港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:「水商売なんてプライドないの?」と言った女性に、28歳女が返した言葉とは
「そろそろ、ともみに恩を返してもらおうかと思って。力を貸して」
と、当然のように発した松本公子に、ともみは思わず、は?とこぼれそうになった声をなんとか飲み込んだ。
「私に、あなたに貸せる力があるとは思えませんが」
謙遜を演じたともみの笑みに、「まあ、そんなに焦らないでよ」ともったいぶるようにグラスを手にした公子の指先が視界に入る。
どんなに忙しくても「手元を整えられない女は恥ずかしい」と、過剰なほどサロンに通い艶を保っていた公子の指先のネイルが、剥げ、欠け、根本が伸びきっている。おそらく1ヶ月以上は塗り替えられていない。
20キロ近くは増えたと思われるその体はおそらく、酒の飲み過ぎによるむくみ、肌は脂っぽく荒れ、食生活が乱れていることが分かる。公子はストレスがかかると飲食に走りがちだった。当時はそれでもエステや美容医療に頼り、体や肌を管理できていたのだろうけど、今は…。
― 金銭的余裕が…ないのかもしれない。
しかも、かつてはハイブランドを身に着け、車や住む場所で、分かりやすく自分の富を誇示していた公子が――久しぶりにともみに会う、今日一日だけでも爪を整え、見栄を張ることができないくらいに。
ともみと仕事をしていた頃の公子は30代半ば。元々は大手のテレビ局員で、その頃作った恋愛リアリティショーが大ヒットし、そのフォーマットが20ヶ国以上に売れ、世界中で大人気になり、世界で最も権威のあるエミー賞にも、日本のバラエティ番組として初めてノミネートされた。
そして“若き女性クリエーター”として一躍時の人になった公子は、テレビ局を辞めて独立。世界中からオファーが来るようになり、一時期ロサンゼルスにも支社を作り、ハリウッドでもそれなりの成功を得ていたのだから、企画を作る力はあったのだろう。
そして、世界的に認められたプロデューサーが初めてアイドルグループを手掛ける、と鳴り物入りのオーディションが開催され、そのデビュー第一号が、AN(あん)という名で芸能活動をしていたともみが選ばれた5人組のグループ、「QUINTZ(クインツ)」だった。
「今でも覚えてるわよ。ともみが私のオーディションを受けた時の目。アイドルとして売れるためにはなんでもします!って感じの、大人びた覚悟の決まった目だった」
ニヤニヤと懐かしまれても、ともみは共感することなどできない。
「私はもう18でしたから。今ならもう成人です」
「アンタは変わらないねぇ。そういう時は、なつかしいですねぇ~とか言うもんじゃないの?昔からともみは可愛げがないのよねぇ。変にずーっと落ち着いちゃってるっていうか。ま、だからリーダーをやってもらったわけだけど」
わざとらしいため息をつかれても、ともみは微笑みを崩さなかった。
「アイドルとしての可愛げも、リーダーとしての能力もどちらもなかったのだと――今となれば自覚しています。私たちは結局、売れませんでしたしね」
公子の左眉だけが上がった。気に障った時の公子の癖。それに怯えたYUME――メンバーの中で一番年下だった彼女は、その度にともみの手をぎゅっと握ってきた。
― YUMEの手はいつも冷たかった。
そんなことを思い出した時、公子がグラスを置いた音が不快に響いた。
「売れませんでした、って何よ。売れたでしょ」
確かに2曲は“そこそこ”売れた。YUMEの抜群の歌唱力のおかげで。でも。
「私が関わったプロジェクトが売れないはずはない。QUINTZだって順調だった。ただその後、予想外の事故が起こっただけ」
「事故?…予想外の?」
「そうよ。だって、YUMEが歌えなくなるなんて、私は知らなかったんだから」
「…知らなかった、んですか?」
「ええ、整形で声が出なくなる可能性があるなんて、誰が想像できる?森ちゃんはお医者さんから聞いて知ってたみたいだけど、私は聞いてなかったんだし。あんなに金をかけたプロジェクトなのに、いい加減にして欲しいわよね」
森ちゃんとは森めぐみ。彼女が作る曲は必ず売れるというヒットメーカーの音楽プロデューサーで、今も活躍している人物。公子と森がQUINTZを作る大人たちの中で、トップ2の権力者だった…が。
ともみは胸から喉へせりあがり、吐き出してしまいそうになった熱を何とか抑え込み、聞いた。
「YUMEに美容整形を薦めたのは、公子さんじゃないんですか?」
公子の左眉が、また、上がった。
「…整形は別に珍しいことじゃないでしょ。YUMEの圧倒的な歌唱力は絶対にQUINTZには必要だった。けどあの子をセンターにするにはビジュアルが弱い。それが整形で手に入るなら…少し顔をいじるだけでYUMEの夢もかなう。だったら、ってことでYUME本人も納得した。それになんの問題が?ともみ、アンタ、自分が天然ものだからって整形が悪だとでも言いたいの?」
聞いてもいないことを良く喋る公子が、怒りを通りこし、哀れにさえ見えた。けれど本当に哀れな被害者は――大人たちに食い物にされた、YUMEだ。
「整形が悪だなんて思ったことはありませんよ」
静かに言った。それは本心だ。
「私レベルのビジュアルなんて、履いて捨てるほどいる世界で生きてきて……歌や演技の才能、そこにいるだけで人を圧倒する気配。それを持っている人達の方がどんなに羨ましかったか。
YUMEの歌声を最初に聞いた時、圧倒されて嫉妬しました。でもホッとしたんです。同じグループでデビューできるのだからライバルではない。彼女と闘う必要がないことに。でもだからこそ、YUMEが整形をしていたことを知らされた時…それが原因で歌えなくなったと泣きじゃくるYUMEの、あの叫びを…私は忘れたことはありません。だから公子さんにも聞いてみたかった。あの子の才能を壊したことを…あなたは今どう思っているのですか?」
5歳の頃から芸能活動をしていたともみは、事務所の推薦を受けて、QUINTZのメンバーとしてレッスンし育成された。だがYUMEは16歳で一般公募のオーディションで選ばれ、ともみがYUMEと会ったのはデビューが決まってから。ともみをはじめ他のメンバーも、事が起こるまで、YUMEが整形していることを知らなかった。
YUMEはQUINTZのメンバーになるまでも、何度かオーディションを受けていた。その度に抜群の歌唱力を認められながら、いつも、「顔が惜しい」と落とされ続け、容姿に強いコンプレックスを抱いていた。
だが、QUINTZのオーディションで、憧れのプロデューサーであった、森めぐみから「あなたの才能に惚れこんでいる」という甘い言葉と共に、「でも今の顔のままではデビューできない」と整形を条件にしたデビューを提示され、夢を叶えるために目、鼻、顎を含む全顔に近い美容整形を決意した。
本来ならば親の許可がなければ整形ができない年齢なのに。その許可証を偽造できる懇意の美容整形の医師により、YUMEの顔は、大人たちの希望通りに変えられ……一番年下のメンバーなのに圧倒的な歌唱力を持つYUMEをセンターにしたQUINTZは、松本公子と森めぐみというヒットメーカーのプロジェクトとして、華々しく、順調な滑りだしを見せた。
けれど、デビュー2年目、3曲目のレコーディング中に異変は現れた。YUMEの最大の魅力でもあった、地声と裏声の境目がない『ミックスボイス』。それが響かなくなり、声がこもるようになってしまったのだ。
ともみがレコーディングスタジオのトイレで泣いている彼女を見つけたとき、YUMEは「顎がおかしくて、口が今までみたいに開かない」と告白。ともみはこの時初めてYUMEの整形とその経緯を知ることになったのだが。
YUMEは、顎を大幅に削った手術の後、骨が安定する前に無理な発声トレーニングを重ねたことが原因で、顎の骨にわずかなずれが生じたのだろうと診断され、医師に「元通りになる可能性は低いし、悪化して、完全に歌えなくなる可能性も」と告げられてしまう。
唯一の自信であった歌を失ったYUMEは絶望。なんとか寄り添おうとしたともみの声も全く聞こえていないようだった。
「他のメンバーを動揺させたくないから、整形のことも、YUMEが歌えなくなった理由もともみだけの胸に秘めておいて欲しいの」
森と公子、2人にそう頼まれ、他のメンバーには「YUMEはまだ幼いこともあって、プレッシャーに耐え切れず心を病んだため、休養が必要」と説明され、その後、YUMEは休養に入ると発表された。
世間には休養と発表したものの、もう戻ってこれないと分かっていた大人たち――森と公子は、QUINTZを、YUMEを除いた“4人組”へと作り替えようとした。5人グループがそれぞれ違った魅力で輝く5重奏という意味をこめた、QUINTZというグループ名だというのに、YUMEのボーカル力を中心として、5人の歌唱力を活かすための楽曲だったはずが、 ダンスビートの強いものに。
― 私だって、ずるかった。
大人たちが、まだ16歳だったYUMEを甘い誘惑で整形させ、その人生を壊したのに。それが間違っていることを分かっていながら、結局ともみはその時、グループとしての成功の夢を捨てきれず、森や公子の言う通りに動いてしまった。その苦さと後ろめたさが、今もずっと、消えることはない。
そして、YUMEの行方は――今もわからないままだ。
◆
「もし知っていたら――整形を止めていましたか?」
思わずこぼしたともみに、公子の視線が上がる。その目が充血し濁っていることに、なぜかむなしくなりながらともみは続けた。
「整形を薦めたのは、公子さんと、森さんの2人の意見ですよね」
「そうだけど」
「当時本当に、公子さんが整形の副作用を知らなかったとして…」
「知らなかったって言ってるでしょ。森ちゃんと医者が内緒にしてたのよ」
「整形をすることで副作用があってYUMEが歌えなくなる可能性が少しでもあると分かっていたら、公子さんは整形を止めていましたか?」
公子はじいっとともみを見つめてから、グラスを一気にあおった。そしてお代わりと頼むと、フッと皮肉気に口を歪めた。
「結局はYUMEが選んだのよ」
「そうかもしれない。でも選んだ時のYUMEはまだ子どもだったはずです。彼女がどんなに野心に燃えていたとしても…せめて違法整形のリスクは、正しく説明されるべきだった」
公子は忌々しそうにため息をついた。
「あんたって相変わらずクソ真面目なのね。だいたい今、そんなことを言って何になる?失ったものは取り戻せないんだから」
「それは、公子さんや――私のセリフではないと思います」
YUMEは失ったのではない。奪われたのだ。声を。人生を。その意を込めたともみの視線から逃げるように、ごまかすように、公子はへらっと笑った。
「アタシだってYUMEのことは後悔してるのよ。だからこそ、助けて欲しいの」
ねこなで声になった公子が、携帯を取り出し、ともみに見せた。
「これ、知ってる?最近SNSでバズってる、匿名シンガー」
AIで作られたボーイッシュな女性の画像のページ。フォロワーは200万をこえている。ともみが苛立ちながら首を横に振ると、公子が再生ボタンを押した。すると。
「……ま、さか…」
流れてきた声は。
「…ゆ、め…?」
ともみは公子の手から携帯を奪い取り、スピーカーを耳に当て、何度も再生した。聞けば聞くほど、それはYUMEだった。しかも――全盛期の、あの耳に心地よいミックスボイス。
「…これって」
「YUMEなのよ」
公子の顔には興奮が走っていた。そして。
「これが、ともみへの力を貸して欲しいこと。YUMEを取り戻して。アンタはあの子が一番信頼していたリーダーだから」
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▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
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