信州大学特任教授の山口真由氏は、酷暑を繰り返し伝えるワイドショーには、視聴者の離脱を防ぐ「確実な共通言語」として天気を扱う構造的な事情があるとみる(以下、山口氏の寄稿)。

◆なぜワイドショーは「酷暑」を繰り返し伝えるのか
「『酷暑日』が観測史上最長5日連続」「九州で史上初の『酷暑日』」。「猛暑日」の上位ランクとして40℃超えを表す「酷暑日」が予報用語に正式採用されたのは今年4月。梅雨が明けた今、テレビでこの言葉を耳にしない日はない。たしかに今年も災害級の暑さが続いてはいるが、「暑さ」を連呼するワイドショーに辟易している人もいるのでは。これはテレビ、特に「ワイド番組」という長尺放送の構造的な問題である。無数にコンテンツが存在するがゆえに素通りが前提のSNSでは、いかに通りすがりの人の袖をつかむか、すなわち「入り口」が重視される。ショート動画など冒頭2秒ですべてが決まるとすら言われる。一方、とりあえずつけておくのが前提のテレビの場合は、いかに離脱を防ぐか、つまり「出口」を塞ぐのが肝要だ。だからこそ、誰もが共感しやすく、政治のように賛否が分かれにくく、極度に難解すぎもしない、いわば万人の「確実な共通言語」である天気は、チャンネルを変えられないゴールドコンテンツなのだ。
特に日本の場合には、制作側が意図的に「巨大な置き時計」としてテレビを最適化してきた歴史がある。要は、邪魔にならないBGMとしてテレビを流しっぱなしにしてもらう作戦だが、当たり障りがなくなったテレビから若者が離れた今「受け身のメディア」には厳しい目が注がれる。
◆気候変動の複雑さこそ長尺番組で語るべきだ
だがコメンテーターとしての私は、終始脳を刺激する短尺のSNSにはない可能性をワイドショーに感じている。長年流し見されてきたコメンテーターと視聴者の間には疑似的な信頼関係が生じている(と信じたい)。リラックスして受容状態にある視聴者に、コメンテーターが白黒つけがたい複雑な本音をたまに漏らす。だからこそ反感の壁に阻まれずに、言葉が字義通りに響きうるということはないか。長尺番組だからこそ、時間を取って前提から話せるし、生番組だからこそ、意図しない編集を恐れる必要もない。この「酷暑」、今日明日の気象ではなく、未来を見据えた気候変動の次元にまでマクロ化すると、難解で賛否も分かれ、「気候正義」なる大上段からのお叱りには鬱々とする。だが、今のこの異常な暑さは、すでに元に戻れない気候の「臨界点」に達した結果か。はたまた一時的にオーバーシュートしても元の軌道に戻せるのか。可逆か/不可逆かの二元論に収まらない複雑な問題だからこそ、あの緩やかな空気感を生かしてぜひワイドショーで扱ってほしい。

【山口真由】
1983年、北海道生まれ。’06年、大学卒業後に財務省入省。法律事務所勤務を経て、ハーバード大学ロースクールに留学。帰国後、東京大学大学院博士課程を修了し、’21年、信州大学特任教授に就任

