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年金月5万円の84歳母に〈月15万円〉を援助する40代派遣社員の一人娘…「友だちにも言えない」「自分の老後も不安」仕事から帰宅後、母から放たれた耳を疑うひと言

年金月5万円の84歳母に〈月15万円〉を援助する40代派遣社員の一人娘…「友だちにも言えない」「自分の老後も不安」仕事から帰宅後、母から放たれた耳を疑うひと言

親の介護に直面するこども世代の負担は、年々深刻化している。40代の高蔵小鳥さんも、母を介護するなかで仕事との両立に悩んだ1人だ。母が「認知症」と「胃がん」を患っていることが同時期に発覚し、生活は一変。さらに2年後「バセドウ病」であることがわかる。様々な苦労を乗り越え、ようやく退院した母親。しかし、問題は山積していて――。旦木瑞穂氏の著書『しなくていい介護』(朝日新聞出版)より、高蔵さんの事例をもとに、介護において「手放してもいいこと」についてみていく。

無料で、1日3回でもOK…病院から教えてもらった「訪問看護指示書」

「バセドウ病」で入院していた認知症の母。ようやく退院するも…

退院後、高蔵さんは平日昼間は仕事でいないため、週3回のデイサービスのほか、1回30分の訪問介護に週4回入ってもらうことにした。しかしそれでも高蔵さんは、「認知症の母が左腕を上げてしまったり、症状が変わってしまったりしないか」と不安だった(※)。

※ペースメーカーが固定されるまで、3ヶ月ほどは左腕を肩から上に上げることは避けたい行為なのですが、認知症により、手術をしたことが理解できない母は、とにかくバンドは外すし、勝手に帰ろうとしてしまう。

「もっと訪問看護を増やすべきか」と悩んでいたところ、国の制度で「特別訪問看護指示書」というものがあることを、退院する時に病院から教えてもらった。

「うちの母の場合、訪問看護は週4回までしか来てもらえませんでしたが、この『特別訪問看護指示書』を医師に記入してもらうことで、14日間のうち4回以上、1日3回でも来てもらえるそうです。しかもこれは医療保険の範囲なので、母はすでに2月末から3月4日まで入院していたため、医療費は限度額に達していて、訪問看護の費用は発生しないとのこと。国の制度は知らないと利用できず、自分から取りに行かないと使えませんから、上手に情報を得ないともったいないなと思います」

高蔵さんは14日間、昼と夕方に訪問看護師に来てもらえるようお願いした。

仕事でいない日は「スマートスピーカー」が稼働…スマート家電で負担減

そのほか高蔵さんは、カメラやスマートスピーカーなどの機械を使って、自分がいない間の母親の安全を確保し、自分を安心させることに努めた。

例えばカメラは、デイサービスがない日にカメラで母親の様子を外から確認し、時々カメラ越しに声をかけるなどして活用している。スマートスピーカーは、時間ごとに流す声を設定。例えば数時間ごとに「お母さん、水を飲む時間です、机の上の水を飲みましょう」という声を流し、熱中症を予防。他にも、「お母さん、夜ご飯が机の上にあります。他の人の食事は作る必要ありません」とか、「お母さん、明日はデイサービスの日です。9時に迎えにきます」などを設定している。

「これで母を完璧に動かせるわけではないですが、水を飲むタイミングはちゃんと聞いて実行してくれています。私の方は、スマホで部屋の様子が見えるし、母からは私の顔が見えるので、母もあまり違和感なく会話できています」

また、認知症の症状としてよくある、今日が何月何日で、今何時なのかがわからなくなることに対応するため、画面付きのスマートスピーカーに日付と時間を表示させておいた。

献身的な介護が母にもたらした大きな変化

母親は、胃がん以降自己免疫疾患の一種である「バセドウ病」になり、そして脈が異常に少ないことが判明してペースメーカーを入れる手術を受け、退院した月の月末、喘息を発症していた。その後、骨がスカスカになっているということがわかり、骨密度を上げる注射を週2回2年間、訪問看護の時にお腹に打ってもらっていた。

母親の通院が増えることが決定し、高蔵さんの有給休暇はほぼ全部、母親のために使い果たした。それでも足りない年もあり、派遣を始めて1年目、2年目はやむをえず欠勤することもあった。

その間、あまり家の中や施設に閉じこもってばかりではいけないと思い、初めは近くのレストランにランチに行くことからはじめ、母親が元気になってきてからは、年に1〜2回は京都や金沢などへの旅行やドライブに出かけた。

胃がんの手術以降、思うように食事ができなくなってしまった母親は、現在も肉や刺身は苦手だが、それ以外は食べられるようになった。

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