港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:「まさか…」8年ぶりにインスタでつながった彼女。コメントで知った驚きの事実とは
― 2度と来ることのない場所だと思ってたけど。
麻布十番駅から徒歩10分弱。二の橋近くにあるこのビルでの待ち合わせがYUMEの指定だと聞いた時のともみの驚きは、後ろめたさや怖れなどが入り交じった複雑なものだった。
YUMEが歌えなくなったのも、それが違法な整形のせいであることをともみが知ったのも、まさにこのビルでの出来事だからだ。
― YUMEにとっても、思い出したくもない場所のはずなのに。
受付で松本公子の名を告げると、パスをもらい指定された部屋がある6Fへと向かう。このビルは、一棟丸ごとある音楽レーベルが所有し、鏡張りのレッスン室やジム、カフェやシャワールーム、さらにはホテルのような宿泊施設もある。泊まり込みで作品作りができる音楽スタジオで、ともみが、アイドルグループ“QUINTZ(クインツ)”のメンバーだった頃の一時期には、住んでいた、が過言ではないほど通っていた。
― Nebula(ネブラ)
重厚な防音扉の横に掲げられたネオンサインの文字を、声に出さずに呟く。このビルにある3つのレコーディングルームにはそれぞれ名前が付けられていて、このNebulaは星雲。宇宙の塵やガスが集まり、新しい星々が誕生する“星のゆりかご”。様々な才能が混じり合い、新しい音楽、新しいスターが生まれていく場所、というイメージでつけられたらしい。
こんなに重かった?…と防音扉を開けると、「あら。ともみは相変わらず10分前には到着ってタイプなのね」と、公子に迎えられた。
「真壁ちゃんは、韓国から戻る飛行機が時間通りに飛ばなくて、羽田到着が遅れてるらしいの。でも空港から直で来てくれるから」
かつてQUINTZの音楽ディレクター兼プロデューサーだった真壁リオは、今や世界中からオファーを受ける売れっ子になっている。彼女も同席の予定だとは今知ったけれど、何の感慨もない。それよりも。
― 案外、平気なものだな。
TOUGH COOKIESにやってきた公子に、今SNSで話題の歌い手がYUMEなのだと映像を見せられた。AIで描かれたキャラクターが歌っていたけれど、その声はあまりにもYUMEのままで、血の気が引いて倒れかけた。だからこのビル、ましてやこのレコーディングルームに入れば、また体が反応してしまうのではと覚悟をしてきたけれど、どこか他人事のように冷静でいられている。
「だいぶ懐かしいんじゃないの?そこに座って」
公子に促されたのは、壁二面に沿うように置かれた10人は悠に座れるL字ソファー。あの頃は新品だったはずの深い緑が随分と色あせ、もう落ちないのであろう染みが全体に散らばっている。過ぎ去った年月を感じながら、ともみはL字の角に腰を下ろした。
「ともみさんが同席するならば、公子とも会う」
そう言ったというYUMEはまだ来ていない。公子は分かりやすく浮かれ、絶え間なく喋り続けていたが、ともみはいちいち応えるつもりもなく、携帯に目を落としたままやり過ごした。
そして約束の時間を10分ほど過ぎ、もしかしてすっぽかされるのでは、と公子が慌て始めた頃、重い扉がゆっくりと軋んで――現れたのは。
「わぁ……本物のともみさんだ。本当に――来てくれたんですね」
「…YU、ME?」
「はい。お久しぶりです」
グレーのTシャツにジーンズ。そしてネイビーのキャップ。「毎日服を選ぶのが面倒くさい」と同じものを何着も購入していた頃と変わらず、飾ることを好まぬシンプルな恰好。随分ほっそりとしたけれど、えくぼが可愛い控えめな笑みは確かに、YUMEだ。
「ゆ~め~!今日は来てくれて、ほんっとありがとねぇ~。ていうか、随分大人っぽくなっちゃって、びっくりなんだけど!」と、鼻息荒く、ハグを求めて両手を広げた公子を無視するようにかわして、YUMEは一直線にともみへと向かってきた。
さっきまでの冷静さは吹き飛び、かあっと喉が焼け、どくどくと脈が跳ねる。何を言えばいい?何を言うべき?地上に打ち上げられた魚にでもなったかのような息苦しさで、ともみはただ、YUMEを見つめることしかできなかった。
「…今、何歳に?」
2つの年の差が変わるわけないのに。ようやく出たのは間抜けな問いだった。恥ずかしくなったともみを、YUMEが笑った。
「ともみさん、親戚のおばちゃんみたい」
「え?」
「お正月とか、年一で会ってるのに、毎年必ず聞いて来る人いません?ゆめちゃん、いくつさなったんだばね?そっか、おっきくなったもんだねぇ…って」
本名は夢子です、とはにかんだ初対面の日、青森弁が抜けず標準語に苦労していた音楽雑誌の取材――など、鮮やかに次々と思い出す。ほっそりとしたのは少女が、大人になったからだろう、という自然な変化で、嫌な痩せ方ではないことにともみは少しだけホッとした。
「26歳です。ともみさんには――ずっと会いたいと思ってました」
夢子はともみの横に座った。十分なスペースがあるのに、まるで寄り添うように。するとカシャっと音がして、そちらを向くと、公子が2人にスマホを向けていた。
「今、写真撮ったんですか?」
「だって、あの頃を思い出しちゃって。YUMEはいつもともみを探してたっていうか、何かとともみの隣に座りたがったよね。いや~こういうのが、エモいっていうの?」
ともみは呆れて立ち上がり、公子からスマホを奪うと、今撮られた写真を、フォルダから、そしてごみ箱からも完全に削除する。
「ちょ、ちょっと何するのよ」
「エモいとか、気持ち悪いです」
「は?」
「今のYUMEは顔を隠して活動してるのに。その写真を撮ってどうするつもりですか?」
「……どこにも出さないわよ」
口を尖らせた公子を、全く信用できなかった。ほおっておけば、すぐにSNSに上げてしまうだろう。しかも、最もいやらしい方法――今話題の覆面シンガーが、『元QUINTZのYUME』であることを匂わせる形で。
― この人は何だってやる。しかも金がない今なら、なおさら。
実は、このビルでYUMEと会うことが決まった後、ともみはすぐに公子の現状を調べた。TOUGH COOKIESに現れた公子が別人のように変わっていたからだ。おそらく20キロ以上は太り、肌も荒れ、ネイルは欠けて剥げ。かつてはどんなに忙しくても、外見のメンテナンスを怠ったことがなかったのに。金で解決できなくなったのでは?と予想したのだ。
予想は当たった。光江に紹介してもらった“壁”と呼ばれている情報屋によると(壁に耳り、ということからの命名らしい)、公子が経営している映像プロダクションは数年前に、多額の融資を受けて、大掛かりな海外ロケを行った映画が大コケしたことがきっかけで、経営が傾き始めた。さらにその損を取り戻そうと不動産投資に手を出したがそれも失敗。
そのせいで、映像の会社としての信頼をなくし、今や公子に映画やドラマ、番組の制作を頼むクライアントもいなくなっているという。
「状況はどんどん悪くなってるし、火の車どころか爆発した車ですよ。マジでヤバいからとっとと潰して解散するべきなのに、あの女社長が、しつこく足掻いてるっぽいですね」
データでは流出やハッキングの可能性があるからと、紙の報告書をTOUGH COOKIESまで持ってきた“壁”は、本名を名乗らないまま、ともみにそう言った。
光江が懇意にしている情報屋と聞いていたので、熟練のおじさまを想像していたけれど、成人しているのかと聞きたくなるほどの少年にも見えて。消えてしまいそうに薄い体と、眼鏡がずり落ち続ける青白い顔に、日に当たったことがないのでは?と心配になったけれど、淡々と報告を告げる唇だけは、異様に血色が良い。
「ここ半年は、ヤバい筋にもだいぶ金借りちゃってるみたいですから、すんげぇ利息だと思いますよ。そのうち、ポーンと行方不明にでもなるんじゃないっすか?まあ、あの年齢のおばさんでも“中身”は売れるでしょうから」
公子の年齢は、確か40代後半のはずだ。中身、の響きに背筋が震えたことを気づかれぬように、光江に言われていた調査料金を支払おうとすると、“壁”は大げさに怯え、「女帝の関係者から金なんてとったら、うちのボスに殺されるんで」と断られたので、“壁”とは組織なのかもしれない。
受けとった調査報告書には、1枚ずつ番号がふられていてA4用紙で56ページもあった。わずか3日前に依頼したとは思えない量に、その内容にはさらに驚くことになった。会社だけではなく私的にも、何億もの負債を抱えている上に、“ヤバい筋”からの借金とやらは、1つの組織からだけではなかった。日本だけではなく、海外の“ヤバい筋”の名も記されている。
― だからYUMEで稼ぎたくて焦ってるのか…確かに…。
『QUINTZ』は大ブレイク寸前という感じで、“そこそこ”は売れ、全国的な知名度もあった。中でもYUMEの歌唱力はアイドル界の常識を変えるとまで騒がれ、熱狂的なファンも多かった。
だからYUMEが理由をはっきりさせずに脱退した後、YUMEの行方を探す記事はかなり出たし、SNSでも長い間騒ぎになっていたので、解散から6年ほどが経った今でも、話題になり、注目を集めることは間違いない。けれど。
― 何億をも、すぐに回収することなんてできない。
仮に、YUMEが公子と組むことに同意して、大ヒット、大成功したとしても、公子個人が数億を超える利益を得るためには相当な時間がかかるし、その前に“ヤバい筋”に利用される可能性の方が高いだろう。
― とにかく…そんな人に、YUMEを利用させてはいけない。
ともみはそのために、今日ここに来たのだから。スマホを返しながら睨むようになってしまったのか、「やだ、そんな怖い顔しないでよ」と公子がおどけた。
「ともみって、そんなに気が短かったっけ?あ、そっか、夜の商売始めると、血気盛んになるのかもねぇ~」
へらへらと悪びれず、そうだ、飲み物とか買ってくるわ、と公子が部屋からいなくなると、YUMEがぼそりと呟いた。
「ともみさん、夜の商売してるんですか?」
素直な疑問に、素直に返す。
「そうだよ。西麻布でBARの店長やってる」
「BAR?」
「そ、女性限定のBARなんだけど」
ポカンと口を開けたYUMEに、ともみは、ふっと気が緩んだ。
「意外?まあ自分でも、こんな人生になるなんて予想外だったけど…公子さんにも言われたよ、プライドがありそうなのに、よく水商売なんてやってるね、って」
するとYUMEは、「違います」と、慌てて首を振った。
「驚いたのは、そういう意味じゃなくて。ともみさんって、女の子同士って…苦手なんだと思ってたから」
「あ、やっぱり、バレてた?」
「バレますよ。自分にも他人にも厳しかったし…『私たちは仲間ではあるけど、友達じゃないんだから慣れあうのはイヤ』的なこと、散々言われたじゃないですか」
かつてのともみの喋り方を真似たYUMEが笑い、ともみも笑った。
「今も女同士が得意…とはいえないとは思うけど、なんとか頑張ってるよ」
「楽しい、ですか?」
「店がオープンしてまだ半年とちょっとだし、楽しいかどうかは…でも、やりがいは感じてるんだと思う。一緒に働いてくれる子もいるしね」
従業員は2人だけの小さな店だと説明したともみに、YUMEの興味はますます膨らんだようだった。
「女性限定のBARって珍しいですけど、どんなお店なんですか?」
どんなお店と聞かれると…と、ともみは言葉を選んだ。
「店のオーナーはね、何と言ったらいいのか…そうだな、街の守り神みたいな人で」
西麻布の女帝、というパワーワードは伏せることにして続けた。
「私が心から尊敬している女性なんだけど、その彼女がね。だれにも言えない秘密を抱えたり、傷ついてボロボロでどうしようもなくなった女性たちが、ただ話しにこれる場所、孤独を吐き出せる店を作ることになって。
『アンタ、彼女たちの話を聞く役をやってみるかい?』って、私を店長にしてくれた、って感じなんだけど」
YUMEが目を見開き、ともみは照れ臭くなった。
「私に似合わない役だと思ったでしょ?確かに私って、女友達のいない人生だったからさ。最初はいろいろ大変だった。でも、一緒に働いてくれてる子が凄く素敵な女の子で――その子に随分助けられてる」
「女の子に助けられてる?……ともみさんが?」
「そう。店の名前はTOUGH COOKIESって言うんだけど、その子いるから成り立つ店だね。女の子を助けるのが本当に上手なんだよ、その子は」
ルビーのことを思って自然と笑みが浮かぶ。そんなともみから目を逸らすようにYUMEはうつむき、しばらく黙ってから――「お願いがあります」と、顔を上げた。
「私のことも助けてもらえますか?私、公子さんと真壁さんに、復讐したいんです」
▶前回:「まさか…」8年ぶりにインスタでつながった彼女。コメントで知った驚きの事実とは
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
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