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「ホームホスピス」はどんなところ?

2021年に日本財団が公開した「人生の最期の迎え方に関する全国調査」(別タブで開く)では、人生の最期を迎えたい場所は「自宅」という回答が58.8パーセントでした。それに対して、絶対に避けたい場所は「子の家」が42.1パーセント、「介護施設」が34.4パーセントという結果が出ています。

しかし、実際に死を迎えた場所は、2024年の厚生労働省の厚生統計要覧(外部リンク)よると、病院が67.4パーセント、自宅が17.0パーセント、老人ホームが11.5パーセント、介護施設が4.0パーセントでした。

「最期まで自分らしく、自宅のような場所で暮らしたい」というニーズに応えるために誕生したのが、ホームホスピスです。ホームホスピスの理念は、2004年に宮崎市のホームホスピス「かあさんの家」から生まれました。その後、日本財団が「在宅ホスピスプログラム・アドバイザー会議」を設置し、全国普及の支援を始めたことで、この活動は全国に広がりました。

この記事では、ホームホスピスのケアの確立と普及を行う全国ホームホスピス協会(外部リンク)の理事長・市原美穂(いちはら・みほ)さんと、石川県で「NPO法人 ホームホスピスこまつ」(外部リンク)を運営する、榊原千秋(さかきばら・ちあき)さんにホームホスピスの現状や課題についてお話を伺い、新しい老後のあり方を考えます。

オンライン取材に応じる市原さん(写真左)と榊原さん(写真右)

ホームホスピスは、自宅でも病院でもない、もう一つの居場所

――そもそも「ホームホスピス」とはどんなものでしょうか。

市原さん(以下。敬称略):まず、ホスピスの語源は、ラテン語の「ホスト」と「ゲスト」の組み合わせで、「客を温かくもてなすこと」を意味しています。本来はそのように概念(哲学)を指す言葉であり、この哲学に基づいて行われるケアを「ホスピスケア」と言います。

私たちが推進している「ホームホスピス」は、自宅のように安心できる場所で、人生の最期を自分らしく過ごせるよう、その人の暮らしを重要視したケア施設を指します。また、ケアと運営の面から、5〜6人で住人同士が共同生活を行う「とも暮らし」であることも重要視しています。入居者同士、家族同士のつながりが保てる適切な規模がこの人数だと考えています。

ホームホスピスは約20年前、自宅で過ごしたいと望みながらも、医療的な依存度が高い、または家族が介護できないなど、さまざまな事情でそれが叶わない人々のための受け皿として誕生しました。2013年には全国ホームホスピス協会で商標登録も行っています。

メットライフ財団支援ホームホスピス「あんまぁの家」の外観。家のようなつくりが特徴。画像提供:全国ホームホスピス協会

――ホームホスピスではない、緩和ケア病棟(※)とは何が違うのでしょうか。

市原:緩和ケア病棟は「治療をすること」が最優先されますが、ホームホスピスは「そこに暮らすこと」を優先しています。ですので、病気であっても「病人」として扱うのではなく、「そこに暮らす人」として扱い、入居者にとって自宅のように過ごせる環境を整えることを大切にしています。

医療的なケアが必要な場合は、入居者の状況に応じて訪問看護(看護師や理学療法士等が提供する医療的ケア)や訪問介護(介護福祉士やホームヘルパー等が提供する生活のケア)などのサービスが必要な分だけ受けられる仕組みになっています。

そのため、地域の病院や診療所、訪問看護ステーション、訪問薬剤師などの多職種の連携によるチーム医療がとても重要になります。

榊原さん(以下、敬称略):ホームホスピスは一人一人の「どう暮らしたいか」という望みに寄り添い、くつろぎながら過ごせる個別ケアを提供しています。大規模な施設では面会時間に制限があることも多いですが、ホームホスピスでは、一切の制限を設けず、24時間いつでも訪問することができて、宿泊することも可能です。

また、小規模だからこそ、入居者のご家族同士も自然と距離が縮み、親戚のような関係が生まれることがあります。これもホームホスピスの魅力の1つではないでしょうか。

  • ※ 緩和ケアとは、生命を脅かす病気に関連する問題に直面している患者と、その家族のQOL(生活の質)を向上させるアプローチ。痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に発見し、適切に評価・対応することで、苦痛の予防と軽減を図る。緩和ケア病棟は、緩和ケアに特化した専門病棟のことを指す。参考:国立がん研究センター がん情報サービス「緩和ケア」(外部リンク)
交流会ではフラダンスを披露
入居者同士だけでなく、その家族同士のつながりが生まれることも。画像提供:全国ホームホスピス協会

――全国ホームホスピス協会では、どのような取り組みが行われているのでしょうか。

市原:ホームホスピスの普及活動に加えて、ケアと運営の基準の策定、ケアの質を担保するための評価、労務管理や組織運営などに関する講座を開催するほか、現場での困り事に対する相談など、運営者を支えるためのさまざまな取り組みを行っています。また、新たにホームホスピスをつくりたい人や、学びたい人のための研修プログラム「ホームホスピスの学校」(外部リンク)も実施しています。

現在(2025年7月時点)、全国各地で45団体が66軒のホームホスピスを運営しており、さらに12軒が立ち上げ準備中です。

全国のホームホスピスマップ
※2025年8月1日現在

・運営中のホームホスピスは、協会正会員
・拠点が決定し開設準備中の法人は、HHの学校つくるコース修了者を含む

<九州沖縄地方(九州支部)>
【福岡】
・たんがくの家 (久留米市)
・わこの家 (田川市)
・ほのぼの (春日市)
・ちぇろっと (嘉麻市)
・ しずく (糸島市)
・マイレの家 (糸島市)
・あいのさと (広川町)
【熊本】
・われもこう (熊本市)
・miraie (熊本市)
【大分】
・おけたん宇佐 (宇佐市)
【宮崎】
・かあさんの家 (宮崎市)
【鹿児島】
・もくれんの家 (日置市)
・あんまぁの家 (鹿児島市)
【沖縄】
・ハイビスカスの家(宜野湾市・準備中)

<近畿地方 (西日本支部)>
【兵庫】
・神戸なごみの家 (神戸市)
・愛逢 (尼崎市)
・ひなたの家 (姫路市)
・よりそいの家そらい (姫路市)
・咲愛 (さくら)の家 (姫路市)
・ おはな (姫路市)
・心音 (尼崎市)
・つ・む・ぐの家 (宝塚市)
・和ははの家 (小野市)
【京都】
・妖精さんのたねまき (京都市・準備中)
【大阪】
・ふさの家 (枚方市)
・風の栞 (大阪市)
・あゆ実 (寝屋川市)
【奈良】
・みぎわ (大和郡山市)
【和歌山】
・紀州やわらぎの家 (和歌山市)
【三重】
・いせ あこや(伊勢市・休止中)

<中国地方 (西日本支部)>
【広島】
・ゆずの家 (広島市)
・まろんの家 (広島市)
【島根】
・アズイット出雲 (出雲市・準備中)
【岡山】
こいろ (倉敷市・準備中)

<四国地方 (西日本支部)>
【徳島】
・大原やすらぎの家 (徳島市)
・徳島とも暮らしの家ふくい(小松島市)
【高知】
・みのりの家 (高知市・準備中)

<中部地方 (西日本支部)>
【新潟】
・ふくふく (新潟市・準備中)
【石川】
・もう一つの家ややさん (小松市)
【愛知】
・みよしの家 (みよし市)

<北海道・東北地方(東日本支部)>
【北海道】
・やっちゃん (札幌市・準備中)
【青森】
・ もりの家 (八戸市)
【秋田】
・くららの家 (秋田市)
【宮城】
・にじいろのいえ (仙台市)
【福島】
・結びの家くるみ (福島市)
・つどいの家ほしぞら (国見町)

<関東地方 (関東支部)>
【東京】
・はーとの家 (葛飾区)
・里の家 (中野区)
・ホームピアむつみあい (足立区)
・てんき (世田谷区)
・セ・ラ・ヴィ (文京区)
・縁 (大田区)
【千葉】
・フローラファミリー (鴨川市)
・清水の里 (旭市)
【栃木】
・栃木かあさんの家 (大田原市)→現在は東日本支部所属
全国にあるホームホスピスマップ(2025年8月現在)。画像提供:全国ホームホスピス協会

住環境が変わることで、心身の状態が改善することも

――実際にホームホスピスに入居されている方や、ご家族からはどのような声が寄せられていますか。

市原:日本財団が2025年に行った「ホームホスピスにおける入居者へのケアの効果に関する調査」によると、入居者のご家族からは「本⼈らしい⽣活の実現度が向上した」 「⾝体的な状態が改善した」という結果が出ています。また、認知症の悪化などを懸念されていた方からは、悪化することがなく、むしろ状態を維持することができたという声もありました。

榊原:一例ですが、先日、「ホームホスピスこまつ」で最期を迎えた女性がいらっしゃいました。その方は、さまざまな事情から家庭で暮らすことができない子どもたちを養育するファミリーホームを運営していた方でした。5年前に脳腫瘍を患い、抗がん剤治療が困難になった段階で私たちの施設に入居しまして、これまで里親として関わってきた子どもたちをはじめ、多くの方が面会に訪れました。

その方が亡くなる少し前、ご家族の一人からこのような言葉をいただいたんです。

「おはようございます。おかげさまで、母との大切な時間を家族全員で過ごすことができております。あと少し、母のファミリーホームの子どもたちに残す最後の関わりまで、見守っていきたいと思います」

この言葉が本当にうれしく、深く心に残っています。ホームホスピスは、入居者の方がこれまで築いてきた関係性も含めて、残された家族に与えてくれる場所なのだと実感しました。

――別の施設からホームホスピスへ移られた方で、何か変化がありましたら教えてください。

榊原:私の父の話をさせてください。私の故郷は小松から15時間も離れた愛媛の宇和島です。父は86歳で心筋梗塞を起こし、その後心不全や骨折が続き、認知症も発症しました。ほぼ寝たきりの状態で、お腹の調子も悪く、おむつが手放せない状況でした。

2024年の3月から5月まで、毎週末15時間かけて宇和島の病院に面会に帰っていました。15時間かけて行っても面会時間はたった15分です。5月の連休に家族でとことん話し合い、娘のいる「ホームホスピスこまつ」で過ごすのがいいということになったんです。

入居当初は「お父さん」と呼びかけても反応がなく、視線も合いませんでした。方言もなかなか通じなくて困っている時に、スタッフが足浴をしながら「武田さんはなんて呼ばれてたんですか?」と聞いてくれて、「たけさんと呼ばれとったよ」「私たちもたけさんて呼んでいいですか?」「ええよ」と。

すると、みるみる表情に生気が戻ってきたんです。適切なケアはもちろんですが、とも暮らしの場で、家族のような関係が築かれていったからだと思います。

驚くことに、ほとんど寝たきりだった父が歩けるまで回復し、トイレで排泄できるようにまでなりました。

遠く離れていたので、父との関係はぎくしゃくした時期もありましたが、ホームホスピスで過ごした3カ月間は、父らしく娘らしく、やり直せた貴重な時間だったと感じています。

榊原さん(写真左端)が実際にホームホスピスで働いている模様。画像提供:全国ホームホスピス協会

市原:榊原さんのお父様は、ホームホスピスに移ってから、「ビールを飲みたい」と言うようになったり、愛用していた眼鏡や時計も身に着けるようになっていったそうです。こうした変化はホームホスピスでは珍しいことではないんですよ。

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