京都府南丹市の山林で小学生男児の遺体が見つかり、父親の安達優季被告(37)が逮捕されてから1か月余りが経過した。この事件は連日、テレビ各局の報道・情報番組で大きく取り上げられ、SNS上でも父親が逮捕される前から「犯人探し」の投稿が相次いでいた。

一方で「報道しすぎ」「過熱しすぎ」などと批判する声も広がり、一部のコメンテーターも番組内で苦言を呈した。放送倫理・番組向上機構(BPO)の公式サイトでも、「民放各社の報道が過熱している」「多すぎて、長すぎて、しつこい」といった視聴者の意見が紹介されている。
この事件をめぐるテレビ報道は本当に「過熱」していたのか。それとも、事件の性質を踏まえれば「妥当」だったのか。テレビの放送量ランキングを公表しているJCC(東京都台東区)から提供を受けたデータをもとに、メディア論の専門家に見解を聞いた。
辺野古沖事故など3件と、京都男児殺害事件を比較
複数の報道によると、事件の発端は3月23日。安達結希さん(11)が登校途中に行方不明となり、警察による大規模な捜索が行われた。4月13日に南丹市内の山林で遺体が発見され、3か日後の4月16日には父親の安達優季被告が死体遺棄容疑で逮捕。さらに5月6日には殺人容疑で再逮捕され、5月28日に殺人と死体遺棄の罪で起訴された。
この事件は実際、テレビでどの程度報じられたのか。
以下の比較は、JCCから提供を受けた日ごとの話題別放送量データに基づく。このデータは、NHK総合、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビの首都圏の計6局を対象とし、各局の放送量を合計したものだ。もっとも、放送量は局ごとにバラつきがある。
京都男児殺害事件(集計期間:26年3月26日~4月20日)の放送量は、安達優季被告が逮捕された4月16日にピークに達し、6局合計で18時間39分におよんだ。
靴が見つかった4月12日は1時間24分だったが、遺体が発見された13日以降に放送量が急増。この日は8時間19分、身元が判明した14日は14時間24分、自宅を家宅捜索した15日は16時間42分と増えていった。
さらに、殺害を認める供述をしたと報じられた17日も14時間26分におよび、週明け月曜日の20日も6時間53分を記録した。
報道量がなお高水準だった20日は、ジャーナリストの池上彰氏が「大下容子ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)で、「もういいんじゃないですか」「もうこれ以上、扱わない方がいいんじゃないかな」と述べ、報道のあり方に疑問を呈していた。
では、26年3月16日に発生した「辺野古沖抗議船転覆事故」(集計期間:26年3月16日~4月18日)はどうだったのか。
放送量のピークは、同志社国際高校が記者会見を開いた3月17日で、6局合計で5時間4分。事故当日の16日は1時間12分、会見翌日18日は2時間17分だった。ただし集計期間後に、「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)などで特集する動きもみられた。
京都男児殺害事件を過去の報道とも比較する。
俳優・広末涼子さんが25年4月上旬に交通事故を起こし、搬送先の病院で看護師を怪我させたとして逮捕された事案=傷害容疑は不起訴、過失運転傷害罪で罰金70万円の略式命令=も、連日テレビで大きく取り扱われ、「過熱報道」だと指摘する声が上がっていた。この事件(集計期間:25年4月8日~同年5月5日)のピーク日は4月9日で、6局合計で5時間44分だった。
また、18年8月中旬に山口県周防大島町で2歳男児が行方不明となり、ボランティアの男性が発見した一件も、テレビが集中的に報じたケースだ。この件(集計期間:18年8月12日~同年8月26日)のピーク日は8月16日で、6時間15分だった。
つまり、京都男児殺害事件は、辺野古沖抗議船転覆事故だけではなく、広末さんの一件や山口県2歳男児行方不明事件と比べても、放送量が突出して多かったことが分かる。
「他の出来事と比べても破格の扱い」「過熱だったと言わざるをえない」
慶應大メディア・コミュニケーション研究所教授の津田正太郎氏(メディア論)は、上記のデータを受け、「過熱だったと言わざるをえない」と指摘する。
「4月13日から17日にかけての放送量がものすごい。他の出来事と比べても破格の扱いを受けている。メディアの報道量を比較することは難しいのだが、それでも今回の報道は多すぎたと言わざるをえない」
では、京都男児殺害事件が「過熱報道」になったのはなぜか。津田氏は、その理由は番組や現場の当事者に聞かない限り判断できず、外部からは一般論として説明することしかできないと留保した上で、複数の要因を挙げた。
1つ目は、事件が「現在進行形」で展開したことだ。行方不明から所持品の発見、遺体の発見、逮捕といった経過が段階的に明らかになり、視聴者の関心が次第に高まる。テレビ局もその反応を見ながら放送量を増やす。このような循環が生まれていたという。
さらに、進行中の事件は視聴者が関与しやすく、「誰が犯人か」「なぜ起きたのか」という考察が起こりやすい。テレビでもSNSでも「ああでもない、こうでもない」と語れる余地がある。この点も「大きな特徴だった」と津田氏は分析する。
2つ目は、テレビという媒体の特性に関わる。多くの話題をカバーできる新聞に比べ、テレビは扱う話題を絞り込まざるをえず、特定の話題にリソースが集中しやすい。また、いわゆる「絵になる」要素が多い話題ほど繰り返し取り上げやすいという。
3つ目は、被害者が「子ども」だったことだ。津田氏によれば、ニュース研究には「理想的な被害者」という概念がある。子どもや高齢者のような人々が被害者だった場合、視聴者から「脆弱な存在」だと認識され、共感を集めやすいという。
4つ目は、テレビ局同士の横並び意識だ。ある局が大きく扱わなければ、「他局はあれほど報じているのに、なぜ報じないのか」と問われかねない。各局が互いの動向を意識して同じような報道をしてしまい、その結果、特定の報道に偏ってしまう傾向がある。
一方で津田氏は、じつは「どこからが過熱報道なのか」を客観的に線引きすることは難しいとも話す。どの報道を「重要」とみなし、どの報道を「過熱」だとみなすかは、受け手の価値判断が入り込むからだ。
「京都の事件が過熱だったと言ったのも、最終的には私の価値判断です。しかし他のいろんな出来事と比較しても、やはり報道量が多すぎたんじゃないかと思います」
改めて「過熱だった」と指摘した津田氏。では、過熱報道にはどのような問題があるのか。
1つ目は、報道のリソースが特定の事件に偏ることだ。人員や放送時間などは有限である以上、取り上げる話題は取捨選択せざるをえない。だが一つの事件を過度に報じれば、それ以外の出来事が報道されなくなる。
さらに、その出来事に対する社会的関心を高め、新情報に対する大きな需要を生み出すにもかかわらず、それが出てこないということも起きる。それでもメディア側が無理をして供給を続ければ、伝えられる情報の質は必然的に悪くなる。他方で、読者や視聴者が新しい情報を求め、根拠不明の情報に飛びつく危険性もあるという。
2つ目は、現地の住民や関係者への負担が大きくなることだ。特定の地域に多数の報道関係者が集まれば、メディアスクラム(集団的過熱取材)が起こりやすくなる。
こうした状況に対し、メディアはどう改善すればよいのか。津田氏は「たとえばメディアの内部にいたとして、京都の事件を取り上げないという選択を取れるのかと問われると、多分難しいだろうと思う」と率直に述べ、単純な解決策を示すのは難しいと語った。
津田氏は答えに苦慮しつつ、「自分たちが何を伝えるべきなのかを考える必要がある」「目先の数字にある程度左右されない努力も必要なのではないか」と指摘した。