2006年6月3日午後7時20分頃、東京都港区の区営住宅「シティハイツ竹芝」12階で、当時16歳の高校2年生が、自宅マンションのエレベーターから降りようとしたところ、エレベーターのかごが、扉が開いた状態のまま突然上昇し、男子高校生はかごの床と乗降口の上枠との間に挟まれて死亡した。今年で、この事故から20年になる。
事故の直接の引き金は、エレベーターのブレーキの異常摩耗だった。本来であればまだ十分な厚みが残っているはずのブレーキライニング(摩擦材)が、規定の厚みを大きく下回るまで擦り減っており、かごを止めきれなかった。
「なぜそんなことになったのか」というのが事故調査の最初の問いだったわけだが、後の調査で明らかになったのは、この事故がブレーキそのものの欠陥というよりは、ブレーキの状態を誰も適切に把握・管理できていなかったことから生まれた事故だったということである。
事故から20年を機に、エレベーターの所有者・メーカー・点検等の管理を行う保守業者という三者のあいだに横たわっていた、深い情報の断絶の構造を改めて振り返っておきたい。(島崎敢・近畿大学教授(安全心理学))
「予想より早く」進んでいた摩耗
事故機を含むシティハイツ竹芝のエレベーターは、スイスに本拠を置くシンドラーエレベータ社(以下、シンドラー社)製の機種で、ブレーキの仕組みは当時の国内大手メーカーのものとは異なっていた。
詳細な仕組みの説明は省くが、精密な調整が必要な構造で、調整が少しでも狂うとブレーキが完全には解除されないまま動き続け、ブレーキライニングが擦れた状態が続いてしまうという性質を持っていた。
事故機では、まさにこの状態が起きていた。ブレーキが完全には解除されないままエレベーターが上下を繰り返し、その間ずっとブレーキライニングが擦れていたため、想定を超えるスピードで摩耗が進んでいったのである。
問題は、この「予想外に早い摩耗」を、保守業者が予想していなかったことだ。
一般的なエレベーターのブレーキライニングはそう簡単には擦り減らないので、保守の際にもパッドの厚みを実際に測ることは少なく、目で見て大丈夫そうなら「問題なし」とするのが当時の実務だった。
シンドラー社が作成していた保守点検マニュアルには、「ここを実測しないと危ない」といった注意点等が書き込まれていた。マニュアルどおりに点検していれば、ブレーキライニングの摩耗にも、調整が狂っていることにも気づけたはずである。
ところが事故機を保守していたエス・イー・シーエレベーター(以下、SEC社)も、その前年度に保守していた日本電力サービスも、シンドラー社の保守点検マニュアルを持っていなかった。
国交省の事故調査報告書は、両社が「シンドラー社に当該機種の制動装置等に係る保守点検マニュアルの提供依頼を行ってはおらず、また、シンドラー社や(所有者である港区)住宅公社から保守点検マニュアルの提供を受けていなかった」としている。
両社は、東京都が発行する一般的な保守業務標準仕様書や、各社が独自に作成した汎用の点検マニュアルを使って点検をしていた。これらの汎用マニュアルには「ブレーキの動作状態を点検する」「ブレーキシュー、アーム及びプランジャーの異常の有無を点検する」といった抽象的な記述があるだけで、実際にどこを測ってどの数値と比べればよいのかは保守員の判断に委ねられていた。
その結果、保守員はブレーキを目視で確認し、「動いているから問題ない」と判断していた。事故の9日前にもSEC社が点検に入っていたが、不具合は発見されなかった。
なぜマニュアルは共有されなかったのか
ここで素朴な疑問が湧く。シンドラー社製エレベーターを保守するのなら、シンドラー社のマニュアルがあったほうがいいに決まっている。それなのに、なぜマニュアルの共有が行われていなかったのか。
理由を理解するには、エレベーター業界の特殊な事情と、シンドラー社の日本での立ち位置を知っておく必要がある。
エレベーター業界には古くから、「機械を売るより、その後の保守で稼ぐ」というビジネスモデルがある。エレベーターは20年も30年も使われる機械であり、その間ずっと定期的な保守が必要になる。保守の継続的な売上は、新規販売の何倍もの利益をメーカーにもたらしてきた。
ところがある時期から、メーカー系列ではない独立系の保守会社が市場に参入し始める。
彼らは、メーカー直系の保守よりも安い価格で同等の保守を提供すると言って契約を取りに来る。所有者からすれば、保守料金は毎年のことなので、安く済むに越したことはない。
しかしメーカー側からすれば、自社製の機械の保守を他社に取られるのは大きな利益の喪失である。
そこでメーカー各社は、自社製エレベーターの保守に必要な技術情報――設計図、保守マニュアル、調整値、専用工具、純正部品など――を、独立系保守業者には渡さないという戦略を取った。情報を渡さなければ独立系業者は適切な保守ができず、結果として市場から排除される、という算段である。
さらにシンドラー社には、もう一つの事情があった。
同社は世界第2位の昇降機メーカーで、欧米では押しも押されもせぬ大手だが、日本市場に限っては状況がまったく違った。日本のエレベーター市場は三菱電機、日立、東芝といった国内大手の鉄壁の牙城で、外資はなかなか食い込めない。1985年に日本に進出したシンドラー社も、長らくこの壁に阻まれていた。
そこで同社が取った戦略が、公共事業の入札で低価格を売りに食い込むというものだった。1998年頃から、官公庁向けの案件で価格競争力を武器に受注を伸ばしていく方針を採る。設置時の価格を抑えても、いったん入れてしまえばあとは長い長い保守契約が続き、そこで安定的に稼げるはずだった。
ところが、その「保守で稼ぐ」目論見が、独立系業者の登場で揺らぐことになる。
設置時に安く自社製品をねじ込んでも、保守を他の業者に取られてしまえば、シンドラー社の収益モデルは根底から崩れる。シンドラー社にとって、自社製エレベーターの保守を他社に渡さないことは切実な経営課題だった。
そして、保守を奪っていく独立系業者の一つが、SEC社だった。SEC社は1967年創業の老舗の独立系保守業者だが、独立系では珍しくエレベーターの製造・販売も手がけている。つまり「メーカーでもある独立系」である。
シンドラー社から見れば、SEC社は単に保守を奪っていく相手であるだけでなく、設計や製造の世界でも競合しうる相手だった。そんな相手に、自社製品の保守マニュアル――事実上の設計情報――を渡すのは、シンドラー社の立場からすれば、企業秘密を商売敵に手渡すに等しい。
エレベーターをめぐる二つの入札
ここで、エレベーターをめぐる二つの入札について、少し整理しておきたい。
エレベーターには、建物の建設時に行われる「設置工事の入札」と、設置後に毎年(または数年ごとに)行われる「保守業務の入札」という、性格の異なる二種類の入札がある。
シティハイツ竹芝は1994年に着工し1998年に竣工した区営住宅で、設置工事のなかでシンドラー社製エレベーターが採用された。シンドラー社が公共事業に力を入れていた時期と重なる。
建物の竣工から2002年度までは、エレベーターの保守はそのメーカーであるシンドラー社が随意契約の形で請け負っていた。設置と保守をメーカーが一貫して担う、業界の標準的な形である。
だが2003年度から、港区住宅公社は保守業者の選定を指名競争入札方式に切り替える。年度ごとに最も安く請け負ってくれる業者を選び、年度更新で入れ替えていく方式である。
入札に切り替えた効果は、価格にはっきり表れた。年度ごとの契約金額の推移は次のとおりである(税込み)。
- 2002年度:シンドラー社/約446万円
- 2003年度:シンドラー社/約446万円
- 2004年度:シンドラー社/約364万円
- 2005年度:日本電力サービス/約163万円
- 2006年度:SEC社/約121万円
入札制度の導入前はメーカー直営のシンドラー社が約446万円で請け負っていたが、わずか3年ほどで約121万円、4分の1近い水準にまで下がっている。シンドラー社自身も、2004年度には自社の価格を約364万円まで引き下げており、独立系業者からの価格競争にさらされていたことがうかがえる。
ここで起きていたのは、シンドラー社が日本市場で警戒していた、まさにその事態である。
設置時に安く食い込んだあとの長い保守契約で、収益を確保していくはずが、その保守すら独立系業者に奪われていく。シンドラー社にしてみれば、保守マニュアルを渡したくないという動機が、ますます強まる構図だった。
一方、所有者側にも考えるべき問題はあった。国交省の事故調査報告書は、住宅公社が「指名競争入札にあたっては、指名基準として当該機種に係るシンドラー社の保守点検マニュアルを所有していることを求めていなかった」と記している。
住宅公社自身もシンドラー社に保守点検マニュアルの提供を依頼しておらず、シンドラー機種固有のマニュアルを保有していなかった。
入札方式に切り替えること自体は、公共調達のコスト管理として理にかなった判断だっただろう。しかし、「最も安い業者を選ぶ」という仕組みだけがあって、「安全に保守できるための最低条件」が問われていなかったのである。
エレベーターは設置すれば動くもので、その後の保守の中身は専門家に任せておけばよいという感覚が、所有者側の業界にも染み付いていた。
こうして整理してみると、実際に事故が起きるまで、安全のための情報は三者のあいだでまったく共有できていなかったことがわかる。繰り返すが、ブレーキの異常摩耗は、シンドラー社のマニュアルが保守に生かされていれば見つかったはずである。
罪には問えなくても、原因は究明する
この事故では、シンドラー社の元社員と、SEC社の元役員らが業務上過失致死罪で起訴された。しかし後に、起訴された全員の無罪が確定している。
息子を失った遺族が「理不尽に奪われた息子の命に対して誰も責任を取らないことは受け入れられない。本当に悔しい」と語ったのは、当然の感情である。
ただ、この事故は「誰か一人を罰すれば終わる」事故ではなかった。メーカーも所有者も保守業者も、それぞれの立場で業界の慣行どおりに動いていた。特定の個人の怠慢ではなく、業界の構造そのものから生まれた事故だった。
だから刑事裁判は無罪で終わらざるを得なかったのだと思うが、民事裁判では2017年、東京地裁がかなり踏み込んだ「和解勧告」を出している。
裁判所の「和解勧告」が示したもの
和解勧告の要旨はこうである――裁判所が行う判決は損害賠償の有無を判断するだけで、事故原因の究明や再発防止には踏み込めない。だが原告が本当に求めているのは賠償金ではなく、再発防止である。だから判決ではなく和解という形で、再発防止策まで盛り込んだ解決を図りたい。
民事訴訟の和解勧告に、賠償金の話だけでなく具体的な再発防止策が書き込まれるのは異例である。事故の責任を金銭で精算するだけでなく、構造そのものを変えるところまで踏み込んだ点で、東京地裁の判断は画期的であったと言えるだろう。
これを受けた和解条項と港区との覚書には、具体的な再発防止策が並んだ。
- シンドラー社は、自社製エレベーターの保守に必要な技術情報を、その後保守を行うことになったオーチス社に提供すること。
- SEC社は、不具合発生時に写真と実測データ付きの故障報告書を作成し、保守員への継続教育を行うこと。
- 港区は、保守業者を選ぶときに、メーカーの保守マニュアルを保有していることを条件にすること。
まさに事故の構造を裏返しに書き写したような内容になっている。三者の隙間に落ちていった「情報」を、二度と落とさないための仕組みを、和解の形で書き込んだのである。
失われた命が遺したもの
この事故と、それを契機とした遺族・支援者・関係者の働きかけによって、エレベーターを取り巻く仕組みはこの20年で大きく変わった。
新しく設置するエレベーターには、扉が開いたままかごが動いてしまっても自動的に止める安全装置の設置が義務づけられ、ブレーキは二重化された。
メーカーと保守業者の間での保守点検マニュアルの共有手順も国の指針として整備され、メーカーが情報を独占して囲い込む構造が制限された。
保守業者の側も、メーカーのマニュアルや最新の技術情報を持っていることが業者選定の条件として標準的に求められるようになっており、「ただ安いだけの業者」が保守を請け負えない仕組みになった。
シティハイツ竹芝で起きたのと同じ事故が起きるリスクは、相当程度まで下がったと言えるだろう。
痛ましい事故によって、私たちはようやくエレベーターを安全に保守する仕組みを手に入れたのである。失われた命が遺したものを、今日もエレベーターに乗るすべての人が知っておいてほしい。
■島崎敢
1976年東京都生まれ。早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。同大助手、助教、防災科学技術研究所特別研究員、名古屋大学特任准教授、近畿大学准教授を経て、近畿大学教授。元トラックドライバー。全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など、多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者。著書に「心配学〜本当の確率となぜずれる〜」(光文社)等があり、学術的知見を現場へ還元する実践の場として、トラックドライバー応援Podcast「プロフェッショナルドライブ」を配信中。

