に大きな影響を及ぼすため、注意が必要なんです。

――嚥下障害があると外食時や旅行時にも困難があると聞いたことがあります。
近石:そうですね。例えば、嚥下障害がある人は、誤嚥を防ぐため、食物が喉に落ちるスピードを調整しないといけません。そのため、とろみ剤を使ったり、食物を食べやすい形態に調整したりして食事を取るのですが、現状、外出先で嚥下食を提供できる飲食店はほぼありません。
それゆえ、外出の際には、もしもの時に備えて栄養剤やレトルトの嚥下食を持参する方も少なくありません。また、嚥下食を周りの人に見られたくないと感じ、外食自体を避けてしまう方もいます。

――嚥下食は一般的な食事より、手間やコストがかかりそうな気がします。
近石:はい。ミキサーを使用したり、再形成したりと、どうしても調理に時間や労力がかかり負担が大きくなります。また、レトルトの嚥下食があるのですが、一般的なレトルト食品に比べて高価ですし、味のバリエーションも限られているため、短いサイクルで同じ種類のものを食べ続けなければいけないという困難もあると思います。
――食が楽しめなくなると、ストレスになりそうですね。こうした困難を抱えている方が、少しでも食を楽しめるように設立されたのがカムカムスワローなのですね。
近石:はい。きっかけは、私が訪問歯科診療に携わっていた時のことです。脳梗塞の後遺症がある男性患者さんに「食べ物は何がお好きですか?」とお尋ねしたところ、「お寿司が好き。マグロといなり寿司を食べたい」とおっしゃったんです。しかし、その方が普段召し上がっているのはペースト食でした。
確かに医学的には、安全なペースト食が正しい選択なのかもしれませんが、患者さんの食べる楽しみにまで十分に関わることができているのだろうかと、改めて考えさせられました。
そうした現状を目の当たりにして、「嚥下障害がある方でも外食を楽しめる社会をつくりたい、食べることを通じて地域がつながるような場をつくりたい」と強く感じ、カフェを立ち上げることを決意しました。

誰でも通える、医療と地域をつなぐコミュニティカフェ
――カムカムスワローでは、どのような食事が提供されるのでしょうか。
近石:誰でも通えるコミュニティカフェをコンセプトとしているので、嚥下食だけではなく一般食も提供しています。店内には調理スタッフの他に管理栄養士もおりまして、栄養面にも配慮したメニューとなっています。

――カフェを利用する方からは、どのような声が届いていますか。
近石:お母様がご高齢になり、普通の食事が取れず外食を諦めていたご家族がいらっしゃいました。その方は「母と一緒に外食することを諦めていたけれど、こういう場所があると一緒に来られるのでうれしい」と、久しぶりの親子水入らずのお食事をとても楽しんでいらっしゃいました。
――嚥下食の提供を通して、ご家族が楽しめる場が増えたのですね。
近石:そうですね。最近では、特別支援学校が修学旅行でカムカムスワローを利用し、食事を楽しんでいただきました。「周りの目を気にしてしまい、先生も生徒もゆっくり食事を楽しめなかったので、とても助かりました」といった声もいただいています。すでに来年度の修学旅行時の来店予約もいただいています。
現状、カフェを利用している方のほとんどは嚥下障害ではない方ですが、「カフェに来て初めて嚥下食について知ることができた」とおっしゃってくださる方が多いですね。
――こちらのカフェでは、嚥下食を知ってもらうためにイベントやワークショップを開催していると伺っています。
近石:これまで、嚥下食を知ってもらうための実演会、健康増進教室などのイベントや、2カ月に1回、お茶を飲みながら、がんに関する悩みや不安を語り合う「がんカフェ」を開催してきました。これからも口腔、栄養、運動の3分野を軸に、「おいしいものを楽しく食べる」をゴールにしたイベントやワークショップを開催していきたいと考えています。
