8月11日は、国民の祝日である「山の日」だ。本格的な登山シーズンを迎え、レジャーとして多く人が山を訪れる。一方で、例年、山岳遭難事故は後を絶たない。
特に近年、悪天候にもかかわらず山行を決行したり、十分な装備なしに山行したりする無謀な登山者の遭難が深刻な問題として報じられている。もし、そのような登山者が遭難した場合、救助費用の負担は法制度上どうなっているのか。
データで見る夏期山岳遭難の実態
まず、前提として、夏山登山における遭難の実態を確認しておこう。警察庁発表の2025年(令和7年)の統計によれば、昨夏(7月〜8月)の遭難状況は次の通り。
- 発生件数と遭難者数: 夏期の2か月間で発生件数は808件、遭難者数は917人に達した。前年同期(2024年:660件、736人)と比較しても増加傾向が顕著だ。
- 死者・行方不明者: 54人(死者48人、行方不明者6人)に及び、依然として深刻な事態が続いている。
- 地域別発生状況: 長野県(143件)が最も多く、次いで富山県(90件)、山梨県(51件)、静岡県(48件)など、険しい山岳地帯を擁する自治体に集中している。
- 遭難の態様: 原因別では「転倒」が23.6%で最多。以下、「道迷い」(18.6%)、「病気」(15.5%)、「滑落」(13.7%)、「疲労」(13.5%)と続く。
なお、通年のデータでは遭難者の約半数が60歳以上を占めており、高齢層における登山リスクの管理が重要な課題となっている。
救助活動の構造と費用負担のリスク
山で遭難した場合、救助を依頼することになる。そうした時、費用負担はどうなるのか。
対応は主に、警察の山岳警備隊、消防の山岳救助隊、そして民間の山岳遭難対策協議会や山小屋関係者が連携してあたることになる。それぞれの費用負担と金額の相場は以下の通りだ。
公的機関の費用の原則: 警察や消防による救助活動は、現行法(警察官職務執行法や消防法)に費用徴収の規定がないため、原則として無料。
自治体条例による例外: 埼玉県のように、防災ヘリの出動に対して手数料(5分あたり8,000円、1時間で約9.6万円)を徴収する条例を設けている地域も存在する。
民間救助隊出動時の多額負担: 公的機関の手が及ばない場合や二次捜索などで民間組織が出動する場合、その費用はすべて本人の自己負担となる。隊員の日当(1人あたり1日2〜3万円)や民間ヘリのチャーター費用(数百万円規模)により、総額が100万〜数百万単位に達することは決して珍しくない。
このように、警察や消防による公的機関の救助活動は原則として無料となっている。
「自業自得」の遭難者に費用を負担させるべきか?
しかし、この原則については従前から「無謀な登山をした人については救助費用を負担させるべきだ」との批判が根強い。
実際に、今年4月には、滑落等の遭難事故が相次いでいる富士山のふもと・静岡県富士宮市の須藤秀忠市長が、国や県に対し救助費用の有料化を訴え、反響を呼んだ。
なぜ、現状、公的機関による救助活動の費用を対象者に自己負担させるしくみになっていないのか。また、自己負担させる制度を設けることは可能なのか。そこにはどのような問題があるのか。
アウトドアスポーツ全般に造詣が深い荒川香遥弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)は次のように解説する。
「消防・警察の救助活動はそれぞれ『消防法』『警察官職務執行法』に基づいて行われます。
救助活動は法律上、通常業務の一環です。どんな『けしからん』人であっても、生命・身体を保護することは消防・警察の法的義務です。その性質上、救助活動の対象者に費用を請求できるとは考えられていません。
したがって、現行の法制度では、山岳遭難事故で公的機関が救助活動をした場合に、その対象者・家族が費用の負担を求められることは、原則としてありません。
それでもなお、救助活動の費用を自己負担させるには、その旨を定めた法律または条例の規定が必要です。なぜなら『法律による行政の原理』といって、国民に義務を課するには、法律の根拠が必要だからです(憲法41条、65条等参照)。しかし、そのような規定は存在しません」
近年、無謀な登山に対する救助費用の有料化議論が加速している。荒川弁護士は、法的には、著しい過失がある場合に費用負担を求める制度設計は可能だが、要件については慎重に設定する必要があるとする。
「最低限、救助費用を請求できる要件、金銭を徴収するための手続きなどについて、詳細かつ明確に定めなければなりません。『けしからん』というだけで自己負担させるわけにはいかないのです。
たとえば、埼玉県の『防災航空隊の緊急運航業務に関する条例』は、山岳救助のための防災ヘリコプターの出動の手数料について、対象エリアを県内の一部の山岳地帯に限り、飛行時間5分あたり8000円と定めています。
その他にも、『正当な理由』のもとで立ち入ることのできる人の範囲、適用除外事由、請求額の減免など、詳細かつ明確に定められています。なお、手数料を徴収する手続きは『埼玉県手数料条例』で整備されています」
遭難防止のための不可欠な対策
経済的・物理的な救助コストの増大は、登山者個人の倫理と責任を改めて問うている。
遭難を未然に防ぐためには、入念な準備が肝要だ。科学的なデータと客観的な判断に基づいた備えで万全を期すことが求められる。警察庁によると、主な対策は以下の通りだ。
- 事前の準備と装備の徹底:自身の体力に見合った登山計画を立て、十分な装備を整えることが基本。山には常に危険が伴うことを認識し、無謀な計画を避けて節度ある行動をとることが求められる。
- 気象状況の確認と現場での慎重な判断:山の天気は変わりやすいため、最新の気象情報を確認し、ゲリラ豪雨や土石流などのリスクを常に考慮する必要がある。状況が悪い場合には入山を控えるなど、現場での慎重な判断が不可欠。
- 通信手段の確保:救助を要請する際の生命線となる携帯電話などの通信手段を必ず確保する。統計によれば、遭難者の約75%が携帯電話を利用して救助を要請している。
- 単独登山は避ける:複数人で登山していた遭難者の52.0%が無事に救出されているのに対し、単独登山者で無事に救出された割合は46.7%に留まっている。
「山の日」を機に山の恩恵を再認識するとともに、登山者は「自己完結」という基本原則に立ち返るべきだろう。万全の準備と冷静な判断。それこそが、最高の安全策であり、登山者としての最低限のマナーといえる。

