私の"肩書"は? 私は何者? 「私といくつかの"ワタシ"と生きるために」気づいたたくさんのこと~連載最終回〜

私の"肩書"は? 私は何者? 「私といくつかの"ワタシ"と生きるために」気づいたたくさんのこと~連載最終回〜

年齢を重ねると、いろんな役割が生まれたり、あたらしい自分自身に出会ったりするもの。
「こうでなければならない」に縛られず、多面性を持って生きるみなさんを、
編集者の竹田理紀さんが取材する連載『私とワタシ』。
生き方はひとつじゃない、興味の赴くままに生きることへのエールをお届けします。

企画・文:竹田理紀 (mineO-sha)
1975年埼玉県・川越生まれ。編集者、コピーライターなど。いくつかの暮らしまわりの雑誌編集部を経て独立。mineO-sha 主宰。
http://www.mineo-sha.com

私といくつかの”ワタシ”と生きるために

もし、今、「あなたは何をしている人ですか?」と問われたら、「編集や言葉を書く仕事などをしています」と答える。「など」の中には、母や妻や娘としての自分もいる。

都内にスペースを持ち展覧会やイベント企画をしているし、実家のカレー店を手伝っているので、出張カレー店もある。おそらくこれからも、増えたり減ったりしていくだろう。

「など」と言えるようになったのは、最近になってからだ。担当していたこの連載で出会った人たちに、この感覚を育ててもらった。

1975年、昭和50年、第二次ベビーブームという時代が終わる頃、私は生まれた。
50代の読者の方々はわかると思うが、バブル崩壊以降、先行きが不安定な世の中に直面し、「自分探し」というブームが起こった。私は高校生だった。

本来の自分とは何か?
 
自分はどこに向かって生きるのか?
 
自分がやりたいことは何か?―。

それを考えることが、これからの人生に大切なようだとは思っていたけれど、私は見つけることができなかった。

大学に入って、就職活動の際にまた、「自分探し」という言葉が私に重くのしかかった。その時は「マスコミに入りたい!」というかなりざっくりとした気持ちだけ握りしめて、縁あった会社に入ったのだった。

それから20年近く、いくつかの会社を渡り歩いた。その間に結婚、出産をして母親にもなった。40歳をすぎた頃、独立。
その頃の私は、ようやくここまで来たという感覚でいた。勤めていた会社や、それまで出会ってきた人たちとの縁から仕事をいただき、「頼まれたことはなんでもやろう」と走り続けていた。そんな矢先のコロナ禍だった。

世の中の価値観がガラリと変わる中で、変わらない軸を持つ人たちの強さがまぶしく見えた。

対して私は、「編集者」と名乗ってはいるものの、何か一つのジャンルに特化しているわけでもない。インテリア、料理、生活実用、芸能――あまりに雑食。
都内に借りたスペース運営や、実家のカレー店での修業も中途半端。

「一体私は何者なんだろう」と考え込んだ。会社員の頃にはあった、肩書きや昇進といったわかりやすい評価軸もない。拠り所にしていたものが揺らいだ時、やり残していた宿題のように、「自分探し」の呪いがまた頭をもたげてきたのだった。

そんな時に読んだのが、田中優子さんが共著で書かれた『江戸とアバター』(朝日新書)だった。田中優子さんは、江戸の人々について、一人の人間が複数の役割を持ちながら生きていたことを書いていた。
そこには武士や商人でありながら、戯作者や画家でもある人々がいた。その時、少し肩の力が抜けた。

「ひとつに決めきれない私は、中途半端なんじゃないか」と思っていたけれど、そもそも人は、そんなに単純なものではないんじゃないか。現代だって同じじゃないのかという仮説を
たて、見渡すと、2つ3つとさまざまなことをしている人が見えてきた。そうして出会った人たちが、この連載に登場してくれた方々だ。

写真家で陶芸家、スタイリストで参鶏湯研究家、美容師で彫刻家、モデル・俳優でタロットカウンセラー、編集者でリフレクソロジスト、グラフィックデザイナーで農デザイナー、詩人・音楽家でカリグラフィー作家、スタイリストでセラピスト、衣装デザイナーで松プロダクト
デザイナー。

「本業はなんですか?」と聞けない人が増えていた。

でも、彼らはどこか軽やかで、無理をしている感じがしなかった。
みな、何か一つを続けながら、人生の途中で、もう一つの扉を開いていた。
始めるきっかけはさまざまだった。

仕事を続けて20年という節目や体調の変化で湧き上がる「何か足りない」という感情。コロナ禍で自分を見つめ直す時間ができたこと、他者からの思いがけない依頼―。

でも、共通していたのは、「もう一つのこと」が、突然どこかから降ってきたわけではないということだった。
それまで生きてきた時間の中で、好きだったこと、気になっていたこと、違和感として残っていたもの。そういう小さな種が、あるタイミングで芽を出していた。
そして、「ちょっとやってみよう」と、自分でその芽に水をやっていた。やってみることで、逆に「自分はこういう人間だったのか」と気づいていく。その繰り返しなのだと思った。

昨年、昭和で数えると100年の節目、私の世代は50歳ということもあり、学生時代の集まりがいくつかあった。大学を卒業後、専業主婦となり、子育てをしっかりやり切った女友達が、また正社員として働き始めたり、学生時代の趣味を再開したりしていた。「続くかわからないけ
どね〜」そう言いながら笑う友人の顔は、どこか学生時代に戻ったみたいだった。

子育てを終え、久しぶりに〝自分のために時間を使う〟ことへの照れと高揚が、同時に混ざっているようにも見えた。それならそれで、また次を始めればいいんじゃない、と今の私は思う。学生時代に好きだったもの。昔、途中で諦めたこと。子育てや仕事に追われる中で、ずっと心の端に残っていたもの。
新しく始めたと思っていても、実は全部、自分の人生の続きなのかもしれない。

最終回を迎えることになり、撮影を担当してくれた写真家の山根晋さんにも
「この連載を経て」をテーマに写真をお願いしたら、届いたのは私が取材中の姿だった。メッセージと共に。

取材に伺った際、撮影の被写体となるのは、当たり前だけど取材の先方となる。
しかし、取材中にふと連載の書き手である竹田理紀さんを撮った写真が2枚ある。
写真を見返すことなく、その2枚がすっと記憶の中から浮かび上がってきた。なぜ、写真を撮ろうと思うのか?
 それは眼の前にある光のなかの一時を讃えることと言えるのかもしれない。

そこには私も知らない私が写っていた。
山根さんが見つけた、私が写っていた。そのくらい、自分では知らない私を、他者は見つけている。
これから先、また〝ワタシ〟は増えるのか、減るのか。それはまだわからない。
でも、その変化ごと抱えながら、生きていきたいと思っている。

写真:山根 晋
写真/映像を主な表現形式とするアーティスト。身体的な直接経験を制作の起点として、写真や映像というメディウムの性質を独自に解釈したコンセプチュアルな作品を発表している。近作に陶芸家・黒田泰蔵氏の晩年の作品を撮影した《ENTO/MEIPIN》、海の波打ち際を撮影した《臨海》、個人の「もっとも古い記憶」の音声を素材とした《深記憶録-空間- 佐賀白石》などがある。

edit & text: Masaki Takeda[mineO-sha] photograph: Shin Yamane

大人のおしゃれ手帖2026年7月号より抜粋
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