◆道徳的な問題である以上に…
確かに、広末氏の事故はインパクトが大きかった。そして彼女のキャリアを振り返ると、他にも世間を騒がせるニュースをたくさん提供してきたことは事実です。その都度、一般の視聴者も興味本位でもてあそんできたことは否定できません。でも、そうした世間の空気をそのままパッケージングして番組という商品に転化し、公共の電波で流すこととの間には、とてつもなく大きな違いがあるはずです。わかりやすくいうと、学校や職場などで“広末が大谷の最速記録を抜いたぜ”などとおしゃべりするのと、テレビ番組というプロの編集者の目を通して流通する作品とでは、全くステージが異なります。
しかしながら、『オールスター後夜祭』は、その「学校や職場での一般人のおしゃべり」と変わらないものを、プロの芸人と番組制作者による作品として発表してしまったわけです。
だから、これは病気に苦しむ広末氏をネタにしたという道徳的な問題である以上に、むしろ職業意識に関わる問題なのです。
◆度々炎上する『水ダウ』とはわけが違う
『後夜祭』の演出とプロデューサーを担当した藤井健太郎氏は、『水曜日のダウンタウン』などでも多くの奇抜な企画で視聴者を楽しませてきました。その一方で物議をかもすこともしばしば。お笑いコンビ「インディアンス」(現・ちょんまげラーメン)の改名企画のときにも、ネイティブアメリカンによるいかにも実在しそうな団体が抗議してくるという、際どい演出で炎上したのは記憶に新しいところです。
また泥酔して寝込んだクロちゃんが起きたら三途の川で亡き父親と対面するドッキリを仕込んだことも議論を呼びました。
賛否両論はありますが、これらはまだ演者と藤井氏との間で、ある程度の信頼関係や笑いに対するスタンスを共有できているからこそ攻められるギリギリのラインだったかもしれません。(個人的にインディアンスはあまりにも国内向け過ぎるとは思いますが)
だから、広末氏の一件はアウトなのです。藤井氏的なお笑いの論法において、信頼関係も何もない完全なる部外者であるにもかかわらず、広末涼子が無惨にも利用されてしまったからです。
流儀があってこその悪ノリ。『オールスター後夜祭』が残した教訓です。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

