◆じゃあ誰がMVを作ったの?
そこで冒頭の問いに戻るわけです。Adoとは一体何なのか。そして「愛して愛して愛して」のMVは、一体誰が作り、誰が作品の責任者と考えたらいいのだろうか、と。
もともとボカロ界隈の歌い手として世に出たAdoですが、近年ではアイドルグループ「ファントムシータ」のプロデュースを務めるなど、クリエイターとしての一面も打ち出しています。
そう考えると、いまや世間も彼女をただの「歌い手」とは見ておらず、ビジュアルやコンセプトの根幹に関与するアーティストとみなしているでしょう。
また、そうした“アーティスト化”こそが、Adoのブランド価値を高めている一因でもあることは言うまでもありません。
だとすれば、今回「愛して愛して愛して」のMV制作において、Adoが一切関与していないと釈明したことは、むしろ彼女の今後のキャリアにおいて致命的なマイナスとなり得るとは言えないでしょうか。
◆責任の大きさとブランドの価値は比例する
なぜなら、そうした作家たちを束ねる大きなブランドとしてのAdoが完全に関知していないということは、Adoに関連するあらゆる創作、表現行為の価値を著しく下げてしまうことになるからです。たとえば、今回と同じようなケースがテイラー・スウィフトやレディー・ガガで起きたとしましょう。彼女たちは、間違いなくプロジェクトの代表者として何らかの声明を発表するはずです。
責任の大きさとブランドの価値が比例することを、痛いほどわかっているのですね。
では、この一件を通じて、Adoというブランドは何かを主張することができたと言えるでしょうか?
「一切関与しておりません」との文言は、Adoブランドにまつわる手持ちのカードをすべて捨ててしまったに等しい声明だったのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

