
花の魅力を届ける人・吉原友美さんが伝えたい“花”は、植物を通じて、今の自分の心と向き合う「今日花(こんにちばな)」というあり方。
花を選び、飾ることは、自分と向き合い、今の気持ちを感じ取る行為。季節を通して今日の自分にまっすぐに向き合う手段としての花が「今日花(こんにちばな)」なのだそう。
そんな吉原さんの日常と花のある暮らしを、吉原さんの言葉でお届けします。



葉山で暮らすようになって、2年半が過ぎました。
海辺を歩く心地よさを知ったのも、この土地に来てから。
長く暮らした千葉の住まいも海の近くにありました。でも護岸されていたこともあり、朝夕に散歩をしたり、「海のそばで暮らしている」という実感を味わうことは、あまりなかったように思います。
犬を飼っていることもあって、私はよく歩きます。そんな私の「歩くこと」への見方が少し変わる出来事がありました。
それは、「裸足で歩く」という体験。
お世話になっている漢方の先生が開催しているワークショップに参加したのです。タイトルは「裸足で山を歩く ― 身体感覚を取り戻す、自然との再接続 ―」。
逗子の里山を裸足で歩きながら地面に触れ、身体感覚をひらいていくというものです。途中で漢方茶をいただきながら、医学的な視点も交え、自律神経や自然との関係について考えます。こうした考え方は「プラネタリーヘルス」と呼ばれるそう。
6月上旬、友人を誘って参加しました。
海岸に集合し、まずは砂浜を、そして波打ち際を歩きます。
途中、アスファルトの道を横切り、階段を上って山頂の公園へ。山頂といっても標高92メートルの超低山です。
普段ならあっという間に登ってしまう山道も、裸足だとまったく違いました。足裏に伝わる感覚を確かめながら、一歩ずつ、ゆっくり、ゆっくり。
小さな川の水の冷たさ。泥の柔らかさ。木の根の硬さ。普段は靴底に隠れてしまう土の表情が、足の裏から直接伝わってきます。
同行した友人は登山好き。山歩きには自信があるものの、裸足で歩くのは初めてだったそうで、「痛い、痛い」と小さく叫んでいました。
私も痛かった!
でも、不思議なことに慣れてくると、どこに足を置けばいいのか少しずつわかってきます。
足の裏から刺激を受けることで血流が促されるのか、全身がぽかぽかと温まり、心地よさが勝ってきます。
友人は、痛さのあまり何度も立ち止まりながら歩いていたそうです。けれど、そのおかげで普段なら見過ごしてしまうような草花や、ちょうど満開を迎えた紫陽花の美しさに気づいたのだと話してくれました。たしかに、この日の紫陽花はあまりにも見事。「ヤマアジサイ」の日陰やジメジメとしたところに好んで咲くその美しさにハッとしたという友人は、「今日、部屋に紫陽花を飾ることにする」と言って帰っていきました。
その言葉につられるように、帰宅した私も紫陽花を飾ってみました。
そのときどきの心が求める花を、私は「今日花(こんにちばな)」と呼んでいます。
裸足で歩き、足の裏の痛みから生きている実感と季節を感じた日の私たちの今日花。
それは、雨上がりの雫をまとった自然のなかに咲く紫陽花でした。
初夏の花の数輪の豊かさ
初夏のこの季節、庭先や街路樹、公園、花屋の店先などでよく見かける紫陽花。可憐な佇まいからか、ブーケやアレンジメント、ドライフラワーとしても親しまれ、多くの人の心をつかむ植物です。私も、紫陽花に惹かれるひとりです。ガクと呼ばれる小さな花びらのような部分がいくつも集まり、大きな花のように見えるのが特徴です。1、2本でも十分に存在感があるので、ほかの花と組み合わせず、紫陽花だけをフラワーベースにシンプルに飾るのが好きです。
花の部分にボリュームがあるため、水揚げのことも考えて、茎は短めに切るとバランスよく飾れるように思います。
写真/須賀浩二、吉原友美 編集・文/柳澤智子(柳に風)
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください

