「流れるプール」吸い込まれ事故、小2女児の犠牲から20年…悲劇を止める“8つのチャンス”が見過ごされた背景

「流れるプール」吸い込まれ事故、小2女児の犠牲から20年…悲劇を止める“8つのチャンス”が見過ごされた背景

2006年7月31日、埼玉県ふじみ野市の市営プール(大井プール)で、小学2年生の女児が流水プールの吸水口に吸い込まれ死亡した。吸水口を覆う防護柵が脱落していた。

柵の脱落に気づいたのは、監視員ではなく、プールに入っていた児童だった。柵の脱落が確認されたのは午後1時35分ごろ、女児が吸い込まれたのは午後1時40分ごろである。児童から知らされた監視員は現場責任者に連絡すると同時に、遊泳者に吸水口へ近づかないよう呼びかけた。しかし、対応はそれだけだった。連絡を受けた現場責任者は、外れた柵を付け直す針金を取りに管理棟へ向かった。その間に、事故が起きた。

検察審査会の議決文は、この5分の間にとるべきだった措置を列挙している。柵を手で押さえる、監視員を吸水口の前に立たせる、遊泳者をプールから出す、ポンプを止める。このいずれか一つでも実行されていれば事故は防げたことが明白である、と。

吸水口には最大で約325キログラムの吸引力が働いていた。柵が外れた吸水口の前で、呼びかけ以外の対応を取らなかったことが、この事故の最後の分岐点だった。(島崎敢(近畿大学教授・安全心理学))

柵はいつ、なぜ外れたのか

防護柵がいつ、どのようにして外れたのか、実は全く分かっていない。事故調査委員会は、脱落の直接の経緯を最後まで特定できなかった。当日の朝の時点でどうだったのか、前日はどうだったのか、記録が存在しないからである。

記録がない理由は、プールの管理日誌に定められた点検項目にある。水質を保つための塩素濃度や水温の測定、受水槽や水道メーターの点検といった、衛生管理に関わる項目は定められていた。しかし、柵の固定状態のような構造・設備の安全を確認する項目は、一つも含まれていなかった。

実は埼玉県は、市教育委員会が所管している各施設のプールの管理者に対して、吸水口の柵の点検を入念に行うこと、万一柵が外れても危険な状態にならないように柵を二重にすることを、何度も依頼していた。

事故の4年前の2002年に改正された埼玉県プール維持管理指導要綱には、点検項目が具体的に書かれている。

排水口や循環水取入口の金網が正常な位置にあることを確認すること。触診・打診により、金網の欠損や変形、それらを固定しているネジ・ボルトの欠落や変形がないことを確認し、必要に応じて交換すること。そして、蓋をネジ・ボルトで固定するだけでなく、その奥の配管口にも吸い込み防止金具を設ける二重構造とすることも求められた。

さらに、事故のわずか2か月前の2006年5月31日にも、埼玉県教育委員会教育長から「水泳等の事故防止について(通知)」が出されていた。ここでは、排水口の蓋の設置と固定の状況を確認し、固定されていない場合は早急にネジ・ボルトで固定すること、吸い込み防止金具を設置することが求められていた。

こうした通知に対して、少しでも対応がされていれば、事故は起こらなかったはずだ。

通知が行動に繋がらなかった理由

ではなぜ、届いた通知が行動につながらなかったのか。

第1に、これらの通知には強制力がなかった。自動車には車検がある。エレベーターなどの設備も、有資格者が定期的に点検し行政へ報告する義務がある。しかし、プールの吸排水設備には、そうした制度がない。要綱に「確認すること」と書かれていても、確認したことをチェックする機関はないし、確認しなくても罰則はない。

第2に、届いた通知が十分に読まれなかった可能性もある。2002年の要綱改正を伝える文書は、大井プールを所管する旧大井町教育委員会社会体育課に届いている。文書に目を通したことを示す、当時の課長や管理係長の押印も残っていた。しかし、柵が二重構造に改修されることも、管理日誌に点検項目が追加されることもなかった。押印という行為が、内容を理解した証ではなく、目を通したという体裁を残すための手続きになっていたのかもしれない。

第3に、事故の2か月前の通知は、そもそも体育課に届いていない。この通知には「学校以外のプール」にも適用すべきことが明記されていた。しかし市教育委員会の中では、なぜか学校プール向けの文書として処理され、体育課には回されなかった。学校プール向けと判断された経緯は不明だが、届いていない文書への対応は、できるはずもない。

第4に、要綱改正の内容を反映していない古い仕様書が、毎年使い回されていた。仕様書とは、業者が実施すべき業務を定める文書である。市が業者に発注する際の仕様書は、2002年に要綱が改正された後も、毎年、実施年度と委託期間を書き換えるだけで使い回された。担当者が交代しても、現行の要綱と照らし合わせて中身を検証することはなかった。

市の担当者は自分が起案した仕様書の中身を把握しておらず、シーズン最初の開設前の点検責任が市にあることも認識していなかった。現場に出向いても、下請けの現場責任者に「大丈夫か」と尋ね、「大丈夫です」という答えを受け取って終わっていた。

さらに、この施設の管理は、市から受託した業者が別の業者へ一括で再委託していた。受託した業者が中抜きだけをして別の業者に丸投げする一括再委託は、契約違反である。禁止されている再委託が何年にもわたって続き、それが発覚しなかったという事実は、市がいかに現場を見ていなかったかを示している。

7年間続いた針金による応急処置

このプールが開業したのは1986年である。設計上、防護柵は四隅をステンレス製のビスで柵受板に固定することになっていた。

1999年ごろ、経年劣化でビスが効かない箇所が出はじめた。受託業者がそれを体育課に報告すると、担当職員はビスの代わりに針金で留めるよう指示した。以後、業者から同じ報告があるたび、同じ指示が繰り返された。抜本的な修繕は行われず、針金による仮留めの箇所は少しずつ増えていった。やがて報告そのものがなくなり、事故当時には、外れた柵の四隅すべてがビスで固定されていない状態になっていた。

針金による固定について、針金の太さも、材質も、交換の頻度も、どこにも定められていない。強度がどれだけ保証されるのかを検討した記録もない。応急処置として始まったものが、期限も基準もないまま7年間続き、いつのまにか正規の状態を置き換えていた。

そしてさらに遡れば、1986年の設計そのものが問われる。吸水口には二重構造がなかった。防護柵が外れれば、その奥にはむき出しの配管口があるだけだった。二重構造を求める基準ができたのは2002年なので、開設当時に基準に反していたとは言えないが、この段階で多重防護の設計思想があれば、事故は起きなかった可能性が高い。

事故を止めるチャンスは少なくとも8回あった

ここまでを読めば、現場責任者や行政の行動を「怠慢だ」「けしからん」「意識が低い」とする声が聞こえてきそうだ。実際、刑事裁判では、その年の開場前に柵の固定状態を確認する義務を怠ったとして市の体育課長と管理係長が有罪となり、日常点検を怠ったとして下請け業者の現場責任者も罰金刑を受けている。

しかし、この判決が捉えているのは、長い経緯のうちのごく一部でしかない。彼らが事故に最も近い位置にいたのは確かだが、彼らが着任した時点で、吸水口の柵は一重構造で、それを針金で留めることは常態化しており、通知が読まれていなかったために、仕様書には吸水口の点検が含まれていなかった。

これら上流の出来事に関わった人たちにも責任を取らせろと言いたいわけではない。この事故には、止められる機会が何度もあった、ということに着目すべきだ。

1986年の設計段階。1999年に最初のビスが効かなくなった時点。2001年に行われた保健所による立入調査。2002年の要綱改正通知。毎年の仕様書更新。2006年5月の通知。開場前の点検。そして事故当日の5分間。

少なくとも8つの時点で、この事故を止めるチャンスがあった。そしてこのチャンスの一つでも活かせていれば、事故は起きていない。

問うべきなのは、どの地点にいた誰が悪かったのかではなく、それぞれの場面でなぜ防護壁が機能しなかったのか、そしてどうすれば機能するようになるのか、である。

事故の後、ふじみ野市は2006年、2009年、2011年と3度にわたり報告書をまとめている。対策の内容は、決して薄いものではない。

委託業務の共通仕様書が整備され、業務成績の評定制度が作られ、業者には履行体制報告書の提出が義務づけられた。日常的安全点検の実施マニュアルと項目別点検表が整備され、委託の場合も契約で点検を義務づけることとされた。技術系職員が配置されていない施設には、技術系職員による安全検査が行われることになった。毎年7月31日は「公共施設安全点検の日」と定められた。

当事者となった自治体として、相応の仕組みを作ったと言える。

しかし、3度目の報告書の巻頭で、市長はこうも書いている。〈これまでの報告書で示した事故再発防止に向けた対策をより実効性のあるものとするには、職員個々の意識改革が急務〉だと。

しかしこれは本末転倒ではないか。安全は、人間の意識のような不安定なものに依存すべきではない。

吸水口が一重構造であることは、意識では変わらない。基準のない針金は、意識を高めても強度を持たない。古い仕様書は、意識では書き換わらない。届かなかった通知は、受け取れなかった人間の意識にのぼりすらしない。

必要なのは、意識を高めることではなく、意識が低くても事故が起きない構造である。

柵の二重化。柵が正しく収まっていなければ動かないポンプ。漏れのない点検表。通知が反映されたことを確かめる手順。禁止されている一括再委託を見抜く手段。いずれも、誰かが注意深いことを前提としない仕組みが必要である。

最後の5分間で何ができたのか

現場では遊泳者への呼びかけが行われていたことから、少なくとも危険が認識されていたことがわかる。ただ、柵が外れるという事態は、おそらく当時の関係者にとって想定外だったにちがいない。だから対応が決められていなかったし、復旧作業を先に選んだように危険性の評価もうまくできなかったのだろう。

だとすれば、必要だったのは「異常を認めたら、まず遊泳者をプールから上げる」というルールだったのではないか。設備の異常がどの程度危険なのかは、その後確かめればよい。

そしてこういった手順が躊躇なく実行できるように、関係者へルールを周知し、訓練を行っておくべきだった。

事故翌年の2007年3月、文部科学省と国土交通省が「プールの安全標準指針」を策定し、二重構造の安全対策を全国的な指針として示した。これは前進である。

ただ、性質としては、大井プールに届いた通知と同じものだ。指針であり、基準であり、遵守を求める文書である。大井プールで起きたのは、まさにこの種の文書が機能しなかったという事態だった。文書が届き、誰かが押印し、しかし何も実行されないという事態は、他の場所でも起こりうる。

ふじみ野市が整備したような点検表の様式や履行体制の確認は、全国に義務として展開されたわけではない。プールの吸排水設備を、資格を持つ者が定期に点検し、行政に報告する制度は、事故から20年が経とうとするいまも存在しない。

今年もプールシーズンである。そこで安全を担保しているものが、設計なのか、点検を義務づける制度なのか、それとも意識の高い誰かがその日たまたま危険に気づくことなのか。この事故の再発防止はまだ道半ばかもしれない。

■島崎敢
1976年東京都生まれ。早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。同大助手、助教、防災科学技術研究所特別研究員、名古屋大学特任准教授、近畿大学准教授を経て、近畿大学教授。元トラックドライバー。全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など、多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者。著書に「心配学〜本当の確率となぜずれる〜」(光文社)等があり、学術的知見を現場へ還元する実践の場として、トラックドライバー応援Podcast「プロフェッショナルドライブ」を配信中。

配信元: 弁護士JP

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