200年の歴史を振り返る
メゾン・フェヴレの200年の歴史は、1825年、ピエール・フェヴレがニュイ・サン・ジョルジュにワイン商を設立したことから始まる。フェヴレ家のDNAには、ワイン造りと並行して他の事業も手掛ける起業家精神が深く刻まれており、代々の当主は靴職人、医者、弁護士、技術者といった多様な顔を持ちながら、ドメーヌの礎を築き上げていった。
歴史的な転換点となったのは1874年、2代目のジョゼフ・フェヴレの時代である。彼はコルトンの丘に3ヘクタールを超える畑を購入し、その中には、後にドメーヌの象徴となるモノポール「クロ・デ・コルトン」が含まれていた。この買収は、フェヴレがネゴシアンから偉大なドメーヌへと舵を切る、未来への投資であった。
20世紀に入ると、4代目のジョルジュ・フェヴレは、1934年に設立された高名な「利き酒騎士団」の創設者の一人として歴史に名を刻んだ。これは、フェヴレ家がブルゴーニュワイン文化の保護と発展に深く貢献してきたことの証である。
1980年代から2000年代初頭にかけて、6代目のフランソワ・フェヴレが率いた時代は、多くのワイン愛好家にとって「フェヴレのスタイル」を定義づけるものとなった。この時期のフェヴレのワインは、その濃密さと驚異的な長期熟成能力で名を馳せた。
新世代による静かなる革命

21世紀に入り、メゾン・フェヴレは大きな変革の時代を迎える。2005年、エルワン・フェヴレ氏は父フランソワ氏がドメーヌを継いだのと同じ25歳という若さで、その重責を引き継いだ。当初は天体物理学者を夢見たという科学的思考の持ち主である彼は、ブルゴーニュの伝統に敬意を払いつつも、客観的かつ合理的な視点でドメーヌの未来を見据えていた。そして14年、ラグジュアリーやコスメ業界でキャリアを積んだ妹のエヴが合流。ドメーヌ史上初めて経営に携わる女性となった彼女は、その洗練された感性で、フェヴレの新たな物語を世界に発信する役割を担っている。
エルワン氏が目指したのは、父の時代のワインとは対極にあるスタイルだった。
「より柔らかく、ソフトなワインに舵を切りたい」という彼のビジョンは、若いうちから楽しめ、かつ長期熟成のポテンシャルも失わない、フィネスに満ちたワインであった。彼は自らのアプローチを「肉をグリルするのではなく、スロークッキングするようなものだ」と表現する。
このスタイルの変革は、醸造所の設備から細かな技術に至るまで、包括的かつ計画的に実行された。18年に完了したニュイ・サン・ジョルジュの醸造所の大規模な改装が、その中核をなす。グラン・クリュとプルミエ・クリュの赤ワインは、温度管理が可能な円錐台形の木製発酵槽で醸造されるようになった。また、樽から樽へワインを移す澱引きの際には、不活性ガスを用いてワインを優しく押し出す最新システムを導入した。


