26日、東京都文京区が2025年に区立幼稚園・小中学校の教員等向けに行った「国際バカロレア」(※)関連オンライン研修について、住民らが区を被告として提起した住民訴訟の第2回口頭弁論が、東京地方裁判所で行われた。
※スイスのジュネーブに本部を置く非営利組織「国際バカロレア機構(IBO)」が提供する、探究的な学びを重視する国際的な教育プログラム
対象となっているのは、区が区立幼稚園・小中学校の教員を対象に、国際バカロレアの教育メソッドを活用したオンライン研修を実施したというもの。
原告は区に対し、区長ら4名にオンライン研修の費用約744万円の損害賠償請求を行うことと、2026年度以降における同様の研修契約ないしは公金支出の差し止めを求めている。これに対し、被告区側は「適法な手続きを経て、合理的な判断のもとに契約を締結した」と主張し争っている。
口頭弁論期日後の記者会見で、原告の有馬美穂氏は「バカロレアがいいとか悪いとかを言いたいわけではない。この研修事業の内容がどのように決定されてきたか、それを問いたい」と述べた。
本訴訟で提起されている争点は「教育政策の決定過程」「随意契約の透明性」「公金支出の合理性」「教育委員会制度の独立性」「行政の説明責任」など、自治体行政における意思決定プロセスの全体に及ぶ。
「事業そのものの合理性」を問う
原告側は、「文京区として教育上どんな課題があるのか、なぜ国際バカロレア研修が必要なのか、何を成果として目指すのかについて、教育委員会等で十分な議論が確認できない」と指摘。約744万円を投じながら国際バカロレア認定校の設置を目指すものではなく、数回のオンライン研修では教育効果が限定的だと主張している。
有馬氏は、口頭弁論の意見陳述で以下のように述べた。
有馬氏:「文京区は不登校の増加、教室不足、特別支援教育体制の整備など多くの教育課題を抱えている。
そのような中で、本件事業がどのような必要性・優先性に基づいて進められたのかは、区民に対して丁寧に説明されるべきではなかったか」
さらに、都の公立小中学校の教員は東京都教育委員会に所属する都費教員であり、毎年度の人事異動により他区へ転出入する人事制度があるため、研修を受けた教員がすぐに文京区外へ転出する可能性を指摘。
研修の成果が区の児童生徒に十分に還元されない点も、事業の合理性を欠く理由として挙げられている。
これに対し区側は、本事業は特定の認定校設置を目指すのではなく、区全体の学校教育で探究学習を広く充実させるのが目的だと反論。研修の成果はすぐに授業に活かされ、教員が異動したとしても、その知見は学校に蓄積され、区の子どもたちに還元されると反論している。
「随意契約」の適法性も争点に
文京区がこの事業をS社に委託し744万4800円を支払った「随意契約」(※)の適法性も争点となっている。
※国や地方自治体などが物やサービスの発注や調達を行う際に、競争入札を行わず、任意で特定の相手方を選んで契約を締結すること。
地方自治法は原則として一般競争入札を求めているが(地方自治法234条1項・2項参照)、文京区は本件を「S社でなければ実施できない」として随意契約を締結した。しかし、原告側はこの「唯一性」に疑義があると主張している。
当初、区は2024年11月に設立1か月のNPO法人を「唯一の提供者」として随意契約業者に登録。しかし2025年3月にはS社を同じ理由で登録し、5月に同社と契約した。
原告側は、同一事業について、近接した時点で2社が「唯一の提供者」として登録された事実は、随意契約の根拠を矛盾させるものではないかと指摘する。
この点について、被告区側の説明は、当初は国際バカロレア機構側からNPO法人しか提供できないと口頭で説明されたが、後に「著作権の管理上、A社を介してしか提供できない」と説明が変遷したというものであった。
これに対し、原告側は訴状で、A社の独占的な権限が書面によって確認されていない点を指摘している。また、当初のNPO法人とA社が提出した見積書の金額・内訳が「完全に一致」しており、価格妥当性の検証根拠としての信頼性が疑われるとしている。
この点について、被告区側は、本訴訟の準備書面において「国際バカロレア機構側から明言されたものであり、真偽を疑う事情もない」と反論している。
教育行政の独立性の問題も指摘
被告側準備書面によれば、事業は「文京区長から、探究的な学習を重視した教育メソッドを有する国際バカロレアについての情報がもたらされたことをきっかけとして」始まった。
訴状はさらに、A社の代表者B氏が国際バカロレア機構側の「アドバイザー」として区との協議窓口を担い、B氏と成澤廣修区長と教育委員1名が同一団体の評議員を務めていると指摘する。
有馬氏は法廷での意見陳述で、区長が昨年10月の決算審査特別委員会で「自分の人間関係の中から紹介し、教育委員会でよく話し合うように言った」「国際バカロレア認定校を作るつもりはないので、他に何ができるか考えてほしいと伝えた」と答弁した事実に触れ、区長からの「紹介」で始まった事業が、教育委員会での十分な議論を経ずに進められた可能性を指摘し、教育行政の独立性の観点から問題があるとした。
また、有馬氏は「なぜ国際バカロレアが必要だったのか、なぜ既存の学習指導要領に基づく取り組みだけでは足りないと判断されたのかについて、十分な説明や記録を確認することができなかった」と振り返る。
これに対し被告側は、「区長が主導的に文京区への国際バカロレアの導入を進めたという事実はない」と反論している。
「適法な手続きを経た」という被告側の主張
被告側は準備書面で、本事業は国の教育振興計画にも沿うもので、事前にヒアリングや他団体の調査も行ったと主張。A社が「唯一の提供者」であることは国際バカロレア機構から明言されており、価格も国際バカロレア機構のカタログ等と照合して妥当性を確認したため、契約は適法だと全面的に争っている。
しかし、原告代理人の農端康輔弁護士は記者会見で、契約締結に至る過程に不透明性が拭えないと指摘する。
農端弁護士:「文京区がなぜ国際バカロレア研修を選択したのか、他の研修とどう比較したのか、価格が合理的かを十分に説明するに足る材料が区に残っておくべきだ。
準備書面を見ても、事前にそういった検証がなされたものは確認できない。
行政の説明責任という観点からすれば、検証の過程を示す記録が残っていないこと自体が問題だ」
住民訴訟に先立つ住民監査請求は「理由がない」として棄却されたが、注目すべきは、監査委員が監査結果に意見を付している点である。
監査委員は監査結果に付した意見の中で、「事業者の適格性等に係る確認が口頭であったことにより、一定の疑義が生じる余地が発生した」と指摘。「手続の透明性を確保するなど、より慎重な対応が求められる」とした。
「本件のようなことは、氷山の一角」
原告側が強調するのは、判断過程の妥当性と、その透明性を確保することの重要性である。
農端弁護士:「行政の裁量は広いが、判断過程の不透明さを正当化するものではない。意思決定の過程が記録され、公開され、区民が事後的に検証できて初めて、行政の説明責任が果たされる。
文京区が国際バカロレア研修を選択した目的・理由、他の研修とどのように比較したのか、価格が合理的かを十分に説明するに足る材料が区に残っているか否かを問うている。
仮に目的に合理性が認められたとしても、契約に至った過程、そこの透明性がないことが一番の問題だ」
有馬氏が最初に文京区政に関心を持つようになったのは、2023年の秋頃。きっかけは区立小学校の改築問題だった。区の進め方に疑問を抱き、情報公開請求を重ねたが、政策決定の過程を示す記録は出てこなかった。
「意思決定の過程が記録されなければ、区民は後からその妥当性を検証できない」という問題意識が生まれた。
有馬氏はその後、「文京区議会を見守る会」というLINEオープンチャットを開設。現在840人ほどが参加し、区議会のネット中継を共同視聴するコミュニティから、今回の国際バカロレア研修事業への疑問の声が上がった。
有馬氏:「区議会を傍聴していなければ、ネット中継をみんなで見ていなければ、絶対に気づかなかった。本件のようなことは、氷山の一角で、他でもずっと行われているのだろうなと思っている」
そう確信した有馬氏は、「これを看過すれば同じ問題が起き続ける」との思いから訴訟を決意。チャットのメンバーと協力し、弁護士のチェックを経て、2025年10月15日に住民監査請求を提起した。
有馬氏は、地方自治体において、誰が、どのように公金の使途を決めるのか、議会の審議等を「見守る」市民がいなければ、気づかれないまま進む政策決定が数多く存在するのではないかと問題提起する。
有馬氏:「行政の透明性の確保が、区民にとっての幸せに直結するということを、今回の問題を通して実感している」
次回期日は2026年7月21日に東京地裁で行われる。

