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「黙秘権は骨抜きだ」 250日の勾留と56時間超の取調べを受けた元弁護士が語る“人質司法”の実態

「黙秘権は骨抜きだ」 250日の勾留と56時間超の取調べを受けた元弁護士が語る“人質司法”の実態

逮捕・勾留され、56時間超にわたって取り調べを受けた弁護士がいる。

元弁護士の江口大和氏は被疑者として逮捕・勾留され、250日間にもわたって横浜拘置所で過ごした。この強烈な体験は著書『取調室のハシビロコウー黙っていたら、壊された。ある弁護士の二五〇日勾留記』(時事通信社)にて記され、大きな反響を呼んでいる。

現在は国家賠償訴訟で「黙秘権を行使した後の取り調べ強制は違法である」と問い続けており、最高裁での判断を待つ江口氏。本記事では江口氏の弁護人の宮村啓太弁護士とともに、取り調べの実態、人質司法の構造的問題、著書執筆の経緯について余すところなく語ってもらった。(聞き手:岩田いく実)

獄中手記から一冊の本へ:著書執筆の経緯

2018年10月、江口氏は交通事故をめぐる事件で関係者に虚偽の供述をさせたとして、犯人隠避教唆の疑いで横浜地検に逮捕された。

刑事弁護の第一線を歩む弁護士が被疑者として逮捕・勾留された事件は法曹界に大きな衝撃を与えた。その体験を世に問う著書『取調室のハシビロコウー黙っていたら、壊された。ある弁護士の二五〇日勾留記』の出版は、法律家の枠を超え、中学生・高校生にまで読まれるヒット作となっている。

著書を執筆された経緯と、書き上げる過程でどのような心境の変化がありましたか。

江口氏:拘置所にいる間から、日々の出来事や体重の変化、感じたことをメモし続けていました。保釈後は刑事裁判と並行しながら、そのメモをもとに獄中手記のような形に仕上げようと書き進めていました。ただ途中でいったん止まってしまい、世に出す場所もなく抱えていたんです。

時事通信社さんからたまたま「本にしませんか」とご連絡をいただき、執筆に至りました。私が受けた取り調べの実態や、被疑者・被告人が陥る心理状態、拘置所の設備や生活のリアルを社会に伝えたいという思いがあったからです。

執筆中は過去を振り返ることになりますが、心境の変化はありましたか。

江口氏:執筆は手書きで書き進めていきました。当時の情景や匂い、聞こえた音が次々と頭の中によみがえり、筆が止まらなくなりました。気がつけば4か月で12万7000字以上を書き上げていました。

ただ、書き終えたからといって癒やされるかというと、そうではなかったです。嫌な記憶は嫌な記憶のままですね。それでも、社会に伝えたいという一心で書き切りました。本という形になった時に感じたのは、「あの出来事があったから今がある」という、区切りとも言い難い、静かな実感でした(※)。

※江口氏は一貫して無罪を主張したが、刑事裁判は最終的に有罪判決を受けて終結し、現在は勾留や取調べの違法性を争う国家賠償訴訟が係争中

読者の反響はいかがですか。

江口氏:実務家だけでなく、法律と縁のない一般の方にも読んでいただいています。「面白かった、一気に読めた」という声も多く、ありがたいです。

さらに、「取り調べってこんなに酷かったのか」「被疑者ってこういう気持ちになるんだ」という感想をいただいており、体験が伝わってよかったなと。ある中学校で行われたビブリオバトル(※)で、本書が1位を獲得したと聞き、若年層の方にも読んでいただけて嬉しいです。

※参加者が本を紹介し合い、いちばん読みたくなった本を投票で決める書評ゲーム

56時間超の取り調べ……それでも自白しなかった

検察官による執拗な取り調べで体重が激減するほど追い詰められながらも、江口氏は一切の虚偽自白を拒んだ。

56時間超の取り調べに耐え、虚偽自白をせずに踏みとどまれた理由を教えてください。

江口氏:堪え切れた理由は大きく2つあります。ひとつ目は、刑事弁護人としての経験から「起訴されるだろう。だとすれば、公判での被告人質問が勝負だ」と予測していたことです。公判を見据えると、捜査段階で矛盾した供述を残してはならない——この感覚が最後まで働き続けました。

もうひとつは、妻が早い段階で宮村弁護士を通じて「家のことは気にしなくていいから、主張を曲げないで」と伝えてくれたことです。自分を信じてくれている家族がいる。だから最後まで嘘の自白をせずに済んだと思っています。

人質司法の構造:取り調べはどうあるべきか

江口氏のご経験はもちろん、今、人質司法(※)が大きな話題となっています。では、あるべき取り調べとはどういうものでしょうか。

※否認や黙秘をすると身体拘束が長引きやすく、早期解放と引き換えに自白へ追い込まれやすい刑事手続の構造

江口氏:人質司法にはたくさんの問題があります。罪を認めず、争っていると長期間勾留される。社会的立場を失わせる勾留。長時間にわたり罵倒され、硬いパイプ椅子に座らされ続ける取り調べ。そして、拘置所の設備や処遇も刑務所の既決囚のようです。こういった数々の要因が、被疑者に強いストレスを与え、虚偽の自白をしてでも早く解放されたいと思わせる構造になっています。

取り調べについて言えば、これだけ問題になっても警察・検察は「この取り調べのやり方に何ら問題はない」と主張しており、自ら変わることは期待できない。だとすれば、「黙秘する意思を表明した後は取り調べを終了しなければならない」というルールが徹底されなければならないと考えています。

現在の学説や実務ではどう議論されていますか。

江口氏:私たちは「黙秘権が行使された場合は、直ちに取り調べを終了すべきだ」と主張しています。一方、国側は「いつまでも無制限に続けていい」という立場です。その中間として、検察出身の研究者から「一定の時間が経てば終了しなければならない」という論もあります。しかし、「一定の時間」という基準が曖昧すぎて、結局、取調官(とりしらべかん)の裁量になってしまいます。このままでは黙秘権は骨抜きです。

そもそも取り調べ室では弁護人が立ち会えない。被疑者は一人で取調官に向き合わされます。その状況で、一定の時間が経ったかを自分で言える立場にはありません。権力勾配(※)は大きく、取調官の裁量に委ねる基準では到底あるべき形とは言えません。

※立場や権限、情報量の差によって生じる力関係の偏り

宮村弁護士:私も江口さんと同じく、「取り調べがどうあるべきか」よりも、そもそも取り調べを強制することが許されるのか、という点が核心だと考えています。問題は2つに分解できます。

1つ目は、「そもそも被疑者に取り調べを強制することが憲法上許されるか」という問題です。憲法は黙秘権を保障しています。つまり取り調べで供述するかどうかの意思決定を被疑者の自由に委ねると憲法が定めている。

だとすれば、強制的に取調室に連行することや、取調室に入った以上はトイレにも自由に行かせないことや、何十時間にもわたって人格攻撃を浴びせ続けることなどが、憲法の趣旨に適うはずがありません。

2つ目は、今の身体拘束制度そのものと、その運用の問題です。ある日突然逮捕されて拘置所に入れられた時、人が真っ先に望むのは何か——それは無罪判決でも国家賠償でもなく、まず「早く出たい」ということです。

否認・黙秘していると身体拘束が続きやすく、いつ解かれるかわからない。弁護人でさえ保釈がいつ認められるか確約できない。結果として、被疑者は「早く出るためには罪を認めるしかないのか」と思ってしまう。

身体拘束制度が改善されれば、弁護人が「否認・黙秘していても、勾留要件がなければちゃんと釈放されるから」と言ってあげられる。でも今は言えない。否認・黙秘していると身体拘束のリスクが高まるというのが現実であるため、被疑者は「やっていないけど、認めて早く出よう」と追い込まれてしまう。

本来何も犯罪に関与していない人が、そこで自白してしまったら罪が完成してしまう。これは極めて深刻な問題です。

弁護士が被疑者になって気づいたこと

刑事弁護人として培ってきた認識は、この事件を経験して変わりましたか。

江口氏:変わった認識は本当にたくさんあります。一番大きかったのは、孤独の深さです。家族や知人と会えない、手紙のやり取りも制限される、スマートフォンもパソコンも没収されてテレビもない。外部の情報が一切入ってこない中で、自分で情報を収集・分析・整理して考えることができない。

その結果、判断を下す時に頼れるのは弁護人だけになります。弁護人が世間との唯一のパイプ、ほぼ唯一の情報源になるということを、頭では分かっていたつもりでしたが、切実に感じました。

宮村弁護士:私にも変化がありました。通常の弁護活動では、依頼者に黙秘のメリット・リスクを共通認識にできれば、黙秘は実践できると思っていた節がありました。特に江口さんの場合は弁護士なので、起訴後の公判でどう証拠が使われるかも共有でき、共通認識に達することは比較的容易でした。

ところが取り調べの録音録画映像を見て、はっきり分かりました。頭で理解できても、あれだけ感情的に責め立てられ、何十時間も取り調べられたら心が折れる。取り調べを受け続けるのを強制すること自体を、止めなければなりません。この認識を深めるきっかけになりました。

国家賠償訴訟の現在地

江口氏は現在、国家賠償訴訟を通じて取り調べの違法性を問い続けている。一審・二審を経て現在は最高裁の判断を待つ段階だ。

国家賠償訴訟の一番の争点を教えてください。

江口氏:黙秘権の行使を表明した後、取り調べを強制することは許されない。言い換えれば、取り調べは中断・終了しなければならない。この点について最高裁がどう判断するか。ここが私たちにとって本丸です。一審では取り調べの個々の言動の違法性は認定されましたが、黙秘権行使後も取り調べを続けたこと自体は違法ではないとされた。

それだけでなく、私たちが予備的に主張していた「一定時間経過後は許されなくなるはずだ」という論点に対してすら、裁判所は正面から判断を示すことを回避したんです。

宮村弁護士:だから最高裁に上告しています。私たちが問うているのは、個々の取調官の言動が適切だったかどうかではない。黙秘権を行使した被疑者に対して延々と取り調べを続けたこと自体が違法だという点です。

たとえば、今後は長時間の取り調べを、非常に礼儀正しく、「さん付け」して、真摯(しんし)な態度で続けたとしたら、どうでしょうか。言葉遣いが丁寧であったとしても、長時間にわたって取り調べを続ければ、被疑者は追いつめられるでしょう。

江口氏:首の締め方をどれだけソフトにしても、首を締めること自体は変わりません。取り調べが続くということ自体が、被疑者を心理的・身体的に追い込んでいくのです。だから言動の問題ではなく、取り調べの継続を強制したこと自体が違法だという判断を最高裁に求めています。

国家賠償訴訟を続ける理由:人質司法を変えるために

国家賠償訴訟は今、最高裁の判断を待つ段階にある。江口氏と宮村弁護士が一貫して求めているのは、個々の取調官の言動を責めることではなく、「黙秘権を行使した被疑者に取り調べを強制できる」という身体拘束制度を利用した取り調べ実務の根幹を是正することだ。

現在は、「CALL4」(※)で訴訟資料を公開するなどしながら、この訴訟を社会全体の問題と位置付けて、戦い続けている。

※公共訴訟を支援し、訴訟資料や解説を公開するプラットフォーム

誰もがいつでも逮捕される可能性がある。その時に何が起きるか——それを知るだけでも、人質司法を変えるためには必要であろう。

■プロフィール

江口大和(えぐち・やまと):元弁護士。1986年長野県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、東京大学法科大学院を修了。2014年弁護士登録後、主に刑事弁護に携わる。2023年、執行猶予付き有罪判決が確定。

宮村啓太(みやむら・けいた):弁護士。逮捕後の江口氏の弁護人を務め、現在は国家賠償訴訟の代理人として、黙秘権行使後の取り調べ強制の違法性を最高裁で問い続けている。

岩田いく実:損害保険会社、法テラス、一般民事系法律事務所に勤務後、ライターに転身。パラリーガル経験を活かし、年間60人を超える弁護士・税理士を取材。相続や離婚、不動産売却、債務整理、損害保険などのテーマを中心に執筆。第一法規『弁護士のメンタルヘルスケアの心得』で記事執筆、自主出版に『ルポ豊田商事』がある。

※訴訟資料はCALL4で公開されています。『日本の「黙秘権」を問う訴訟〜56時間にわたる侮辱的な取調べは違法〜』をご参照ください。

配信元: 弁護士JP

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