港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:7年ぶりに再会した女性に突然「復讐したい」と打ち明けられた理由
「私のことも助けてもらえますか?公子さんと真壁さんに……復讐したいんです。あの2人のしたことが、どれだけ残酷で――間違っていたのかを思い知らせたい。そのために力を貸して欲しい」
あのあどけなかった少女が、復讐、と口にする日がくるなんて。驚きよりも悲しみで沈みかけたともみの意識をYUMEの言葉が引き戻す。
「私の歌がバズり始めると、公子さんからDMが来ました。私が辞めてから一度も連絡をしてこなかったくせに、もう笑っちゃいましたよ。だから私は…ともみさんを探し出してくれるなら会います、って公子さんに言ったんです」
「…なんで私を?」
「ともみさんに会いたかったから」
屈託なく微笑まれて、ともみは、益々困惑した。
「それなら、私に直接連絡してくれれば良かったのに」
芸能界を去る時、ともみは全ての関係を断ち切るために携帯番号を変えたが、YUMEにだけは伝えておきたかった。けれど、YUMEを見捨てた後ろめたさから、電話を掛ける勇気が出ずに散々悩んだ挙句、結局ショートメールで送ったのだ。
「新しい番号、届いてなかった…かな?」
YUMEは否定も肯定もせずに、でも、と話を変えた。
「今日、会えたじゃないですか。そして今のともみさんを知って、尚更、力を貸して欲しいと思っています」
「私に――貸せる力なんてある?」
YUMEの口元が、フッと緩んだ。
「復讐するなとは言わないんですね」
そう問われて、ともみは自分がYUMEを止めるという発想を持たなかったことに気がついた。数週間前にTOUGH COOKIESを訪れた客――アート界のキングメーカー、清川紗和子の計画を聞いた時には、復讐なんてむなしいだけ…と感じたのに、YUMEの復讐を否定できない理由は、明らかだ。
「私も…当事者だからじゃない?」
当事者。それはあの2人――公子と真壁に復讐する側としてではない。ともみも、YUMEのに報復されても仕方のないことをしたのだから。YUMEがあの2人から受けた仕打ちを知っていながら沈黙を守り、YUMEを見捨て、彼女が去ったグループでアイドルを続けたことは、十分な裏切りだろう。
電話を掛けることさえ怯え、消えたYUMEの行方を追うことさえしなかった臆病者。自虐ではなく事実だ。YUMEが最悪の選択をせずに、ただ生きていてくれたことを喜ぶ権利さえ自分にはないと思いながら顔を上げると、YUMEはただ静かにともみを見つめていた。
「ともみさんが罪悪感を引きずっているなら、それ無駄ですよ」
「…」
「あの頃の私たちは、がむしゃらだった。誰かを蹴落としてでもこの世界で生き残りたい。歌なら自分が一番だとか、私が一番かわいいとか、そういう強い気持ちがないと勝ち残れない場所で、自分が無価値じゃないと証明したくて必死で……闘いに負けて消えた子に感情を引きずられていたら、ともみさんまで脱落してしまう。だからともみさんが私との連絡を絶ったことは、良い判断だったと思いますよ」
「YUMEは…闘いに負けたわけじゃない」
YUMEはニコッとえくぼを深めた。
「私の歌、聞きました?」
「聞いたよ」
「どう思いました?」
「昔と全く変わらなくて…凄かった」
だから倒れるほどに驚いたのだ。顎を整形し、その術後の無理がたたり歌えなくなったはずのYUMEの、全盛期の歌声だったから。
「また、歌えるように…なったんだね」
医師の診断が間違っていたのか、傷ついた心が癒えたからなのか。長い年月をかけて治療したのか。聞くことは憚られたし、良かったね、というのも違う気がして、次の言葉が選べない。
するとYUMEが、ふふ、と笑った。
「あれね、私は歌ってないんです」
「…え?」
「今は、AIで何でもできちゃうから。ともみさんが聞いたあの歌は、AIに、私の昔の声を読み込ませたものです。簡単に言うと、新しく作った曲を昔の私の声で歌わせている。だから、“今の私”は一切歌ってません」
「…そんなことが…できるの?」
「少なくとも、SNSで発信する分には問題なく、って感じですね。音源として売り出すとしたらどうなるのかわからないけど。本当にすごい時代になりましたよね」
「…ということは、今は」
YUMEはあっけらかんと、「今も歌えないままですよ」と、言った。
「昔の声に戻らなくても歌えるのなら歌いたい、と思えるようにはなって。でも、いざ歌おうとすると、喉がきゅっと閉まる感じで声が出なくなって、どうしても歌えない。で、病院に行ったら、イップスだと診断されました」
「イップス…?」
「はい。よく聞くのは、スポーツ選手の例だと思うんですけど。負け続けたり、怪我をしたりして、その競技自体にトラウマを抱えてしまって。プレイしようとすると恐怖心が襲ってきたり、身体が動かなくなったりする心の病ですね」
「じゃあ…これからも、もうずっと…歌えない?」
「どうでしょうね。お医者さんも今後のことはわからないっておっしゃってました。自分ではもうトラウマなんてないつもりなんですけど、人間の体って本当に不思議で。だから今はもう歌えない私の方が日常だし、諦めてるっていうか。歌うことへの未練みたいなものも、どんどん薄くなっていますし」
「でもじゃあなぜ…歌の配信を始めたの?」
「ちょっと長くなりますけど、いいですか?」とYUMEの姿勢を正した時、熱を持ちやすいレコーディング機材のために常に低めに設定されている空調の重い音が、まるで舞台の始まりを知らせるブザー音のように、ブーン、と重なった。
「グループを抜けた後、私が青森の実家に帰ったってことは知ってますよね?」
ともみは苦い想いで頷く。公子に、YUMEがメンバーに会うことを拒んでいると言われ、別れの言葉を交わすことさえ許されないまま、両親がYUMEを迎えにきたことを聞いたけれど、実家の住所は教えてもらえなかった。
「でも、マスコミがちらほらですけど、実家の周りをうろつくようになって。私がアイドルになったことを近所の人は当然知ってるし、田舎だとそういう噂ってどんどん広がっていくから、結構な騒ぎになっちゃったんですよね」
その頃の記事をともみも覚えている。実家から出て来るYUMEを盗撮、さらにYUMEの両親や親族がYUMEの休業の理由を語った…というタイトルの記事もいくつか出た。
「両親には、派手な世界に疲れたから辞める、としか伝えてなかったんです。整形が理由で歌えなくなったとは、親…特に母には絶対に言えなかった。
整形を、私は母に事後報告しました。やる前に相談すれば、絶対に許してもらえないとわかっていたから。デビューするまでは実家にも帰れないって伝えて、ごまかしていたんですけど…でもプチ整形って感じじゃなく、輪郭も目もだいぶ変わってしまったんだから、隠し通せるわけはない。
デビュー後の私の顔を見た母はすごくショックを受けて。整形がダメだというわけではなく、母に黙って整形した、ということにです。問い詰められるうちに、整形をしなければデビューできないって言われたのだから仕方なかった、って勢いのままにぶつけてしまった。
母はもう……怒り狂ってしまって。違法で整形をすすめるような大人がかかわってるなら、今すぐ辞めなさい、辞めさせると。私は泣き叫びました。オーディションに落ち続けてきて、ようやく手に入れたデビューなの、私の夢を壊すのはやめてと懇願して、なんとか活動を続けることを許してもらった、って状態だったんですよね」
知らなかった…とこぼれたともみの言葉に、誰にも言うつもりはなかったですから、とYUMEがまた笑った。
「でもそれ以来、母が私の活躍を喜ぶことはなくなった。売れ出してからは益々心配するようになって…その心配を拒みながら活動を続けていたのに…結局、整形のせいで歌えなくなってクビになったとは言えなくて。疲れたから脱退したってごまかしてたんですね。
だから母は、マスコミの人に『娘さんはなんでアイドルを辞めたのか?』と聞かれても、本当に『疲れたみたいです』としか言えないんです。なのに、そんなわけはないとしつこく追い掛け回される。父の会社に押しかける人も出て。あの人達って本当にしつこいじゃないですか?
こっちが何も答えていないのに、メンバーにいじめられたとか、恋愛でもめたとか、薬に依存してたからそれがバレる前にクビになったんだとか。1が10になるどころか、ゼロが100になるって感じで、ウソばっかりが記事になって、世の中の人は信じてしまうから…両親にもご近所にも申し訳なくなって…海外に逃げました」
YUMEが幼い頃から姉のように慕っていた10歳年上のいとこが国際結婚をし、オーストラリアの田舎町で暮らしていた。ちょうどその頃2人目の子どもが生まれ、ベビーシッターを探しているから、家に住み込んで子どもの世話をしてくれない?と提案してくれたのだという。そしてYUMEはオーストラリアへ。2年間は住み込みで働き、3年目から1人暮らしを始めたのだと言った。
「めちゃくちゃ田舎の町だったので、日本人なんて誰もいないんですよ。だから顔バレ的な心配はなくて。レストランでサービスのアルバイトをしたりとか、時々日本語の先生したりとか。それなりに楽しく過ごせてたんですけどね」
やっぱり…ダメでした、とYUMEは目を伏せた。
「私、自分が抜けてからもQUINTZ(クインツ)のチェックはしてたんですよ。普通はそういう情報を避けたくなりそうじゃないですか?でも私は、他のグループのチェックも続けてました。見たら見たで、悔しくて羨ましくて泣いてしまうこともあるのに、どうしても見るのをやめられないんですよ。
ああ、私はやっぱり歌いたいんだなって。自分がめちゃくちゃ諦めの悪い性格なんだってことを、はじめて知りました」
小さく舌をだしたYUMEに、ともみは首を横に振った。
「才能があるからだよ。だから諦められないの」
ともみは芸能界を去って以来、一度も“歌いたい”とは思ったことがないし、過去の映像を見れば、少しの痛みを覚えつつ、ただ懐かしいと思うだけだ。自分とYUMEとはこうも違ったのだと改めて思う。
「QUINTZ(クインツ)は、YUMEのグループだった。それは間違いなく」
「“天然”美人で、ビジュアル担当。何でもそつなくこなすリーダー…っていうともみさんが、一番人気だったのに?」
「そんなの、YUMEがいてくれたからこそだった、ってすぐにばれたじゃない」
YUMEという圧倒的なボーカリストを失ったことで、曲調が大幅に変更されることになったQUINTZの寿命は短かった。どんなに難しい曲でも自在に歌いこなすYUMEがいた。それが他のアイドルグループとは一線を画したQUINTZの個性だった。ファンたちの審美眼の厳しさを、プロデューサーの公子も音楽を統括していた真壁リオも甘く見ていたのだと思う。
YUMEの脱退は、ともみのようなビジュアル担当やバラエティで体を張るようなメンバーの活躍でも補えなかった。YUMEを切り捨てたというのに、自分たちでは実力不足。その情けなさがメンバーそれぞれの心に影を落とし、空気もギスギスし始めたのだ。
メンバー同士の不仲がささやかれ始めると、ファン離れはさらに加速した。当然曲は売れなくなり、一回り小さくなったライブ会場でも空席が目立つようになった。そのうちに真壁リオが、沈みゆく船から逃げるように新しいガールズグループを誕生させた直後、QUINTZ-Gは解散となった。
「でも、私はともみさんの歌が好きでしたよ」
YUMEの不意打ちに驚いたともみの意識が過去から戻る。
「私の、歌が?そんなわけないでしょ」
面白味のないボーカル。散々そう評されてきたのに。
「基本に忠実で、ぶれることがない。自分が目立とうとするわけじゃなく、メンバーの歌声をそっとサポートしてくれるような。隣で歌うと心強かった。グループには不可欠な声だったと思います」
「私にはそれしかできなかったから。個性がないってことだよ」
「そう言う人もいるかもしれないけど、めちゃくちゃ性格が出てましたよね」
「私の性格?」
「ちゃんとしてて、真面目で我慢強くて」
「…」
「ともみさんは、子役の頃から芸能界にいるから警戒心が強くて、簡単には人を信用しないし、自分を見せてくれることもない。リーダーっていうだけで、大人たちに怒られても、辛いことは全部1人で抱え込んで対処してくれた。
本当は誰より熱いくせに、私たちをクールになだめたり。でも、そういうともみさんだから、私は誰より信頼してました。ともみさんの隣にいれば安心できた。私はともみさんのことが大好きでした」
YUMEの瞳に幼く無邪気な輝きが戻った気がして、ともみの胸がむず痒くなる。
「久しぶりに会っても変わらない。ともみさんが変わってなくて良かった」
「私は結構…変わったつもりだけど」
あの頃の自分を否定するつもりはない。けれどあの頃の自分を振り切りたいのだと、ともみは“今”へと話を戻す。
「さっき、復讐を手伝って欲しい、って言ったけど、具体的に方法は決めてるの?」
「さすがともみさん、冷静だなぁ」
YUMEはおどけながら、携帯を取り出した。
「これ、整形前の私です」
「…」
デビュー前からレッスンを共にし、整形前のYUME…いや、夢子と会ったことがあるともみにとっては懐かしいつぶらで純朴そうな瞳の少女の写真。意志の強そうな骨ばった顎の輪郭と純朴そうな丸い鼻も、確かに今のYUMEとは別人だけれど、整形しなければデビューできないほどだったのだろうかと、改めて思う。
「整形前のこの顔をさらそうと思います」
「さら、す?」
YUMEは力強く頷いた。
「今SNSでバズっているシンガーは、元QUINTZ-GのYUMEであると名乗り出ます。そして、元々の顔はこれで、デビューを条件に、未成年で違法な整形の提案を受けたのだと告白します。歌えなくなったから脱退したのだということも全部話そうと思います」
「ちょっと、待って」
確かにそれは2人にとって…既に落ちぶれている松本公子はともかく、真壁リオには大打撃になるだろう。彼女は今も世界的な人気を誇るガールズグループのプロデュースをしていて、確か未成年のメンバーもいたはずで。YUMEの告白により、メンバーの管理方法を疑われることになるだろうし、復讐としては一定の効果を生むだろう。でも。
「それじゃYUMEだって傷つくよ?」
徐々に整形への偏見はなくなっているとはいえ、元々の容姿をいじる誹謗中傷は絶対に来るし、無傷で済むとは思えない。それに今業界で圧倒的な力を持つ真壁なら、訴えを握りつぶしにかかるだろう。どんな方法を使っても。それと闘うためには。
「証拠はあるの?整形をあの2人に強要された…というかそそのかされて、違法な病院で手術したと証明できないと…」
負けてしまう。それどころか事実無根ともみ消され、名誉棄損で訴えられる可能性もある、と続けたともみに、YUMEは首を横に振った。
「残念ながら…証拠はありません。あの頃の私は幼過ぎて…当時のやりとりを録音していたわけでもありませんし、手術をした医師は…完全に2人の味方でしょうから。自分が違法手術をしたことがバレたら、免許はく奪だけでは済まないでしょうし、証言をしてくれるわけはありませんよね」
だったら…と口を開いたともみを遮ったYUMEの瞳に熱が籠った。
「だから、ともみさんの力が必要なんです。バズった私に連絡してきた公子さんが…懲りずにまた私を利用しようとしているのが許せなくて。私はこの復讐を思いつきました。そして公子さんの話にのるフリをして、まずはともみさんを探してもらう。その上で、ともみさんに私の協力者になってもらおうって思ったんです」
「私にできることなんて…」
「あります。今のともみさんにしかできないことが。私のためだけじゃなくて…もう二度と私みたいに――大人たちに夢や才能を利用される子を出さないためにも…力を貸してくれまませんか」
▶前回:7年ぶりに再会した女性に突然「復讐したい」と打ち明けられた理由
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
▶Next:6月30日 火曜更新予定

