明石花火大会歩道橋事故から25年 群衆なだれで11人死亡、市職員ら5人有罪も「今も同じことが起きる可能性ある」識者が警鐘を鳴らすワケ

明石花火大会歩道橋事故から25年 群衆なだれで11人死亡、市職員ら5人有罪も「今も同じことが起きる可能性ある」識者が警鐘を鳴らすワケ

2001年7月21日の夜、兵庫県明石市の花火大会で、11人が亡くなった。会場の大蔵海岸公園と最寄りのJR朝霧駅を結ぶ朝霧歩道橋に見物客が殺到し、折り重なって倒れる「群衆なだれ」が起きた。死者のうち9人は10歳に満たない子ども、2人は70代の女性だった。負傷者は247人にのぼった。

この事故はこれまで、「誰の責任か」という問いの形で語られてきた。だが、その問い方こそが、「二度と同じ事故を起こさないためにどうするか」という大事な部分を取りこぼしてきたのではないか。(島崎敢(近畿大学教授・安全心理学))

歩道橋で、何が起きたかのか

朝霧歩道橋は、全長約104メートル、歩ける幅は約6メートル。南端で西へ折れ、幅約3.2メートル・48段の階段で会場側へ下りる構造だった。

重要なのは、この橋が会場への事実上唯一のルートだったことである。駅と会場の間には国道が走っており、橋を渡らずに会場へ行くには、500メートル以上離れた別の橋へ回るしかない。徒歩なら30分近くかかる。しかもこの別の橋は、花火大会のパンフレットに描かれた地図の範囲外であり、会場への行き方として朝霧歩道橋以外のルートは案内されていなかった。

花火は午後7時45分に始まり、午後8時30分に終わる。当日、橋には午後6時頃から人が流れ込み、午後7時には通行が難しくなっていた。

また、橋を渡った先には、180余りの夜店が並んでいたため、花火が終わっても、夜店を目当てに会場へ向かう客の流れは絶えなかった。花火大会から帰る客と夜店に向かう客が、すでに通行が難しくなっていた橋の上でぶつかった。

そして午後8時48分頃、群衆なだれが起きた。

裁判が裁いたこと

この事故では、5人が業務上過失致死傷罪で起訴され、全員の有罪が確定した。主催者である明石市の職員3人、警備会社の大阪支社長、そして明石警察署の地域官(※)である。

※ 地域官:警察署内の職名。この事故では雑踏警備計画の立案を取りまとめ、当日は現地警備本部の指揮官として配下の警察官を指揮する立場にあった。

ここで、警備の役割分担を押さえておきたい。

こうしたイベントの雑踏整理は、原則として主催者側――市と、市が委託した警備会社――が担う。ただし市職員や警備員には、客の流れを止めたり迂回させたりする法的な強制力がない。あくまで「お願い」だ。手に負えなくなったときのために、背後に警察が控えている。

警察官には、雑踏を実力で規制する強制力がある。この事故で決定的だったのは、自主警備が限界を超えたのに、この背後の警察力が動かなかったことだった。

当日、橋の混雑は自主警備では手に負えない段階に達していた。それなのに、市職員も警備会社支社長も、危険な滞留を前にして流入規制や警察官の出動要請をとらなかった。要請を受ける立場の地域官も、部下から部隊が必要だと強く進言されながら消極的な反応に止まり、機動隊の出動を要請しなかった。

判決は、遅くとも午後8時過ぎ頃までに機動隊を出動させていれば、事故は回避できたと認定している。

有罪になった5人の過失は、突き詰めれば「危機的な状況になっているのに対処しなかったこと」である。

本当にダメだったのは「計画」そのものだった

だが、そもそも危機的な状況は起こさないほうが良い。危機的な状況が生まれなければ、対処の必要もないからだ。つまり事故の根本的な原因は危機的な状況を生んだ“計画”にある。

花火が終われば帰る客が橋に殺到するが、一方で夜店へ向かう客もいる。両者が橋の上でぶつかる――。これは計算するまでもなく予想がつくことだった。しかも、それを裏づける前例があった。

事故の約7か月前、2000年の大晦日から2001年の元日にかけて、同じ大蔵海岸公園でカウントダウン花火大会が開かれていた。

予想された2万5000人に対し、主催者最終発表で5万5000人を集めたこの大会でも、朝霧歩道橋の南端付近で、駅へ向かう客と公園へ向かう客が鉢合わせし、身動きが取れなくなった人から多数の110番通報が寄せられていたのだ。このとき現場では、歩道橋への人の流入を一時的に制限したり、迂回路へ誘導したりして対処した。

そして、このインシデントとも言える混乱の現場には、後に刑事責任を問われることになる5人のうち4人がいた。

市の職員のうち2人はこのカウントダウンに来賓として、1人は運営担当として出席。さらに警備会社の支社長は会場の管制責任者として、橋の混雑とその対処を間近で見ていたのだ。

彼らが、花火大会の計画づくりに携わり、あるいはそれを統括する立場に就いた。花火大会の見込み来場者は約15万人。ぎりぎりでピンチを凌いだカウントダウンの規模を、はるかに超えていた。

それでも、カウントダウンの時の教訓は計画に反映されなかった。

主催者と警察は3回検討会を開いたが、会場選定も、夜店の配置も、前回どんな混雑が起きて何が原因だったかも、十分に検討されなかった。歩道橋の中央に人を立たせて行きと帰りのルートを交通整理する案が提案されたが、なぜか採用されなかった。

なぜ計画は罪に問われなかったのか

花火大会の“計画”自体に問題があったことは、裁判所も分かっていた。判決は、事前の計画段階で事故防止の方策も監視の方法も連携体制も定められていなかったことを指摘している。

後の損害賠償請求訴訟では、計画策定の不備こそ事故の最大の原因だと評価された。司法からも、計画のダメさがはっきり見えていた。

それでも、「計画の欠陥」は、誰の罪としても問われなかった。理由は、責任追及という営みそのものの性質にある。

裁判は、事故や事件の原因を特定の個人あるいは企業に帰属させようとする仕組みだ。だから、個人に帰属できる原因――責任者が明確な当日の対応の失敗など――はすくい上げる。

しかし計画の失敗は、多くの人が少しずつ関わり、誰か一人のものとは言い切れない。個人に帰することができない原因は、目の前に見えていても、責任追及の関心の外へこぼれ落ちる。

ここに、責任追及の限界がある。事故後、「誰が悪かったか」を考えるのと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なテーマは「どうすれば次を防げるか」のはずだ。

この二つは、重なるようでいて別のものである。特定の個人に罪を負わせれば、前者は決着する。しかしそれで、後者も結論に至るとは限らない。むしろ、罪の帰属で幕が引かれることで、一段落ついたかのように錯覚され、再発防止への議論が置き去りにされることもある。個人の責任追及に偏るとは、そういうことである。

雑踏警備業務の検定制度が新設も、「安全な計画を作る」仕組みは…

この限界は、「明石花火大会歩道橋事故」後の対策にもそのまま現れている。

事故を受けて、2005年に雑踏警備業務の検定制度が新設され、2009年には一定以上のイベントの警備を行う場合に検定合格者の配置が義務づけられた。これは前進である。だが、いずれも「当日、現場で雑踏をさばく人員」の質を上げるものにとどまっている。

根本原因を取り除く「不備のない計画を作る仕組み」は、できていない。

イベントで道路を使うには、道路交通法に基づく道路使用許可が要る。しかし、この道路使用許可で審査されるのは「交通の妨害にならないか」であって、「群衆を安全にさばく計画になっているか」ではない。

考えてみれば、これは奇妙なことである。

建物を建てるときは、届けを出すだけでは済まない。設計が建築基準法に適合しているか、建てる前に専門家が審査する。航空機には型式証明があり、設計が安全基準に適合しているかを審査される。自動車にも医薬品にも、作る前・売る前に設計の審査がある。ところがイベントの計画には、参加者を安全に誘導できるようになっているかの審査がない。

だから今もなお、あの日の花火大会と同じことが起きる可能性は残されている。

明石花火大会歩道橋事故は、長い間「誰が悪かったのか」を問うてきた。その問いは、当日その場にいた5人に行き着いて、そこで止まった。

だが、11人が亡くなった橋の上で本当に欠けていたのは、現場の注意深さでも、罰の厳しさでもない。人がどう流れるかをあらかじめ設計し、その設計が適切かを誰かが確かめる――建物や乗り物にはある当たり前の仕組みが、イベントという領域にだけ、なかったことである。

そして、その手つかずの空白は、事故から25年が経とうとする今も、埋まっていない。

■島崎敢
1976年東京都生まれ。早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。同大助手、助教、防災科学技術研究所特別研究員、名古屋大学特任准教授、近畿大学准教授を経て、近畿大学教授。元トラックドライバー。全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など、多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者。著書に「心配学〜本当の確率となぜずれる〜」(光文社)等があり、学術的知見を現場へ還元する実践の場として、トラックドライバー応援Podcast「プロフェッショナルドライブ」を配信中。

配信元: 弁護士JP

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