法務省は今春、売春の「買う側」への罰則導入を話し合う検討会を設置。専門家、関係者などからの聞き取りを行いながら売春防止法改正の議論を進めている。
大きな焦点は、現行法が「売る側」の勧誘行為を罰している一方で、罰則のない「買う側」をどこまで規制するかだ。しかし、売買春自体に罰則がないなかで、国家が「性生活」という極めて私的な領域に介入することになり得るため、議論には慎重さが求められる。
「個人の自由」と「法的規制」。明確に分けられるべきその境界線はどう定めればいいのか…。憲法訴訟や行政訴訟を中心に担当し、行政法の研究者でもある平裕介弁護士・帝京大学法学部准教授に話を聞いた。(ライター:中山美里)
「普通に憲法問題!」改正には慎重な議論が必要
買春者処罰を主軸とした売春防止法改正が進むなか、その動きについて、「これ普通に憲法問題ですよ!」 とXにポストしたのは平弁護士だ。
法学者、弁護士として売春防止法の改正をどのように捉えているのだろうか。
まずは、検討会に対する評価を聞いた。
「改正するにしてもしないにしても、検討会では慎重な議論が必要です。2022年に、いわゆるAV新法(略称「AV出演被害防止・救済法」)が成立した時、議論ともいえない雑なプロセスで立法されてしまいました。AV新法と同じ流れで法改正がされないように、注視しなくてはなりません。
検討会ではさまざまな分野の専門家や当事者から意見を聞き、その上での議論が必要でしょう。
しかし、現状を見ると不十分に感じます。憲法と行政法を扱う専門家が十分にいるのかという観点は 、検討会に名前を連ねる専門家やヒアリングに招聘した団体等にも偏りがあるように思えます」
AV新法は、AV作品の出演者やAV作品を製作する事業者側への直接的なヒアリングを一切行わなかったなど、制定当初から「拙速な立法」「異例の立法プロセス」との批判が根強かった。
施行後2年以内に見直すことが法律の付則に明記されているにもかかわらず、施行からおよそ4年を経た現在も、見直しが行われていない。
平弁護士は、予想される売春防止法の改正案のパターンについて言及する。
「今回の売春防止法改正では3つの案が考えられます。
第一の案は、現行法の処罰対象である『売る側』の勧誘や声掛け、客待ちといった行為について、それらに相対する『買う側』の行為を処罰対象とするもの。
第二の案は『買春行為自体を処罰対象』とする案です。
第三の案は、現在、さまざまなところで取り上げられている“北欧モデル”を参考にして、売る側の違法性をなくして買う側だけを処罰するものです。
これらのいずれにも、憲法学上の問題が生じます」(平弁護士)
現状の議論の問題点
平弁護士は、現在の日本の憲法下で、セックスワーカーの権利に関して問題となるのは憲法13条であると説明する。
憲法13条は以下の通り定めている。
〈すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。〉
このうち「幸福追求に対する国民の権利」は「幸福追求権」と呼ばれ、プライバシー権や自己決定権など、いわゆる「新しい人権」の法的根拠ともなっている。
「セックスワーカーの方々については、『性的自己決定権』が問題となります。性的自己決定を行うことはライフスタイルに関する自由と評価する余地があります。
また、性行為は私生活のコア部分でプライバシー性が高いので、本来公権力が介入すべき領域ではないですから、プライバシー権の制限も問題となります。プライバシー権も性的自己決定権と同じく憲法13条によって保障される人権です。
さらに、セックスワークに関しては、職業選択の自由(憲法22条1項)や職業遂行の自由(営業の自由)として保障されうるものです。規制を強化しようとする側には、セックスワーカーを同じ職業人としてみる視点も欠如あるいは不足しているように思います。
そして、このような憲法上の人権を制限するためには、セックスワーカーの行為が公共の福祉に反しているという人権制約の根拠が必要となります。また、仮に公共の福祉に反していたとしても、刑罰まで科すことなどによる制約が過剰な規制といえないかということも問題です」(平弁護士)
諸外国ではどう議論されたのか
諸外国では、どのような根拠のもと罰則を規定し、その際にはどのような議論があったのだろうか。
「かつてイギリスで売春規制に関する議論がなされた時には、2つの根拠が議論の対象となりました。
1つ目は『道徳』です。これに対しては、道徳をそれほど重視してよいのかというものがあります。もちろん法律の基礎には道徳があります。たとえば日本における公然わいせつ罪、わいせつ物陳列罪などは、根拠として性道徳を基礎としているわけです。
しかし、そもそも、性道徳というある種曖昧なものを根拠として罰則を設けること自体に問題があります。
2つ目は『パターナリズム』(父権主義)です。簡単にいえば『売春をすることにより、売春者自身の尊厳や心身が傷つけられ、あるいは搾取されている。そこから救うために、国が親代わりとなって権力を行使し、その人自身が傷つかないようにするために、買春者を処罰する』という根拠での規制です。
言い分けると、他の人を傷つけるからという理由で人の自由を規制するというのではなく、その人自身が傷ついてしまうからいわばお節介でその人自身の自由を規制するのだという類いの規制です。
しかし、成人間の売買春は自由意思による合意のもとに行われている限り 、他者に対する加害になりません。それをパターナリズムで、あるいは『搾取だ』ということで国家権力が個々人の性的自己決定やプライバシーに介入するのは、余計なお世話ではないかとの議論があります。
日本での売春規制のあり方について道徳あるいはパターナリズムを根拠とするにせよ 、セックスワーカーやセックスワークに携わる事業者の意見をよく聞いたのか、諸外国といっても北欧以外の国々の事例なども考慮しているのか、憲法や行政法、刑事法を専攻する学者(複数の法学者)にも意見を聴いたのか、過度な規制になっていないか、規制することによって逆にセックスワーカーの身体の安全・身体の自由――これも憲法13条で保障されています――が脅かされてしまうことになるなどかえって大きな弊害が生じないか、などについて慎重な審理が必要となると考えます。少なくとも現時点では必要・十分な議論がなされていません」(平弁護士)
買う側に対する規制の問題点とは
逆に、買春側に対する憲法への抵触という面ではどうだろうか。
「買う側に対する規制もまた、憲法上の人権の侵害にあたるのではないかとの議論があります。
買春そのものを規制する場合には、買う側についても、いつ、どこで、誰とどのように性行為をするということに対して、法廷で裁き、罰則をつけるのは、性的自己決定権、プライバシーの自由に対して踏み込み過ぎなのではないかとの指摘があります」(平弁護士)
セックスワーカーの人権とどう折り合いをつけるのか
加えて、平弁護士は「表現の自由」の観点からも違憲性を指摘する。
「客との値段交渉や、どのような場所でどのような性的サービスを提供するかについては、営業の自由にとどまらず、営利的な表現として憲法21条1項の表現の自由として保障されていると理解することができ、日本の学説ではこれが多数説だと考えられます。
ちなみに、アメリカでも、『シュナイダーマン判決』という2017年の判例(Expressions Hair Design v.Schneiderman)で、客との値段交渉は表現の自由に含まれるとされていますので、セックスワーカー と客との値段交渉も表現の自由に含まれると考えられます。ですから、売春規制は、憲法21条1項の表現の自由の制限にもなり得ます。
また、売春する側の客待ちや勧誘について処罰規定を設けると、その構成要件に該当するか否かの判断は難しく、規定が漠然不明確なものといえないか、あるいは、規制の対象が広汎になりすぎないか、といった問題も指摘されています。
このような不明確な処罰規定は憲法21条1項や憲法31条との関係でも問題になりますので、やはり慎重な検討が必要です」
日本国憲法ではさまざまな人権の保護が定められているが、「売春」という行為についても、いま一度、「セックスワーカーの人権」とどう折り合いをつけていくかという視点が必要不可欠なのだろう。
70年前と同じ犯罪類型を維持したままでよいのか
最後に、売春防止法そのものについて聞いた。
「売春防止法自体、制定当時の特定の道徳観に基づいて作られています。制定から70年も経っており 、性に対する国民・市民の考え方も異なってきます。
売春に関しても、70年前と同じ犯罪類型を維持したままでよいのでしょうか。そういった視点からの丁寧な議論も必要だと考えています」(平弁護士)
一度、法が成立してしまうと、改正または廃止することは容易ではない。
感情論に流されることなく、現場の実情に基づいた丁寧な議論が不可欠だ。私たち国民もまた、「法のあり方」そのものを監視しなければならない。
【平裕介】弁護士(東京弁護士会/AND綜合法律事務所)|帝京大学法学部准教授|行政法研究者|「セックスワークにも給付金を」訴訟、映画「宮本から君へ」助成金訴訟、「ヒグマハンターの猟銃を取り戻す」訴訟、角川人質訴訟違憲訴訟など、憲法訴訟・行政訴訟を中心に担当
【中山美里】1977年、東京都生まれ。一般社団法人siente代表理事の傍ら、性風俗や女性の生き方などを中心に雑誌、WEBで取材・執筆を行う。性風俗関連の著書多数。

