脳トレ四択クイズ | Merkystyle
「お金に結びつけるのは嫌」という美徳の罠…人口減少が進む秋田、“安すぎる料金”が命取りに? 求められる「価格の再定義」

「お金に結びつけるのは嫌」という美徳の罠…人口減少が進む秋田、“安すぎる料金”が命取りに? 求められる「価格の再定義」

豊かな食と実直な県民性で知られる秋田。訪れる者を魅了するのは、心尽くしの「おもてなし」だ。しかし、観光地や伝統行事の現場を歩くと、あまりに安価な利用料や、ボランティアに頼り切った無料サービスの多さに驚かされる。

そこにあるのは、遠方からの来客を慮(おもんばか)る純粋な善意だが、物価高騰や深刻な人手不足が続く現代において、その持続可能性には黄色信号が灯っている。

背景にあるのは、対価を得ることへの遠慮や、変化を好まない地域の空気感だ。価値ある資源が適切に評価されないままでは、次世代にその文化を継承していくことは難しい。

こうした中、従来の慣習を脱し、景観の維持や労力に見合った「変動料金制」を導入することで、地域の活力を守ろうとする新たな動きも出始めている。善意という美徳と、経済的な自立をどう両立させるか。秋田が抱える「価値の再定義」という課題を考える。

※この記事は、毎日新聞記者で、2020年から秋田支局で勤務する工藤 哲氏の著書『ルポ 人が減る社会で起こること』(岩波書店、2025年4月)より一部抜粋・構成しています。

「安すぎる料金」への懸念

秋田県の観光スポットや資料館に足を運んでみて筆者が時折感じるのは「料金が安すぎる」ことだ。利用する側にとってはありがたいが、円安もあって物価高騰が続く中でのあまりの安さに、「これで運営は大丈夫なのか」「サービスの提供者に利益がきちんと還元されているのか」と疑問に感じることが少なくない。

県南部のある郷土資料館の例を紹介しよう。歴史的に貴重な数々の品が展示され、とても勉強になったが、入館料はなんと大人150円。さらに地元の有名芸術家の作品集まで無料でいただいてしまった。サービスに感謝しつつも、心配になった。

また、年に1度の見ごろを迎えるミズバショウが有名な山間部のイベントも、入場料は無料。主催者が景観維持のために相当な労力をかけているが、こうした貴重な景色に1銭も支払う必要がなく、任意の「協力金」の箱が置かれているだけで、逆に申し訳ない気分になったこともある。

ある雪の伝統行事に出かけたところ、地元の女性たちが手作りの漬物やおしるこを無料でふるまっていた。味が良く、料金を払いたいと申し出ると、「いりません。これは私たちの気持でやらせてもらっていることで、お金に結びつけるのは嫌いです」と断られた。「賽銭として100円で十分です」とも言われた。

こうした対応に、訪れた外国人からは「(無料なんて)アンビリーバブル!(信じられない)」と驚かれるのだという。長年行事を続けてきた80代の女性は「景観を守るために、キッチンカーも断っている。スタッフはみんなボランティアです。こうしたおもてなしが口コミで広がり、お陰でリピーターが根づいているのです」と笑顔を見せた。

「若い人からは(有料化の)意見が出ないのですか」と聞くと、「ない、というか言えないんです。きっと私が怖いからでしょう」とのことだった。

長年にわたりおもてなしの心意気で無料のサービスを続け、その理由は「わざわざ遠方から高い交通費を負担して来た人たちからお金を取るのは申し訳ない」からという心情は理解できる。だが筆者は素直に喜べなかった。若い人はボランティアで続けることに、本当に何の意見もないのだろうか。

年々外国人が増え、物価高も進んでいる。年長者の強い声に何も意見を言わず、現状に納得しているのだろうか。せめて料金のあり方は意見交換した方がいいのではないか。そうでなければ行事の継続も危ぶまれるのではないか――。こんな思いがわいてくる。

これは筆者の中国での経験も大きい(※)。中国各地の観光地ではまず入口で入場料として数千円を徴収し、中に入ってからも食事や土産でさらに数千円、と設定されていることが普通だった。訪れる人は、それをあたりまえと受け止め、文句も言わず支払っていた。

※ 筆者は秋田支局への赴任以前、毎日新聞の中国総局(北京)や上海支局で勤務していた。

「日本はお金へのこだわりが強い中国とは事情が違う」という声も出そうだが、これも一つの国外の現実だ。その後に秋田に住んでみて、この「サービスの価格」に関する日本と中国の事情の違いには改めて驚かされる。

米を中心に農作物が潤沢に収穫できたことからか、秋田県民はおおらかだとよく言われる。苦労して収穫できたものを「まあ、持っていけ」と気軽に口にし、細かいことをあまり気にしない。こうした雰囲気について、県内のある市長が「まるで周囲の人にたかられるお坊っちゃんのよう」と表現したことがある。

こうした秋田の人々の性格は豊かで素晴らしいと感じると同時に気がかりなのは、実際には高い価値があるにもかかわらず、それに見合った対価を手にすることなく、時が過ぎるにつれて“損”が積み重なっていく恐れはないか、ということだ。

秋田県の発展のためには、頻繁な人の往来が欠かせない。だが県内各地で高齢化が進み、人口の流入も少なく新しい発想や取り組みを柔軟に受け入れ、変えていこうという機運に乏しい現実がある。

さまざまな資源の活用や適切な対価を得にくい背景にはこうした要因もあるのかもしれない。そして、外の人を受け入れつつも、善意が先に立って結果的に損をし続ける構造では経済的な豊かさにはつながらない。

「料金変動」を取り入れたアジサイ寺

そんな中、時期などによって価格を変動させ、より実際の価値に見合った料金設定を目指すところが出始めている。

「アジサイ寺」で知られる男鹿市の雲昌寺を訪ねた。秋田の初夏を鮮やかに彩る雲昌寺のアジサイは、平日や人の多い週末、また昼間や夜間によってさまざまな趣を見せる。実際にどんな取り組みなのか、筆者の問いに、副住職の古仲宗雲さんはこう説明した。

雲昌寺では、見ごろの時期に拝観料金を変動させているのですね。

古仲さん:24年は6月8日から7月15日まで観覧を受け付け、平日は600円(拝観料300円に300円上乗せ)、土日を800円(500円上乗せ)にしました。24年はアジサイの花が少なかったのですが、23年は夜間も受け付けて1000円、混雑時は1300円でした。台湾や欧米などからの外国人の割合は年々増え、24年は延べ2万7000人くらいが訪れました。

期間中、寺の周辺は人であふれ、駐車場もいっぱいになります。寺側では他の地域のように駐車料金を取っていません。こうした混雑を止めるには、その程度に合わせて拝観料金を高くすることなどで、人数の調整をしなくてはならないのです。一方で、混雑でご迷惑をかけている寺の周辺の方には無料の拝観券を渡す形にし、地元の方々も気軽に来られるようにしました。

なぜ今のように人が集まるようになったのですか。

古仲さん:これほどの観光スポットになるとはまったく予想外でした。最初は檀家さんに喜んでもらえたら、という気持で挿し木を増やしたもので、始めた頃はわざわざ見物に来る人はいませんでした。ですが、その後に口コミで評判になり、地元以外の人が来るようになりました。料金を本格的にいただくようになったのは、18年からです。

複数の料金を設定した経緯を教えて下さい。

古仲さん:値段を安くすることで混雑し、周囲の方に迷惑がかかるくらいなら、ある程度高めの料金を含めて複数の料金にし、静かに見てもらった方がいいのではないかと考えました。それと「見られる時期が限られていて、京都や鎌倉に行っても見ることができないこのアジサイの景色を金銭的に評価するなら、今よりもっと高いのではないか」という気もしたのです。

ここのアジサイを美しく開かせるためには、多くの手間とコストがかかっています。肥料を購入し、虫やカビがつかないためには薬が必要です。水まきや清掃も欠かせませんし、花が咲いた後の剪定は毎年数カ所ハチに刺されることもあり危険です。

また夏場の水まきは、数十匹の蚊に囲まれながらの長時間作業です。こうした1年間を通した作業と景色の希少性を考えると、今の料金でも決して高いものではない気がしています。

では、そうやって大切に育てたアジサイの美しさはいくらが適正なのか。なかなか難しいところですが、価値あるものにはそれなりの料金をつけ、それに見合った対価を受け取ることはまったく悪いことではないと思っています。

地元への効果はいかがですか。

古仲さん:多くの人が集まれば、周囲の店や宿泊施設の収入も、地元の税収なども増えます。男鹿市は近年人口減少が進み、高齢化、限界集落化も心配です。そんな中で、お寺のアジサイで活気づけば周囲への波及効果は大きく、その収入は地元を元気づけています。これまで不十分だった駐車場の管理も改善できます。今からさらにそうした足がかりを築いていく必要があります。

秋田は歴史的に農林業や鉱業が盛んです。共同作業が多かった名残でしょうか、「人と違うこと」「他人より目立つこと」「周囲より多くお金をもらうこと」を良しとせず、むしろ暗に批判する雰囲気があるのかもしれないと、日々感じます。

複数の料金を設けることへの抵抗感は強いかもしれません。ですが、本当に価値あると思われるものには、それに見合う値段がきっとあるはずだと考えています。

今後も、より魅力のあるアジサイを育てるとともに、質を高め、かけた労力に見合った地元の利益になる値段を定め、より多くの方に価値のあるお参りの時間を過ごせる場所にしていきたいと思っています。

配信元: 弁護士JP

あなたにおすすめ