港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:ホテルの密室で、彼女が知ってしまった“あの男”の正体とは。幼い頃からの謎が溶けた瞬間
「許してないよ、あの人のこと」
病室から出てきたルビーは、いつも通りの口調でそう言って、笑った。ルビーと母・明美を2人きりにして30分ほど。20年近く確執のあった母と号泣しながら抱き合い、和解したのかと思うとどうやら違うらしい。
蔵王の森に囲まれた病院の1Fのカフェは入口の脇にあり、病室に繋がる方向以外の3面がガラス張りで、この病棟が末期の患者たちの癒しのために作られていることを象徴するように緑に囲まれていた。3人が選んだ窓際のテーブルに落ちる森の光は優しく、8月だということを忘れてしまいそうになる涼やかなこの空間を、ともみはなぜかとても寂しく感じた。
「そんなに簡単に許せるわけないじゃん」
いたずらっぽく微笑んだルビーの声は、人気のないフロアに良く響いた。カフェには3人と「この山でとれたハーブを混ぜたものなのよ」とローズマリーを中心にブレンドされたお茶を勧めてくれた店員のおばさまだけ。
そのおばさまは、元看護師で定年退職をしたあと近所にこの病棟ができたことをきっかけにカフェで働き始めたのだと、尋ねてもいないのに話してくれたのだが、そのおしゃべりが苦痛ではない田舎特有の柔らかさを持つ女性だった。
「うまい」
思わず口に出すほどに、ミチはハーブティーの香りと味に魅せられたようで、1人2杯ずつくらいはあるからね、とおばさまが置いてくれたガラスのティーポッドを手にとり、湯の中で泳ぐように踊るハーブの種類を確かめようと吟味し始めた。ルビーが「カクテルに使ってみたいの?」と、茶葉を買えるか聞いてみようよ、とおばさまに「すみませーん」と声をかけた。
母との雪解けか否かのハードな話をしていたはずなのに、ミチもルビーも至極通常運転だ。この状況でも、ミチがカクテルのことを考えているのだとすぐさま読み取るルビーに、ともみは改めて2人の絆を感じた。
「気に入ってくれたのねぇ~」
喜んだおばさまが、帰りに渡せるようにしておくねといそいそと戻っていくと、ルビーはともみに話の続きだよね、と微笑んだ。
「アタシの父親ってヤツがクズ男で、あの人も騙されてて。あの人なりに病気とかPTSDとか、大変な状況だったことは理解したしもう疑ってない。けど、アタシは捨てられたのは事実だし。今自分が大人になって思ってもアタシを捨てる以外の方法があったと思う。
クズ男に似たアタシの顔を見ると発作が出るから、離れなきゃいけないっていうのは仕方ない。でも、なんでアタシに真実を伝えたなかったのかな?確かに6歳じゃ理解できなかったかもしれない。でも施設に入る時は8歳になってた。8歳でも無理だったとしても、10歳になったら?アイツはその努力をしなかった。
母親が自分の顔をみると苦しくなるって知ることが、アタシを傷つけると思って言えなかったとかさ、バカな大人の勝手な思い込みだし子どもをなめすぎだよね。
しかもあの人は、別れる時に『絶対に向かえに行く』って言った。でも来なかった。アタシはわけが分からないまま置いてきぼりにされた。それからずーっと親に捨てられた子どもとして生きていかなきゃいけなかったんだから。
親に捨てられるって結構な地獄だよ。いらない子なら、なんで生まれたのか生きてく意味が分からなくなるんだから。自己肯定感どころか、自分に価値なんて感じられないのよ、1ミリも。
でも、アタシがここまで生きてこられたのは、ラッキーだったから。施設のみんなとか、光江さんとか――ミチさんとかさ。恵まれてたんだよ。施設を出たあとなんて、いつ警察に捕まってもおかしくないような生活してたし、捕まるなら捕まるでいいと思ってた。アタシはアタシのことがどうでもよかったから」
ミチはまたハーブティーをすすっているが、何も言わない。でも、ともみは“ルビーがミチと光江に出会えたこと”を信じてもいない神様に感謝していた。人との出会いはそれほどに意味を持つのだと、今ならともみにもよく分かる。
「ミチさん、ありがとうございます」
「あ?」
― ルビーと、出会ってくれて。
「ルビーもありがと」
「何が?」
― 私と、出会ってくれて。
ともみの前に並ぶ2人の顔に“?”が浮かんでも、ともみは笑ってごまかした。言葉にするとなんだか泣いてしまいそうだったから。
「ルビーが許せない気持ち、よく分かる」
「うん」
「でも私は今、ちょっとホッとしてる」
「…そ?」
「うん。だって明美さんは、TOUGH COOKIESの大切なお客様だから」
「そこ?」
「うちのコンセプトは、ご来店された女性の孤独に寄り添うことですから」
やっぱとも姉は真面目だよねぇ~と、ルビーがミチに同意を求めて笑った。ともみも笑顔を返しながら、ごめんね、と頭を下げた。
「とも姉?」
「ルビーは明美さんにもう会いたくなかったのに、私がかなり強引に連れてきちゃったから、正直ずっとひやひやしてた。
本当なら他人が立ち入る問題じゃないし、会わせたことで2人に決定的な亀裂が入ってしまうかもしれない。そう思ったけど、どうしてももう一度、2人に会って欲しかった。ごめん」
「とも姉が割とお節介なのは、よく分かってるからもういいってば」
ともみは、ごめん、ともう一度繰り返してから続けた。
「ルビーが明美さんを抱きしめた。それが見れただけで、なんかすごい嬉しくて……上手く言えないけど……でもありがとね、ルビー」
ルビーの瞳が揺れ、ともみから顔を背けて唇を噛んだ。けれどそれはほんの一瞬で。すぐに口を尖らせて、拗ねたようにともみを睨んだ。
「ありがとうとかさぁ。ともみさんは誰の味方なの?」
「ルビーの味方だよ」
「でしょ?じゃあ、あの人の代理人みたいなコメントやめてくれる?」
「だね、私何目線なんだろ」
ともみが笑い、ルビーも笑う。ミチは相変わらず無言のままで、その視線は窓の外に向いている。
「勘違いして欲しくないから言っとくけど、アタシ別に、あの人を許したから抱きしめたとかじゃないからね。目の前で泣いている人がいたら邪険に扱えないでしょ。そんな感じだから。別にあの人じゃなくても抱きしめたし」
「そっか」とともみは、その割には子どもみたいに泣き叫んでたよね…とは突っ込まずに、ルビーの釈明を微笑みながら聞いていた。するとしばらくして、ルビーは。
「ともみさんにお願いがある」
「いいよ、何でも言って」
「しばらく店を休ませて欲しい。アタシ――」
◆
仙台駅に戻る車の中は、帰り際におばさまが大量にもたせてくれたハーブの香りで満ちて心地がいい。でも。
「なんか…寂しいですね」
「そうか?アイツがいないと静かでいい」
一緒に戻らないと言ったルビーの特等席だったはずの助手席に座ってしまったことが、やや後ろめたいながらも、ともみは嬉しかった。
「アタシ、ここに残ってみる。あの人と分かり合えるとは思わないけど、なんとなく答え合わせっていうかさ。もう少し話してみる気になった」
「これが最後だと思えば、ちょっとは我慢もできそうだから」と笑ったルビーは、近くに宿をとり、まずは一週間ほど残ってみると言った。そこでもカフェのおばさまが大活躍で、免許のないルビーのために歩いて病院に通える距離にある知り合いの宿を紹介してくれた。そこの名物料理だという牛鍋の話に分かりやすく食いついたルビーから、おばさまは根ほり葉ほり、とルビーが明美の娘だということをかなり強引に聞き出した。
「やぁだ~!!あなた明美さんの娘さん?だと思ってたのよ、さっきから。だってそっくりだもの!2人とも美人さんねぇ」
調子のよいおばさまに、さっきから?と3人同時に呆気にとられた。どこをどう見ても似ていない明美とルビーなのに、適当なのか、それともおばさまにしか見えない“そっくり”なポイントがあるのか。
それでもその屈託のない陽気さに、滞在している間、ルビーが頼ることができると思うと、ともみは安心して東京に戻ることができる。
「…どうなるでしょうね、あの2人」
「どうなっても、今までよりましだろ」
そうだといいですけど、と窓の外を見たともみに、ミチが、「ありがとな」と言った。
「え?」
「ルビーが、また捨てられずに済んだこと」
「捨てられる?」
「知らない間に母親がこの世から消える、っていうのはそういうことだろ。それが防げただけでも、ありがたい」
「…そう、ですかね」
「ともみのお節介のおかげだな」
お節介、ってなんか子どもっぽくて嫌な言葉なんですけど、とともみが恥ずかしくなっていると、ミチが、なぜ?とともみを見た。
「西麻布の女帝だって、お節介の固まりだぞ」
「え?」
「光江と書いてお節介と読む、ってくらいにな。あの人のお節介がなきゃ生き続けられなかった人間は山ほどいる」
◆
『今、新幹線に乗ったところ。大輝が出るまでに間に合わなそう。ごめんね、気を付けて行ってきてね。応援してる!』
ともみからのLINEに、大輝は口元をほころばせながらも、寂しくなる。ルビーの母親に会いに宮城に行くと言っていたともみが戻る前に、今度は大輝が撮影で九州に向かわなければならない。
1日でも会えないと胸がざわつく、愛おしい恋人に、『分かった、そっちも気を付けて帰ってきて。現地についたら電話するよ』と返信し、1週間ほどの荷造りの最終チェックをする。
「九州のロケは、大輝くんにも来て欲しいんだよね。現場で役者からセリフについての相談が出そうだし。キョウコもくるよ」
映画監督の門倉崇にそう言われて、大輝は今日東京を発つ。
大輝とキョウコが共同で脚本を書いている映画の撮影期間が半ばを過ぎ、ここからいよいよクライマックスへと芝居は向かっていく。今回の映画は、役者の気持ちを大切にしたい、と言う監督の希望により、“順撮り”と言って、シーンの順番通りに撮影する方法をとっている。
― 現場に行くのは楽しいんだけど…。
やや気が重いのはキョウコと最終話の脚本の構成についてぶつかっている最中だからだ。ロケに来るようにと言う監督の指令も、その話合いをすることも含まれているのだろう。キャリアではキョウコに圧倒的にかなわないけれど、大輝にも脚本家として譲れないクリエイションがあった。
― キョウコさんと、やり合えるのはありがたいことだよな。
自分を鼓舞して、スーツケースを閉めた大輝は、この時、知る由もなかった。
キョウコに今何が起こっているのか。そしてキョウコの夫である門倉崇が…大輝を現地に呼んだ、本当の理由も。
▶前回:ホテルの密室で、彼女が知ってしまった“あの男”の正体とは。幼い頃からの謎が溶けた瞬間
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
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