精神科を訪れるのはメンタルを患った人々だ。なんらかの理由で、精神のコントロールが難しくなり、日常生活を営むのもつらくなり、そして医師の世話になる。
しかし、訪れるのはメンタルを病んだ人だけではない。自分のことがわからなくなってしまった重度の認知症の人が、家族の希望で訪れ、症状次第では強制入院というケースもあるという。
それは、そこまで家族が追い詰められている裏返しでもある――。
※この記事は、関東X県の精神科救急病院に勤務する現役精神科医・駒木爽氏の書籍『精神科医おどおど日記』(三五館シンシャ)より一部抜粋・構成しています。
人間は思い出と記憶からできている
「先生、最近Netflix契約してQOLバカ上がりです」
そう気さくに話しかけてきたのは外跳ねボブの看護師・Yさんだ。私は空いた時間になるべく医療スタッフと雑談する。そうしておくと、いざ困りごとがある際、向こうから話しかけやすいと思うからだ。そのせいで雑用も頼まれやすく、病棟に顔を出すたびに仕事が増えているのだが・・・・・・。
心の砂漠にいつもオアシスを与えてくれるYさんが、Netflixの記憶喪失ものの恋愛ドラマを勧めてくれた。自らも何年か暮らした北国を舞台にしていると知り、興味を惹かれた私は当直中に見始めた。
冒頭から物語に引きずり込まれたものの、たびたび院内携帯に割り込まれ、興を削がれる。コールが鳴るたび舌打ちが出そうになるので「これはいかん」といったんやめ、当直明けに帰宅して見始めた。一睡もせぬまま全話ぶっ続けで見てしまった。
その作品中に「人間は思い出と記憶からできている」というセリフがあった。なるほど、たしかにそうかもしれない。しかし、それでは、思い出と記憶がなくなった人間はどういう存在になるのだろうか――。
閉鎖病棟にたくさん入院している重度認知症患者
私が勤務しているS病院の閉鎖病棟には、重度認知症の患者がたくさん入院している。
この疾患は、2025年の厚生労働省の報告で患者数700万人という統計が出されているが、精神科救急病院に運ばれてくる患者は、その中でも暴言、暴力、徘徊が進行した一筋縄ではいかぬ人たちである。
病院の診察が始まる午前9時。開院時間を待っていたかのように80代のKさん夫婦から、緊急で受診したいと病院に連絡が入った。電話口の妻は「夫の認知症がひどくて一緒に暮らすのはもう限界。今すぐ入院させてほしい」と話しているという。
「夫に話を聞かれると興奮するから先に話をさせてほしい」とのことで妻のRさんだけが診察室に現れた。その顔を見て、ぎょっとする。一見して違和感を覚えるほど化粧が濃い。なんだか油絵みたいだ。
「主人は認知症でなんとか家で世話してきたんですけど、もう限界です。最近ではトイレもわからないみたいでゴミ箱や床に平気でおっしっこするんですよ。毎日気が狂いそうで」
すがりつくような目で訴えながら、息を荒くする。
「一昨日は『財布がない。おまえが盗んだ』と怒りだして、杖で叩かれました。見てください、このアザ」
Rさんが指差した左瞼にはうっすらと青アザが見える。異常な化粧はRさんがこれを隠すためだったらしい。油絵みたいなんて思ってごめんなさい。
「昨日は夜中に『工場を見てくる』と言って外に飛び出して迷子になって、警察に保護されたんです。工場なんてもうとっくにやめているのに」
Kさんは3年ほど前から物忘れが目立ち始め、2年前に近所のクリニックでアルツハイマー型認知症と診断された。
記憶力が失われていく病がなぜ精神科なのか…
認知症は、記憶力が少しずつ失われていく病だ。最近の出来事から忘れていき、同じことを何度も繰り返すようになる。持ち物の置き場所がわからなくなり、「ここに置いたはずだ」という確かな記憶はやがて「誰かが盗んだ」という妄想にすり替わる。
その矛先は、たいてい長年連れ添った配偶者に向かう。理性は崩れ、気分のムラが激しくなる。時に怒りにまかせて手が出る。そこにかつての穏やかだった姿はない。
Rさんはケアマネージャーと相談して施設入所を検討していたが、夫の病勢はその手はずが整うのを待ってはくれなかった。
精神科で行なうのは、認知症の症状を少しでも和らげ、穏やかな元の姿に近づけるための薬物療法や、介護サービスの導入などを勧める環境調整だ。ただ、これはあくまで認知症の進行を遅らせるための「つなぎ」だ。歳を重ねるごとに脳内の神経細胞は確実に減り続け、認知症は進行していく。それをとめるすべはない。
あとから妻のRさんに連れられ、Kさんが杖をつきながら入室してくる。汚れやシミが目立つ作業着姿。10年以上前に退職した職場のジャンパーをまだ着ているようだ。
「今日は妻が勝手に連れてきたんですよ。悪いところはないです」
83歳だが、声はしっかりしている。
「最近忘れっぽくなって困ることはありませんか?」
「もう歳ですからそりゃあ忘れることはあります。けど精神科にお世話になるほどじゃない」
「奥さんに手が出ることがあると聞きました」
「そんなことしてませんよ!」と元気すぎる大声。
聞き取りのあと、長谷川式と呼ばれる認知機能検査を受けてもらう。結果は8点。重度の認知機能障害だ。
「Kさん、奥さんのお話からは家での生活は難しそうです。病院に入院しませんか」
その瞬間、シワだらけの顔の目がカッと開かれ、強い生気を宿した。
「入院なんてせんぞ!ここはキチガイ病院でしょう。仕事もあるんだ。ワシは家に帰る!」
認知機能障害がここまで進むと、自分の状況は正確に理解できない。なぜ病院へ連れてこられたのか、なぜ入院が必要なのか、本人にはわからない。
「入院しましょう」と伝えて素直に頷く患者はほぼおらず、怒り出して、暴れる人もいる。
入院の話を続けようとすると、Kさんは大声をあげながら、杖でデスクを叩き、机の上の書類が散乱する。杖で私を殴らないのはまだ理性があるためか。
ただ、こうして暴れてもらったほうが、われわれ精神科医も楽に強制入院の判断を下せる。暴れる認知症患者を受け入れてくれる施設はほかになく、自宅に帰れないとすれば、彼が行ける場所はもうここしかない。すぐさま応援の看護師を呼び、左右から支えながら保護室に搬送してもらった。
暴れまわる認知症患者になにをするのか
こうした認知症患者をどうするか?
「認知症 対応」とネット検索して、最初に表示される「相手のペースに合わせて急かさず穏やかに接しましょう」などという生ぬるい手法が効くのは、初期患者だけだ。それでなんとかなる人はここに来ない。とりあえずの対処法は、薬を使って鎮静だ。
「精神科は患者を漬けにする」とか「精神科医が認知症を作り出している」という批判があるのは知っている。そんな声を耳にすると、「それなら1日でも精神科救急で働いてみてください」と言いたくなる。
Kさんの入院が決まると、妻のRさんは「ありがとうございます」と何度も繰り返した。家族にとって「重度認知症患者の入院」は、単なる治療のスタートではなく、限界まで張り詰めていた日常からの救済でもあるのだ。

