
◆父からのプレッシャーはなかった
――一ノ瀬さんの家系はハイソサエティとのことですが。一ノ瀬リカ:自分で意識したことはないのですが、父が歯科医師、祖父母が2人とも医師、さらに上の代には法曹や大学教授がいるようです。面白いのは、祖父は医師をしながら画家もやっていましたし、父も歯学部時代はかなりバンドにのめり込んだようです。実学をやりながらも、芸術も好きだったのでしょうね。
――先代までと同様に、「医療に携わってほしい」というプレッシャーはありましたか。
一ノ瀬リカ:かなり早々に、父は「継がなくていいから」と言っていました。たぶん、父自身が音楽をやりたかった経験から、思うところがあったのかもしれません。ちなみに兄もクリニックを継いでおらず、好きな仕事をしています。
――自由で素晴らしい教育方針が、一ノ瀬さんの性格にも影響していそうですね。
一ノ瀬リカ:私が幼いころから歌が好きなのを知っていたからかもしれません。幼稚園からずっと私立の学校に通っていたのですが、小学校の教育も非常にユニークでした。教室というものがなく、フリースペースがあるだけで、どの席に座って学んでもいいし、何を勉強してもある程度は自由な学校でした。
◆原宿駅のトイレで着替えていた

一ノ瀬リカ:中学2年生だと思います。当時流行していた『ケラ!』という雑誌に出会って、そこで紹介されている音楽やファッションが刺さりました。地元は静岡県なのですが、片道2時間かけて、原宿駅まで行き、駅のトイレでゴスロリファッションに着替える……という学生時代でした(笑)。幼い私に『mezzo piano』とかを着せてきた母としては、頭を抱えたようですが、それでも禁止はせず、「家の周囲をその格好でうろつかなければ何でもいい」と呆れていました。
――勉強もおできになったとか。
一ノ瀬リカ:ありがたいことに人並み以上にはできたようです。小学校のときは、「同級生と習熟度が違うから」と言われて別教室で授業をされていました。同じ学校法人の中学校・高校に進学するのですが、東大を目指すコースに入れられました。ただ私は相変わらず音楽やファッションに没頭していて、本当は受けるはずだった早稲田大学の受験日と大好きなバンドのライブが重なってしまって、ライブを選ぶほど不真面目な受験生でした。早稲田大学を受験しても、受かっていたか際どいなとは思いますが。結局、青山学院大学に進学しました。

