SNSに一枚の画像が拡散された。
誰もが小学校の教科書で親しんだ絵本『スイミー』(レオ・レオニ作、谷川俊太郎訳)を模倣したとされるその画像は、小さな魚が集まって大きな魚を形成する構図を持ち、「目」にあたる部分には参政党の神谷宗幣党首の顔写真が配置されていた。
投稿はすでに削除されているが、この一件は著作権をめぐる本質的な問いを社会に投げかけている。パロディは許されるのか。政治目的での利用はどう評価されるのか。そして「削除すれば解決」という認識は正しいのか…。
版元は厳重に抗議
8日、『スイミー』の版元である株式会社好学社は、公式サイトおよびSNSで抗議声明を発表した。
声明は、同作の絵および文章を模倣し、「特定の政党の宣伝と思われる目的でSNSに投稿等している事例を確認した」と事実関係を説明するものだった。
さらに、「版元である当社及び著作権者・翻訳権者は、いずれもこれらの利用について一切許諾を行っておりません」と明言し、「かかる模倣行為は著者及び翻訳者の権利を侵害する不正利用」であるとして、版元として厳重に抗議するとともに、厳正に対処する姿勢を示した。
「一切関与していない」政党も同日に否定声明
同日、参政党も公式の「お知らせ」を発表する。
内容は、同党は当該画像の制作・投稿・拡散等を「依頼、指示、許諾した事実はありません」というものだ。さらに、「当該画像には、弊党ロゴや党代表の肖像等が無断で使用されており、弊党としても極めて遺憾に受け止めております」と述べ、自らも被害者の立場であることを主張した。
当該投稿がXに掲載された経緯、削除に至った経緯についても「一切関知していない」とし、「事前に内容を認識していた事実もなく、許諾を行った事実もない」と強調した。
一方で、あたかも党が支持者に当該行為を促したかのような情報がSNS上で拡散されていることを「極めて悪質な印象操作」と指摘し、名誉毀損にあたるとして法的措置も含めた対応を検討する構えを示している。
「パロディだから許される」は通用しない
“被害者”が2者存在し、加害者が宙に浮いた形になった著作権騒動。一方はパクられた、もう一方は勝手に名前を使ってパクりの濡れ衣を着せられた――どちらの言い分が正しいのかはともかく、法的にはどう整理されるのか。
著作権問題に詳しい前原一輝弁護士によれば、日本の著作権法には「パロディ」や「オマージュ」が適法となる規定は存在しない。著作権侵害が成立するかどうかは、(1)類似性と(2)依拠性という2つの要件で判断されるという。
今回のケースでは、画像に「スイミー」という文言が付されていた以上、スイミーに基づいて制作されたことは明らかであり、「依拠性」は満たされるとみられる。類似性についても、小さな魚が集まって一つの魚を描く構図、目玉の描き方、色味、魚の形状といった共通点が認められるとすれば、「創作的な表現が共通している」と判断される可能性が高い。
一見すると批評や風刺のために既存作品を引用することは許されるように思える。しかし、「引用」として認められるためには、引用元と自らの著作物が明確に区別される「明瞭区分性」が必要だ。今回のように元の絵を変形させているだけでは、この要件を満さないと前原弁護士は指摘する。
逆にいえば、「面白いから」「政治的メッセージがあるから」という理由は、著作権侵害の判断にまったく影響しない。
「過去に、パロディだから適法であると主張した裁判がありました。パロディ・モンタージュ事件(最判昭和55年(1980年)3月28日)です。これが、パロディ作品に関する引用の要件について判断をした裁判例になっており、この時は、引用が成立するには、主従関係と明瞭区分性が必要であると判断し、その結果、主従関係を否定してパロディを違法としました。
結局、パロディを適法化する規定がなく、引用もほぼ認められない以上、パロディ作品が違法かどうかは、『類似性』が認められるかどうかが分水嶺になっていると言えます。また、『類似性』が認められないパロディというものはほぼないと考えられますので、ほとんどのパロディは著作権を侵害することになります」(前原弁護士)
AI生成やコラージュでも「逃げ道」はない
「自分で描き直した」「AIで生成した」「コラージュした」といった主張も、著作権侵害を免れる根拠にならない。
前原弁護士によれば、生成AIを用いた場合でも、類似性と依拠性の判断基準は変わらない。スイミーという文言が付されている以上、依拠性は認められてしまう。また、生成AIの学習データにスイミーが含まれている場合、利用者が意図していなくとも依拠性が認定されうるという文化庁の見解も存在する。
コラージュに至っては、素材を無断で複製する行為が複製権侵害となるうえ、著作物を切り取る行為が「著作者の意に反する改変」として同一性保持権の侵害にも問われうる。
削除しても、責任は消えない
「投稿は削除された」という。だが、この事実は問題の終着点にならない。
前原弁護士は、投稿を削除しても過去の行為が消えるわけではなく、損害賠償請求や謝罪広告の請求は法的に引き続き可能だと述べる。著作権侵害の事件で謝罪広告が認められることは非常にまれだが、法的責任そのものがなくなるわけではないという。
また、「公式に発信したものではない」という説明についても注意が必要だ。仮に党の関係者が関与していた場合、使用者責任(民法715条)が成立し、政党が責任を負う可能性もある。
「裁判所は、世間一般から見て事業のために行われた行為だと信じられるだけの外観があれば、その行為は事業の執行についてなされたと判断するため、今回のような発表の仕方の場合、『事業の執行について行われた』の要件が満たされる可能性は高いと考えます」と前原弁護士は分析している。
SNSユーザーが問われる「想像力」
今回の一件は、著作権の問題にとどまらない。
「面白い」「支持している」という感情から投稿や、“拡散”に加わる一般ユーザーにも、法的リスクは及びうる。他人の著作物を無断で複製・改変してSNSにアップロードする行為は、著作権侵害のリスクが非常に高い。「みんながやっているから安全」という認識は、たまたま責任追及されていないだけにすぎない。
著作権とは、創作物とその作者を守る仕組みだ。『スイミー』は、長年にわたり子どもたちに読み継がれてきた作品。その表現を政治的な文脈に無断で転用することは、作者の思想や作品のイメージを傷つけかねない行為でもある。
政治活動の「自由」と、他者の権利への「敬意」――その境界線は、SNS時代において、いっそう意識的に引かれなければならない。
「もしかしてこれ、やばいことかも」。誰もがその当事者になり得るからこそ、今回の問題が、デジタル空間における著作権リテラシーを問い直す契機となることを期待したいところだ。

