
高齢の親が一人で暮らしていると、子どもは常にどこかで不安を抱えています。転倒、急病、火の不始末、認知機能の低下。本人が「大丈夫」と言っていても、実際には小さな危うさが積み重なっていることがあります。その限界が、ある夜突然、家族の前に現れることもあります。
「大丈夫」が口癖だった母…深夜の電話で崩れた日常
会社員の誠さん(仮名・54歳)は、地方で一人暮らしをする母・敏子さん(仮名・82歳)から、深夜2時に電話を受けました。
画面に母の名前が表示された瞬間、嫌な予感がしたといいます。電話に出ると、母の声は小さく震えていました。
「ごめんね、もう動けないの…」
誠さんは飛び起きました。
「どうしたの? 救急車呼んだ?」
母ははっきり答えません。
「寒くて、立てなくて」
実家までは車で約1時間半。誠さんは妻に事情を伝え、すぐに車を出しました。
敏子さんは夫を亡くしてから、築40年を超える一戸建てで暮らしていました。年金は月12万円ほど。持ち家のため家賃はかかりませんが、光熱費や医療費、家の修繕費は負担になっていました。
誠さんは何度も同居や施設入居を提案していました。しかし母は、そのたびにこう言っていました。
「まだ一人で大丈夫」
「この家が一番落ち着くの」
総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の単身無職世帯では、可処分所得が月11万8,465円である一方、消費支出は月14万8,445円となっており、平均では毎月赤字です。高齢の一人暮らしでは、生活費だけでなく、住まいの維持や医療費も重くのしかかります。
誠さんが実家に着いたのは、午前3時半近くでした。玄関の鍵は開いていました。
中に入った瞬間、凍るような寒さに息をのみます。居間の電気はついたまま。暖房は消えていました。
そして台所のそばに、母が毛布にくるまるように座り込んでいたのです。
「母さん!」
敏子さんは、床に倒れたあと、自力で立ち上がれず、這うようにして電話まで手を伸ばしたといいます。
幸い、敏子さんは骨折していませんでした。しかし、体は冷え切っており、足腰の痛みも強く、誠さんはすぐに救急相談へ連絡しました。
冷えた床、空の冷蔵庫…息子が知った“一人暮らしの限界”
落ち着いてから室内を見ると、そこには誠さんが知らなかった母の生活がありました。
冷蔵庫には、豆腐と漬物、数日前の総菜だけ。台所には洗っていない食器が少し残り、薬袋は食卓の上に散らばっていました。
「ちゃんと食べてるって言ってたじゃないか」
誠さんが言うと、敏子さんは目を伏せました。
「買い物に行くのが、少し面倒でね」
最寄りのスーパーまでは歩いて20分以上。最近は膝の痛みで外出が減り、食事も簡単に済ませる日が増えていたのです。
さらに、光熱費を気にして暖房を控えていたことも分かりました。
「電気代が高いから、少し我慢してたの」
その言葉に、誠さんは強いショックを受けました。母は息子に心配をかけまいと、生活の不便や不安を隠していつも「大丈夫」と言っていたのです。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』では、65歳以上の一人暮らしの人が増加しており、令和7年時点で65歳以上人口に占める一人暮らしの割合は男性18.3%、女性25.4%と推計されています。家族と離れて暮らす高齢者の生活を、どのように見守るかは多くの家庭に関わる課題です。
その後、誠さんは地域包括支援センターに相談しました。配食サービス、見守りサービス、訪問介護、手すりの設置、緊急通報装置。使える支援を一つずつ確認していきました。
敏子さんは最初、遠慮しました。
「そこまでしなくていいよ」
しかし誠さんは、静かに言いました。
「今夜みたいなことが、また起きたら困るんだ」
現在、敏子さんは週数回の配食サービスを利用し、訪問介護も受け始めています。誠さんも、毎晩短い電話をするだけでなく、電気代や食費の一部を負担する形に変えました。
高齢の親の一人暮らしは、「本人が望んでいるから」と見守るだけでは足りないことがあります。住み慣れた家で暮らす自由と、命を守るための支援。その両方をどう整えるかが問われます。
