旅先のホテルのスイートルームで明かされた秘密。彼女が捨てられた本当の理由とは

旅先のホテルのスイートルームで明かされた秘密。彼女が捨てられた本当の理由とは

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。

▶前回:あああ

ルビーとミチとともみ。3人が高橋医師の診察室を出たとき、病院の廊下は夕刻のオレンジに染められていた。到着したのが14時過ぎだったので、すでに2時間以上が経っているのに、まるで一瞬の出来事だったかのように思える。

「今は落ち着いているので、もうこのまま起こさずに…明日また来て頂けますか?急変すればすぐに連絡します」

今夜中に急変する確率はどれくらいなのかと聞いたミチに、いつ起こってもおかしくない状態だと淡々と答えた医師の瞳が、ルビーが明美の実の娘であると知った瞬間、なぜかほんの少しだけ緩んだ気がしたけれど、その時のともみには、その理由を問う余裕はなかった。

明美の病室で鳴り響いたアラーム音と、医師や看護師の切迫した声や足音が、いつまでも耳の奥に残り消えないのはきっと自分だけではない。淡い朱色の光が差し込む廊下を、ミチに手を引かれてとぼとぼと歩くルビーのその瞳は、はく製にされて光を失った動物のそれのように薄暗く、虚無に見えた。

病院の外に出ると、8月の湿った夕方の風がねっとりと肌にまとわりつく。その熱から逃れるように車に乗り込むやいなや、ミチが言った。

「今日はこの近くに泊まろう」

ミチはいつの間にか宿を探していたようで、日が暮れだした山道を「15分ほどで着く」と、迷いなく進んでいく。冬になれば、良質な雪を求めてウィンタースポーツを楽しむ観光客で溢れかえるこの蔵王も、今はひっそりと静まり返っている。

静寂を求める人達の別荘や療養施設も多く、緩和ケアに特化した明美の病院が、このエリアに作られているのは、治療ではなく癒しを必要とする施設だからだろう。

「湧き水で育った最高ランクの仙台牛を炭火で…って、これ絶対美味しいやつ。蔵王産のクリームチーズを使ったレアチーズケーキも人気みたい。そっかこの辺りって酪農も有名なんだ」

食べることが大好きなルビーを少しでも元気づけたくて、近隣のグルメ検索を次々と声に出していくものの、窓の外、どこか薄暗く茂る緑を眺め続けるルビーからの反応はなかった。



本当にきっちり15分。スキー場に向かう坂道を左折すると、目的地へと到着したようだった。ラグジュアリーな温泉旅館…という明らかに高級感の漂う外観のエントランスに滑り込ませた車を降り、ずんずんと進んでいくミチの背中を、ルビーの手を引きながら追う。

大きな自動扉の先、吹き抜けのロビーの中央には、巨大な一枚岩の石の台座が鎮座している。その中心がすり鉢状にくり抜かれ、火が焚かれている。決して小さくはない焚き木の炉だ。天井から吊り下げられた黒い鉄の排気フードは、まるでお寺の鐘のようなデザインで、その揺らめく炎の煙を静かに吸い上げている。

蔵王の森の中とはいえ8月に焚き木。けれどむしろ、大きな窓の外に広がる静かな森が迫ってくるような涼しさ。ここで待ってて、と、焚き木を囲むソファーにルビーを座らせると、チェックインをするミチについていく。

まばらとは言え、ロビーには外国人の富裕層と思われる客ばかり。おそらく最低でも一泊10万円近いのではないか。そんな下世話な疑問が浮かんだ瞬間、フロントスタッフが言った。

「お部屋は2部屋で承っております。1部屋はラグジュアリー・スイートのルームキーになります」

礼を言って受け取ったミチが、その鍵をそのままともみに渡す。反射的に受け取ってしまったものの、思考が追いつかない。

— スイート?しかも、ラグジュアリーって…。

眠れる場所を確保できれば十分だと思っていたのに、ポカンと固まるともみにミチが口角を上げた。

「たまにはオレのおごりで」
「たまにはって額じゃないはず。なおさらダメですよ」
「どうせ泊るなら、いい部屋の方がいいだろ。そのかわり相部屋だから。今のあいつを、1人にしないでやってくれ」

ミチの視線が動いた先…ルビーはぼうっと、ただ火を見つめていた。

「部屋に露天風呂もついてるらしいからさ。ともみと2人でゆっくりしてるうちに、アイツも何か話したくなるかもしれないし。無理はさせたくないが、後悔はもっとさせたくない」

悪いな、とミチがともみに何かを頼むのは初めてだった。ともみの肩越しにルビーへと向かう視線は痛いほどに優しくて。

恋する人に妹だと思われることは確かに辛い。けれど、ルビーの想像よりも何倍も、何十倍もミチはルビーのことを想っているのだと、ともみの胸で温かさと切なさが入り交じった。


「…とも姉と一緒に旅行って、ちょっと夢だった。今回は旅行じゃないけどさ。でもまあ、これでホントに、ハダカの付き合いってやつ?」

へへへ、と力なく、けれどようやくルビーが笑ったことにともみはホッとする。まだ群青を残す暮れ切らない蔵王の森を眺めながら聞こえるのは、時折鳥の声、そして風に揺れる木々の音、とどこまでも静かだ。

ラグジュアリー・スイートのテラスの露天風呂。近くの温泉から引かれた湯は柔らかく、肌に優しい。さすが東北の山の中。18時も近付けば随分涼しく、湯につかりながらも過剰な汗は出なかった。

女の子とお風呂に入るのは、ともみの人生では2度目。アイドル時代の合宿以来だと、YUMEの顔を思い出しながら、まだ月も白いね、と見上げたともみに、ルビーがぼそりと呟いた。

「あの人、ほんとにもうダメなんだね」
「ほんとに、って?」
「んー。なんかともみさんが最初にあの人の余命とか?色々言った時、知らねーよ、って思ったし、あんま実感なかったんだよね。悲しくもないし、なんも響かない、っていうかさ」

でも…とパシャリと湯をすくい、波を起こしながら、ルビーは心を整理しているように見えた。ともみは風呂の横に置いておいたミネラルウォーターのボトルを手にしてグラスに注ぎ、ルビーにも渡す。

ありがと、と言ってまた黙り込んだルビーを、ともみはしばらく待つ。先ほどまであった群青は気づけば濃紺の空。細い月も輝きだした頃、消え入るような声がした。

「ゆるさなくていい、とかさ。ずるくない?」

大きく風が鳴った。唸るように。嵐のようだった明美の病室、明美の荒い息、ルビーへ向けられた必死の言葉を、ともみも思い出す。

「ありがとうとか、ムカつくんだよ」

途切れてしまった、明美の、言いたかったこと、はなんだったのか。

「今度こそこっちが捨てたつもりだったのに。結局、あっちがまた逃げてく」

そんなのずるすぎでしょ、とルビーが笑った。

「会ったら罵倒してやろうと思ってたのに。アンタなんか絶対に許さないって言ってやるつもりだったのに。あんなの見せられたら…ホントにずるい」

両手を湯船の縁にかけて星空を見上げたルビーを、ともみも真似る。

「まあ、確かにずるい、かもね」
「でしょ?」
「でも、ずるくてもなんでも、私はもう一度ルビーに、明美さんと話して欲しかった」
「とも姉って、意外とめんどくさい人だよね。お節介だし」
「誰にでもじゃないよ、ルビーのことだから」

めんどくさいしお節介になるんだよ、とともみは正直に伝えた。いつもなら、私って愛されてる~!とでも茶化しそうなルビーが、今は黙ったままだけれど、その表情を確認しないままともみは続ける。

「めんどくさいついでにさ。約束を破ることにするね」



「ミチ兄、おっは~よ~!」

翌朝8時すぎ。背後からルビーに抱きつかれたミチが、危ねえだろ、と慌ててタバコの火を、携帯灰皿で消し、駐車場のベンチから立ち上がる。

「まだ涼しくて気持ちいいね。いい天気だし、ドライブには最高じゃん」

ニコニコと助手席に乗り込んだルビーが持つ紙袋には、おにぎりが4つ。ビュッフェの朝食をしっかり食べたのに、ドライブ中にお腹が空くと困るからと、レストランで握ってもらったおにぎりだ。

すっかり食欲を取り戻したようで何よりだが、昨夜の夕食で、仙台牛のサーロインステーキを1人前(ともみとミチから半分ずつ奪った)と牛タンの〇〇をペロリと平らげ、部屋に戻ってからも、日本酒のお供にしたいと、中華そばとカレーライス(どちらも大盛)をルームサービスで注文し完食、というのはさすがに食欲が戻り過ぎているのではないかと心配になる。

「ミチ兄、今日も運転よろしくお願いしまーす」
「…呼び方、戻したのか」
「あ。忘れてた。でも、あれ?あれあれあれ?」
「なんだよ」
「もしかして、ミチさん、って呼ばれないと寂しい?」
「そんなわけねぇだろ」

だよねぇ~とはしゃぐルビーに、フッと目を細めたミチとバッグミラー越しに目が合うと、ともみも自然とうれしくなった。


「運転中にお腹がすいたら、おにぎり食べさせてあげるね」
「15分しか運転しねぇのに、腹がすくかよ」

自分の胃袋を基準に考えるんじゃねぇよ、と、呆れながらミチは車を発進させた。目的地は当然、明美が待つ施設だ。昨夜遅くと今朝、医師から連絡があり、状態は安定していて面会が可能と言われて向かっている。

窓の外は朝の光が、森の木々の間をキラキラと流れていく。昨夜、ともみは明美との約束を破った。ルビーには伝えないでと言われていたことを、話した。



「……めんどくさいついでにさ。約束を破ることにするね」

この話は長くなる。湯から上がることを提案し脱衣所でバスローブを羽織ったともみに、ルビーも続いた。

リビングに戻ると、その広さに改めて圧倒される。壁の三面がガラス張りで、天井高は4メートルほどありそうだ。

ともみは、2人分の温かい紅茶を入れてから、無垢の一枚板で作られたテーブルを囲むように配置されたソファーに沈み込み、その対面にルビーを促した。


「明美さんは、ルビーを捨てたわけじゃない。いや、結果的に捨てたことになるのかもしれないけど、明美さんにもどうにもできない事情があった」

なぜそんなことを知っているのかと問い詰められるかと予想していたけれど、ルビーの反応は意外なものだった。

「やっぱりね。とも姉が必死になるのは、何か聞いたからだと思ってた。で?あの人は何て言ってたの?」

信じるか信じないかは別として、一応聞いておくよ、と茶化すでもなく聞く姿勢になったルビーに、ともみの方がひるんでしまった。本来なら明美さんから話すべきことであり、どう考えても赤の他人の自分が介入することではない、と。でも。

明美の状態を目の当たりにしてしまった今、明美の口からルビーに伝わるのを待つ余裕はもうなかった。エゴだと思われても、恨まれてもいい、と、ともみは覚悟を決めた。

「明美さんとルビーのお父さんが別れた理由って、ルビーは何て聞かされてた?」

「仕事の都合でアメリカに帰った、って聞かされてたけど…なんとなく分かってたよ、アメリカで新しい女ができたんでしょ?」

そうだけど、違うの、とともみは明美に聞いた夫との別れ、アメリカにも妻子がいたこと、そのショックで明美は心を病んでしまったのだと1つずつ伝えて言った。明美がPTSDを発症させ…それこそが、ルビーと離れなければならなくなった原因なのだということも。

「つまり、あの人は私の顔を見るたびに…倒れるほど苦しくなってた、ってこと?」

淡々とそう聞かれて、やはり話すべきではなかっただろうかと、ともみの胸はギリギリと痛んだ。ルビーの表情はむしろ穏やかにさえ見えて、それが益々辛かった。

「それでも明美さんは、何度も何度もルビーを取り戻そうとした。でもお医者様や児童相談所の許可が下りずに…ようやく症状が回復したとの診断が下った時にはもう…ルビーは中学を卒業する歳になっていて施設を出ていくことを選んでいた。ルビー、明美さんと一緒に暮らすことを断ったでしょ?」

一緒に暮らしたいと提案した明美を、もう二度と会うことはないと拒んだルビーは高校へは進学せず、年齢をごまかして六本木のキャバクラで働き始めた。その後、光江に拾われたのだ。

「明美さん。ルビーが働いてたキャバクラに突撃したこともあるし、最近ではポールダンスもちょこちょこ見に行ってたらしいけど、知ってた?」

目を見開いたルビーに、ともみは続けた。

「最低な男に騙されたのは自己責任だし、どんな事情があっても、8歳の娘に私は親に捨てられたんだって思わせたんだから、母親としては大失格だよね。でもね、これだけは絶対に言える。明美さんは、ルビーを捨てたわけじゃない。ずっとずっと、ルビーを取り戻そうとしてたんだよ」


▶前回:あああ

▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱

▶Next:7月28日 火曜更新予定

配信元: 東京カレンダー

あなたにおすすめ