「これって脈あり?」買い出しのはずが、気付けばシャンパン。彼との近すぎる距離感とは

「これって脈あり?」買い出しのはずが、気付けばシャンパン。彼との近すぎる距離感とは

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。

▶前回:「夜の世界のおかげ、今の私がある」28歳になった彼女が、男に媚びた過去を振り返り…

「ってことは、YUMEは私と契約を結んでくれるってことね!」

鼻息荒くYUMEの手を掴んだ公子の指先を、ともみは、「まだ結ぶと決めたわけじゃないんですよ」とやんわりと剥がす。

「条件次第で前向きに検討する、って話です」

気分を害した、とあからさまに、公子が眉を寄せた。

「やだともみ、タレントのマネージャーみたいなこと言わないでよ」
「その通りです。今日から私がYUMEのマネージャーなので」

「え?」と、公子とYUMEの驚きが重なる。

「私がYUMEのマネージャーになって、公子さんたちとの窓口になる。いいでしょ、YUME」

YUMEが戸惑いながらも静かに頷くと、ちょ、ちょっと待ってよ、と公子が苛立ち、慌てた。

「そんなの無理でしょ」
「どうして無理なんでしょう?」
「ややこしいことは、プロの大人に任せるべきって話よ」
「プロの大人?」
「そう。契約を何年ごとの更新にするかとか、給料制にするのか、歩合制か、どれくらいの利益配分が妥当だとか。経験がないと理解できないだろうし、弁護士を入れた交渉を仕切るなんて、ともみには無理だって言ってんの。業界のルールを甘く見ると――大けがするわよ」

脅すためか、語尾を強めた公子が哀れに見えて、ともみは西麻布の女帝こと、光江の言葉を思い出した。

「この街で生き残りたければ、ケンカを売る相手を間違えてはいけない。でもね、買わなきゃいけないケンカから逃げてもいけない。でないと、人生逃げ癖がつくからね」

― 光江さんに比べれば、どんな大人も怖くなくなるよね。

思わず笑いだしそうになった唇を噛みしめて、ともみは公子に視線を戻した。

「私、この街で働くようになってから、もう4年になるんですよ」

何を言いだしたのか、と公子の表情が怪訝に歪む。

「その間、色んな方と出会いましたし、随分可愛がってもらってきたんですが…その中には、あらゆる業界に顔が効く、公子さんがおっしゃる“プロの大人”的な方々もいらっしゃいますので、私がYUMEのマネジメントを始めたとしても、相談相手には困らないと思います」

ともみはYUMEに微笑み、その手をぎゅっと握ってから続けた。

「そんなプロの力を借りながら、今後私がYUMEの窓口になります。それがイヤだと仰るのなら、契約は結べません」
「…ともみ…あなた…」
「私たちは別に公子さんや真壁さんに頼る必要はないんです。YUMEがこれだけバズっている今、他にも契約を結んでくれるレーベルは沢山あるでしょうから」

公子の目が怒りに震えても、ともみは笑顔を崩さない。億単位の借金を抱え、もう後がない公子はみすみすYUMEを逃すことはしないはずだ。だから、公子には、YUMEの復讐を成し遂げるための、駒になってもらう。

― 狙うのは、真壁リオの失脚。

YUMEに違法な整形をすすめて人生を狂わせながら、今や世界的プロデューサーとして守られ、何食わぬ顔で栄光を手に入れ続ける、真壁リオの悪事を暴き出してやるのだ。



「復讐、やめられない?」


午前9時すぎ。リビングでノートPCを叩いていた大輝の呟きが、冷蔵庫からヨーグルトを取りだそうとしていたともみの耳に届いた。「どういうこと?」と振り返ってみても、イヤフォンをはめた大輝からの反応はない。

どうやら、脚本の台詞を声に出しただけだと分かるまで、ともみの胸は後ろめたさでざわついていた。

大輝とともみが暮らす部屋は表向き1LDKだが、実は図面に『S』と記される、4畳ほどの小さな部屋があり、大輝が脚本を書く仕事部屋として使っている。けれど昨夜は、リビングで夜通し作業を続けていたようだった。

YUMEと公子との再会に疲弊して帰宅したともみは、大輝が作ってくれた鶏肉と茗荷のレモンパスタを食べた後、早々に眠ってしまった。けれど、1時間ほど前にともみが目覚めた時にも、ベッドに大輝の姿はなかった。

起きてきたともみの分までコーヒーを淹れながら、「今日の夜が締め切りなんだ」と、大輝は疲れた目で微笑んだ。そしてともみの唇に軽くキスを落とすと、またリビングで原稿に没頭している。

ギリシャヨーグルトにブルベリーと剥いたマスカットを添え、マヌカハニーをたっぷりとかける。大輝のお気に入りだという日本のガラス作家の器は、まん丸ではなく歪んだ楕円の両手に収まるほどのサイズ。透明に近い微かな水色が涼し気で、灼熱の8月にはぴったりだ。

作業の邪魔にならぬよう、大輝の分のヨーグルトをそっと置き、自分はキッチンのダイニングテーブル(というには、小さすぎるけど)で食べよう…と離れようとしたともみの手を、大輝が引いた。

「オレもちょっと休憩するから」

イヤフォンを外して、ポンポン、とソファーの隣を叩く。促されるままに座ると、大輝の表情が輝いた。

ヨーグルトをペロリと平らげた後、大輝は、「ちょっと充電させて…」とともみを後ろから抱え込み、肩に顔をうずめて動かなくなった。少し眠ってきたら?と提案してみても、「ここがいい」と断られた。室温はクーラーで快適に保たれているけれど、ピタリとくっつけばじわじわと熱が高まる。腰に回された手の力も弱くはなく、ともみは心配になった。

「…なんか、あった?」
「んー?なんで?」
「なんとなく?」

沈黙の間、ともみの携帯が二度鳴り、その二度目で大輝がようやく体を離した。一度目の着信はルビーからのLINE。YUMEとの対面がどうだったのかを気遣う内容だった。

そしてもう一つは、松本公子からのショートメール。来週の真壁との打ち合わせについてだった。

「真壁ちゃんって超売れっ子じゃない?なのに2日も日程出してくれたので、どちらかで必ず調整をお願いします」

忙しい有名人なのだから、そちらが合わせるのが当然だと言わんばかりの傲慢さ。大輝に「どうした?」と問われて、ともみは自分が顔をしかめていたことに気づく。

「闘いがはじまる、って感じ」
「闘い?」
「人生の正念場…って気がしてる。店のことが絡んでるから、あんまり詳しくは話せないんだけど」

ずっと行方が分からなかったアイドル仲間が見つかったこと。その彼女から復讐の手助けを頼まれたこと。すべてを大輝に聞いてもらえたらいいのに、公子がTOUGH COOKIESの客となってしまった以上、迂闊に口に出せない。言葉を濁したともみを大輝はそれ以上追及しなかった。

「オレも正念場だから、一緒だね。今日で一旦、全ての話を書き終える。他人の評価はともかく…自分自身が納得いくものに仕上がればいいな」
「絶対に仕上がるよ」

今度はともみから、大輝の肩にもたれかかった。深夜の静かな森に咲く秘密の花のような、微かに甘い彼独自の香りに包まれ、胸が高鳴りながらも、どうしようもなく安心する。2人にだけ作用するフェロモンのようなものがお互いを惹きつけ癒しているのだとしたら、ともみの香りを大輝がどう感じているのか知りたいのに、照れくさくて一度も聞けたことはなかった。


ありがと、とともみの頭にキスを降らせ、「あと5分だけこのままでいいていい?」と甘える大輝に、ともみは尋ねてみる。

「さっき……『復讐、やめられない?』って言ってたでしょ?」
「え?オレそんなこと言った?」
「うん、ぼそっと。あれって、セリフ?」

無意識だった、と笑った大輝の振動が直接体に伝わってくる。

「そ、セリフ。今回のドラマって、女子高生と、15歳くらい年の離れた男性が夜の街で出会うところから始まるんだ。女の子はずっと夜の街を点々と彷徨ってたんだけど、その理由は、復讐相手を探してたからで。ようやくその相手が見つかったとき、その復讐を手伝って欲しいと頼まれた男性が、彼女に言うセリフ。でも、いまいちかなぁって」

「いまいち…?」

復讐を手伝う。自分の状況に重なりすぎるその言葉に、ともみの心拍数があがる。けれど平静を装い聞いた。

「いまいち、ってどういうこと?」

うーん…と、大輝はしばらく悩んでから口を開いた。

「自分や、自分の大切な人が誰かに酷い目にあわされたから、やり返したい。その気持ちはもちろんよくわかるよ。でも、復讐したからって過去から解き放たれるとは限らないよね。むしろ、その苦しかった過去に、より深く縛りつけられちゃう可能性だってあるし、本人の傷が増えると思う。そもそもその復讐が成功する保証だってない」

「…つまり、大輝は復讐には反対ってこと?」

「俺っていうか、ドラマの登場人物の男性がね」と大輝は笑った。

「15歳も年上の男性なら、女子高生よりも人生経験がある。誰かを傷つければ、それがたとえ憎い相手だったとしても、自分の中に薄暗いものを残すことになる、ということを知っているはずだから。

開けてはいけない扉を開いて、自分の凶暴性とか闇を知ることになるかもしれない。それでも目には目を、って方法を選ぶ覚悟はあるのか?って問いかけるようなセリフにしたいんだけど…なかなか…これだ!っていう言葉が見つからなくて。

綺麗ごとだって分かってるけど、憎しみに憎しみをぶつける方法じゃ、世の中はいつまでたっても救われないってメッセージも込めたくてさ」

大輝は、あ~そろそろともみから離れないと、本格的に書けなくなりそう、とふざけた声を出して、書斎にこもるね、と立ち上がった。

「…大輝は…ないの?」
「何が?」
「復讐したいと思ったこと」
「…ともみ?」

その顔が曇り、ともみはハッと慌てた。心配させて大輝の“人生の正念場”の邪魔をするわけにはいかない。すぐに表情を切り替え、頑張って仕上げてね、と笑ってその背中を見送った。


「ミチさんと初デート、超、あがる~♡」
「デートじゃねぇし、なんだよ、その、ミチさん、っていうの」

気持ちわりぃ、と振りほどこうとするミチの腕を、ルビーは自分の豊かな胸を押し付けながらがっちりと離さず、2人は恵比寿ガーデンプレイスから広尾方面へと歩く。

「だって、“ミチ兄”のままじゃ、いつまでもアタシを女として見てくれないでしょ?」
「…お前、まだそんなこと言ってんのか?」

呆れた顔で見下ろされても、ルビーは全くめげない。なぜなら。ミチが本気になれば、簡単に振り払われてしまうはずなのに、そうされてはいないだけで幸せだし、それが例え“妹への優しさ”だったとしても、とことん利用させてもらうつもりだ。

「まさか、料理を教えて欲しいって言うのもウソか?」

今日はSneetは定休日。昨夜遅くに店に立ち寄った光江の、「ブータン風のカレーが食べたくなってきた」という突然の指令を受けたミチは朝から買い出しに出た。スパイスを求めて新大久保、新宿の専門店を巡った後、恵比寿のガーデンプレイスのライフと明治屋へ――そんなミチのいつものルートに、ルビーが強引についてきたのだ。

「ウソじゃないよ。ともみさんはミチさんのカレーが大好物だし、TOUGH COOKIESでも少し軽食を出したいねって話してるから」

ともみさん、料理あんまり得意じゃないし、覚えるなら私でしょ?とウィンクで見上げたルビーは、Sneetに戻る前に、一杯飲んで帰ろうよ~と何度も騒いだ。根負けしたミチがタクシーを捕まえると、2人で外苑西通り、広尾と西麻布の中間ほどにあるビストロへと向かった。

平日の15時半。店員の方が多いのでは?という客足もまばらな店内に、目の下に傷のある長身、長髪の男と、褐色肌のダイナマイトボディの女…という2人組は異質だったのだろう。怯えたように注文を取りに来たアルバイトスタッフを安心させるように、ルビーは優しく丁寧な口調でシャンパンを2杯注文した。

「今度はちゃんと、デートしてくれる?」

無愛想ながらも乾杯に応じたミチに、ルビーが上目遣いでねだると、「だからデートじゃないって言ってるだろ」とミチがため息をついた。

「アタシ、ミチさんと行きたい場所があるんだ」
「…その呼び方、続ける気か?」
「ね、どこだと思う?」
「クイズとか、めんどくさいのはやめてくれ」

困らせるの、楽し~♡とケタケタと笑ったルビーに、ミチがさらに深いため息をつく。

「ね、一緒に行きたい場所、分かった?」
「…しつこいな。分かるわけないだろ」
「え~冷た~い。じゃ、ヒントをあげちゃいま~す♡」

いらねえよ、と目を逸らしたミチを気にせず、ルビーはニコニコと続けた。

「アタシが、この世界で一番憎んでる人のとこ」
「…は?」

ミチの視線が戻る。

「あの人の人生、もうすぐ終わるんだって。あ、病気でね」
「……」
「…もしかして知ってた?」

ミチの表情は変化に乏しく、感情が読めないと皆が言う。けれどルビーは、こんなにウソが下手な人はいないと思っている。

「まあ、今更どうでもいいんだけどさ。ミチさんが一緒にいてくれたら…寂しくないっていうか、今度こそちゃんと――あの人にバイバイできるかなって」


▶前回:「夜の世界のおかげ、今の私がある」28歳になった彼女が、男に媚びた過去を振り返り…

▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱

▶Next:7月14日 火曜更新予定

配信元: 東京カレンダー

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