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クレマン・ド・ブルゴーニュ、誕生の軌跡 ―「”ムスー”の轍(わだち)」から抜け出した成功の物語

クレマン・ド・ブルゴーニュ、誕生の軌跡 ―「”ムスー”の轍(わだち)」から抜け出した成功の物語

第5章:法制化への最終章 ― 政治の舞台裏と改革の結実

INAOでの技術的・制度的な合意形成を経て、次は法制化である。ここでもまた、舞台裏と公式の舞台で、緻密な戦略が展開された。

舞台裏で暗躍したのは、ブルゴーニュ(ヨンヌ県)選出の若き有力政治家、ジャン=ピエール・ソワソン氏であった。彼はヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領の側近であり、地元の有力生産者とも深い繋がりを持っていた。彼は自らの政治力を駆使し、クレマン設立が円滑に進むよう、政府内で根回しを行ったとされる。

一方、国民議会(日本の衆議院に相当)という公式の舞台で議論を主導したのは、ミシェル・ラテロン氏の地盤であるロワール地方選出の議員たちであった。彼らは、クレマンがフランスのスパークリングワイン全体の品質向上と国際競争力強化に不可欠であると熱弁を振るった。この改革案は超党派の支持を集め、大きな反対もなく、75年7月4日、クレマンという用語の使用をAOCワインに限定し、その品質を保護する法律が可決・公布された。

この法律に基づき、同年10月17日、ついに「クレマン・ド・ブルゴーニュ」と「クレマン・ド・ロワール」のAOC設立を正式に認める政令が公布された。翌76年には「クレマン・ダルザス」がこれに続き、59年の最初の問題提起から16年の歳月を経て、生産者たちの悲願であった新しい高品質スパークリングワインのカテゴリーが誕生したのである。

結論

アイデアの萌芽から法制化、そして市場での成功まで、実に半世紀近くにわたる長い道のりであった。クレマン・ド・ブルゴーニュの物語は「ムスーの轍」という逆境の中から、品質への揺るぎない信念と長期的なビジョン、そして産地を超えた連帯によって、いかにして新たな価値を創造できるかを教えてくれる。今日我々がグラスに注ぐ1杯のクレマンには、フランスワインの未来を切り開いた改革者たちの、情熱と誇りが溶け込んでいる。

画像: 結論

配信元: ワイン王国

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