今の生活を続けることはできない…働きながらの「在宅介護」が難しいワケ
2024年3月。母親の認知症発症と胃がん手術から5年の月日が流れた。
5年間通院してきた病院の主治医には、「最終のCT検査で何もなければ、いったん通院は終わりです」と言われた。「バセドウ病」の方の医師からも通院の間隔を延ばす話があり、経過は順調だ。
「認知症があるので、身体が元気になると活動的になる分、目が離せないのは変わりません。でも、月に4回も通院していたのが、行かなくて良い月もでてきて、介護が少し楽になりました。このまま、穏やかに過ごしてくれるといいな〜なんて思っています」
高蔵さんは、再び働き方について考えていた。
「一番の理想は、時給が高く働く時間を減らせること。それは時間の余裕と、心の余裕を生むことだと思います。母の認知症の進行を見ていると、在宅介護をするうえで、今の方法では通用しなくなる日は近いなと感じています。週に3日ほど仕事に出て、2日間はリモート、そんな働き方が私にとっての理想ですが、派遣という仕事はきっちり終われて、休みの融通もきくという反面、職種にもよりますが、給与があがりにくいという側面があります」
母親の年金は、ひと月5万円ほど。母親の医療費や介護費用のほか、生活費なども入れたらそれでは全く足らないため、不足分は高蔵さんが補っている。
「私と母は一緒に住んでいますが、世帯分離をしていて母は単独非課税世帯のため、たまに市から助成金などがある時は助かっています。ペースメーカーを入れたため、障害者手帳を持っているので、医療費はかなり抑えられています。『介護費用限度額』で後日戻ってくるお金もありますが、母の介護費用は4万くらい。私は毎月15万円くらいを母との生活費に充てていますが、ほとんど貯金ができず、私自身の老後のお金の問題は切実です」
派遣の高蔵さんにとって、苦しい生活が続いていた。
正社員登用が一筋の光明に…生き方を見直すキッカケになった「介護生活」
転職活動をしようかと思っていた2025年の1月。派遣先の子会社から正社員登用の話があり、4月から正社員として働き始めることになった。
高蔵さんは、「週に1〜2回リモートもあり、勤務時間が8時間から7時間になるため、これまでよりも働きやすそうです」と胸を躍らせる。母親を懸命に介護しながらも、実直に働く姿勢が認められた結果に違いない。
42歳まで、家のことは母親に任せきりで、家事も家計もわからなかった高蔵さんだが、これまでの約5年で目覚ましい成長を遂げてきた。
「最初の1〜2年は、見えない、わからないものと向き合うグレーな期間が続き、精神的にも肉体的にも疲弊しました。しかし、介護は自分の生き方を見直すきっかけになりました」
たられば言っても仕方がないことはわかっていても、「母が認知症でなければ……」と思ってしまうこともあったと言う。だが今は、「介護は半分仕事のような気持ちでしている」と話す。
「できないことも増えてきていますが、忘れてしまうことをそれほどマイナスに考えず、『私がいるんだから、お母さんは別に忘れても困らないでしょ』と母にはよく言っています。それでも落ちこむことはありますが、自分で自分に『私は今できることの最善を尽くしている!』って自分を励ましています。だから、友だちと会うことがあっても、私はほぼ母の介護の話はしません。聞く方もしんどいかなと思いますし、わざわざ母の介護の話をしなくても、ガス抜きはできているかなと思っています」
どうしようもなくなった時は、1人でカフェに行ったり、ドラマを見たり、早く寝てしまったりするなどの気分転換をしている。ブログを書いて気持ちを整理することもある。
「幸いにも大きな病気も早めに見つかり、母の命は助かっています。時々とんでもなくボケたことを言いますが、家で吉本新喜劇が繰り広げられていると思うようになり、介護を始めた当初ほど、苦しむことはなくなりました。手を焼くことも多いですが、もともと愛情深く、優しい母なので、私が1人で看れるうちは、在宅介護をするつもりでいます」
84歳になった母親は、昨年の夏くらいから、時々高蔵さんのことさえわからない時があり、「娘はどこ?」と言ったり、仕事から帰ってくると、「なんでここに帰ってきたの?」と言うように。要介護認定は、更新時に3になった。要介護3であれば、特養に入所できる。高蔵さんの場合は世帯分離しており、母親は非課税なので、費用も低いはず。認知症でも特養に入ることは可能だ。
筆者は、介護は介護者と被介護者の「納得のプロセス」が重要だと考える。42歳まで母親に甘えてきた恩返しもあるかもしれないが、もう十分返せたのではないだろうか。母親が高蔵さんのことを完全にわからなくなった時が、一つの区切りかもしれない。
旦木 瑞穂
ノンフィクションライター/グラフィックデザイナー
