港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:男女3人の旅だったはずが、帰りは2人に…。1人の女性が残ると決めた理由
東京から博多へ。さらに特急とレンタカーを乗り継ぎ大輝が大分県の筋湯温泉に到着したのは、すっかり日が暮れた頃だった。
標高一千メートルの山あいに位置する温泉街で車を降りた瞬間、8月でも冷涼な空気と共に濃密な硫黄の香りを吸い込んでしまい思わずむせてしまった。喧噪とは無縁の静けさの中、風、虫、鳥、そして流れ続ける源泉の湯音。その1つ1つが怖いほどに大きく響いている。
狭い坂道の両脇にひしめき合う木造旅館の浴場や排湯口から真っ白な湯煙が立ち上り、灯りの少ない夜空に明るく映える。まるでおとぎ話の世界のようで、大輝は携帯を取り出し、一枚写真を撮った。
『無事に着いた。ともみも無事に?』
今回の宿は、創業百年ほどの老舗旅館だった。ロビーでチェックインを済ませ、打たせ湯で有名な共同浴場がすぐそばにある…などが書かれた観光案内に視線を送りつつ、先ほどの写真と共にともみへのメッセージを送る。
すぐに『お疲れさま!私も家に戻ったよって言いたいところだけど、光江さんに呼び出されちゃって』と、泣き笑いの絵文字つきの返信がきた。
ともみは、大輝が妬けるほどに光江を慕っている。疲れてるだろうにという心配と、ルビーの母との対面はどうなったのかという気がかりを混ぜた返信をしようとしたとき、「お、来たね」という声がして振り返る。
「大輝は今日もキラキラ輝いてるねぇ。遠くからでもすぐ見つけられる。このルックスが演者じゃなくて脚本家だっていうのが、毎度ムカつくよなぁ。やっぱりワンシーン出ない?」
冗談めいた門倉崇は温泉に浸かってきたのだろう。宿の作務衣の上に羽織り、どことなく蒸気した顔で笑っている。
友坂くんから大輝くん、そして大輝と呼ばれるようになった3ヶ月ほどの期間で、こんなにリラックスしている崇を見るのは初めてだなと感じながら、大輝はペコリと頭を下げる。
「遅くなりました」
「いやいや、急遽呼び出したのはこっちだし、無理言って悪かったね。案の定、タクトが少しセリフを変えて芝居をしてみたいって言いだしててさ。大輝が書いてくれたセリフを勝手に変えるのも違うと思うから、現場でタクトと相談しよう。頼むね」
タクトとは、今回の主演として“女子高生の復讐に巻き込まれる冴えないおじさん役”を演じる、日本を代表する演技派俳優だ。
45歳の崇監督とは同じ歳で、お互いが若手の頃から切磋琢磨し、共に日本の映像界で闘ってきた盟友でもあると、大輝は何かのインタビューで読んだことがあった。
「もちろんです。そこまで僕が書いた言葉を尊重してもらえてむしろありがたいです。今まではセリフが変えられたってことを、試写とか…酷い時にはオンエアで知るということもありましたから」
キョウコとは違い、大輝はまだまだ実績の少ない若手の脚本家だ。大御所俳優が何度もそのセリフを噛んでしまうから、とか、プロデューサーが大輝が生意気で気に入らないから…などの理由で、好き勝手に変更されて事後報告されることも多々あった。
大輝も変更の全てを拒みたいわけではないのだ。芝居をしてみたら違ったということだってあるのだから、ブラッシュアップされるのであれば喜んで変える。
それでも…大輝は大輝なりに唸りながら、やっとのことで生み出した物語を、説明もなく切り捨てられることに心が削られることだってある。
「崇さんの現場が、皆に好かれる理由が分かります。現場に呼んでもらえてうれしいです」
もう一度頭を下げた大輝に、崇は微笑んでから、「まあもう一つ、心配なこともあったからさ」と続けた。
「キョウコとぶつかっちゃってるんでしょ?最終話への流れで」
「…そうですね」
薄く笑んだ大輝の肩を崇が親しげに叩いた。
「どんどんぶつかればいい。監督としては2人が100%納得した脚本を受け取りたい。ただ待つにも限界があるからさ。期限的な限界ね」
「申し訳ないです」
世界最大級の映像プラットフォームで来年配信予定の連続ドラマ。東京の繁華街を徘徊している女子高生と迷い込んでしまったお人よしの中年男性が偶然出会うところから始まる物語。
男性に暴力を振るっていたギャングの若者たちを、女子高生が圧倒的な強さで撃退する。それがきっかけになり、女子高生が人を探していることを知る男性は長く勤めていたIT企業をクビになった冴えない中年…というのが表の顔だが、実は政府のホワイトハッカーとして密かに活動していた過去があり、女子高生へのお礼としてその能力を使って協力することを申し出る。
一緒に過ごすうちに、女子高生は自分の家族を壊した男を復讐のために探しているのだと打ち明ける。そのために、違法な――どちらが勝つかを客に掛けさせる地下格闘技組織に所属し、銃以外の武器なら何でも使って良しという、時に命を落とすこともあるリングに上がり続けて強くなったことも。
驚きつつも、女子高生の痛みに寄り添い続けてくれる男性に、女子高生は恋をする。けれど復讐の相手を見つけたとき、その背後に、日本政府も絡んだ巨大な陰謀が隠されていたことが発覚。女子高生と男性は闘いながら逃げることになる――。
というのが、今回のドラマのあらすじで、その逃避行先が、男性の生まれ故郷でもある温泉街…という設定になり、今回のロケ地が決定していた。
今、キョウコと大輝は、温泉街での逃避行を経て東京に戻り、ラスボスと対峙するエンディングへ向かう、最終の2話の流れについて意見が対立している。2週間後には東京での撮影が始まることが決まっているため、もう猶予はないのだけれど。
「オレ的には2人が完璧に分かり合えた脚本(ほん)ができるまで永遠にでも待ってあげたいんだけど、撮影日のスケジュールがあるからね。だからキョウコもここに呼んでる。宿泊する部屋とは別に2人の作業部屋を1つおさえてるから、そこで存分に闘って仕上げてほしい」
「わざわざ…ありがとうございます」
「キョウコももう来てるから。頼むね」
ポンポン、ともう一度大輝の肩を叩いた崇が、「監督~」とスタッフに呼ばれた。去って行くその後ろ姿を見送りながら、大輝はふう~っと息を吐いて気合を入れた。
締め切りから2週間も遅れているのに待ってくれている監督、スタッフのためにも良い脚本に仕上げなければならない。
宿泊する部屋と執筆部屋。その2つの鍵をフロントで受け取ると、エレベーターへ向かった。
まずは宿泊部屋に荷物を置くと、すぐに夕食を頼み、運ばれてきた――関あじの姿造りや、豊後牛の溶岩焼き、このあたりの山菜を使った煮物を急いで食べ終える。仲居にすすめられた地酒、八鹿(かつしか)は断り、作業着…上下スウェットに着替えた大輝は執筆部屋へ向かった。
作業部屋の場所は、宿泊する部屋のある本館から渡り廊下でつながった、いわば離れの部屋だった。
― 鍵、開いてるな。
小上がりの前に脱がれた館内用のスリッパが1つ。ふすまを開けると20畳はありそうな畳の部屋の広机に資料を広げ、パソコンに向かうキョウコが顔を上げてイヤフォンをとった。
「お疲れさま。そっちの机を使ってくれる?お茶とかコーヒーも、ポットで用意してくれてるから、ご自由に」
無造作に髪をまとめた浴衣姿。手短にそれぞれの場所を説明したキョウコはまたすぐにパソコンの画面に視線を戻した。
― 揉めてるんだから、気まずくなるかと思ったけど。
おそらくゾーンに入っているのだろう。見事なほどに大輝に感心がないキョウコに、大輝はフッと苦笑いをもらした。
実は東京で、「キョウコ先生がこんなに強く主張されるなんて、はじめて見ました」とプロデューサーの宮本が驚くほど、キョウコと大輝は激論を交わしてた。海外生活が長く、自分の意見を伝えることに慣れている大輝と違い、口下手で口数も少ないキョウコが言葉を尽して訴える様は、確かに大輝にとっても新鮮だった。
大輝はキョウコの後ろに置かれたもう一つの広机に、パソコンと資料を置くとキョウコに背を向けて座ると、作業を始める前に声をかけた。
「お互いにきりのいい所まで書きあげたら、打ち合わせします?2時間後くらいでいいですか?」
今は20時前。日付が変わる前に確認しておきませんかという提案に、キョウコは「そうね、じゃあ2時間後に」と背中を向けたまま答えた。大輝は携帯のアラームを22時にセットし、自分もパソコンを立ち上げる。
キョウコがテンポよくキーボードを叩いていく音が心地よくて、イヤフォンをはめるのをやめた。1つの物語を2人で仕上げていくこの共同作業で、大輝は恋人だった頃には見せてもらえなかったキョウコの激しい熱を知り、それは今や、深い尊敬へと変わっている。
欲しいものを欲しいとは素直に言ってくれない人だった。だから大輝はもどかしく、随分と寂しくもなった。そんな過去に、ほんの一瞬だけ意識を奪われつつも、背中に感じる同志としての熱に励まされながら、大輝は執筆に没頭していった。
◆
ブブブっと小さなアラームが震え、2時間が経ったことに気づく。大輝は大きく伸びをしながら、キョウコに声をかけた。
「2時間経ちましたけど、打ち合わせできます?」
返事はない。イヤフォンのせいで聞こえないのだろうかと、振り返るとキョウコのキーボードを打つ手が止まっている。そしてその体がぐらりと揺れた。
「キョウコさん!?」
反射的に立ち上がり、キョウコを受け止めた。その顔は青ざめ、思わず触れた頬は冷たく唇が震えている。とっさに近くにあったブランケットを掴むと、大輝はキョウコの体を包んだ。
「寒い?お医者さん呼びます?」
反応がない。大輝は慌て、崇、そして宮本に電話を入れたが2人とも出ない。ならばフロントに、と動こうとしたときキョウコの瞼が力なく動き、大輝を見上げた。
「…大輝、くん?」
別れて以来、友坂くんと呼ばれていたのに。驚いた大輝に腕の中のキョウコが微笑んだ。
「…もう少しだけ、このままで」
「キョウコさん…?」
「…分かってるから。もう少しだけこうしてて?」
キョウコの手が震えながら伸び、ギュッと大輝の胸、スウェットを握った。そして瞼が再び閉じられ…大輝はキョウコを抱きかかえたまま、茫然と動くことができなかった。
▶前回:男女3人の旅だったはずが、帰りは2人に…。1人の女性が残ると決めた理由
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
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