港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:「もう少しだけ、こうしてて」元カノと過ごした一夜に、知ってしまった彼女の苦悩
「西麻布で働いてもう4年になるんです。私にも色んな伝手ができまして、真壁さんのことも調べようと思えば、どんなことでも調べられるんです」
「…どんなこと、でも?」
「私もYUMEも、もうあの頃とは違う。私たちこそ真壁さんじゃなければダメということはないんです。今のYUMEには他のレーベルからのオファーも来てますし、こちらが選べる立場なんです。
そんな私たちと契約をしたいと言うならば、まずはこちらに敬意を払ってください」
◆
ともみが弁護士の名刺を出すと、へえ、と真壁が目を細めながら、鮮やかなブルーの長い爪で摘まんで、ひらひらと表裏を見た。
「結構な大物引っ張りだせたんだ。ギャラ、払えるの?」
「もちろんです」
ともみは嫣然と微笑んで見せたけれど、実は支払いに関してはとても不安だ。その大物弁護士は、光江に頭を下げて紹介してもらった、エンターテイメント界の契約では独り勝ち…というほど敏腕な男性弁護士で、依頼人の希望は必ず叶えるという。
ともみの事情を深く聞くこともなく紹介してくれたと思いきや、こうも付け加えた。
「当たり前だけど、支払いはアンタがどうにかしなよ。そこまでの面倒は見ない」
「も、もちろん、です」
「あの男、腕は最高だけど、相当がめついから覚悟しときな」
「はい…」
佐藤太郎、というウソのようなシンプルな名前の弁護士は50歳を超えたところだとニコニコと挨拶をされたのだけれど、前髪の後退を含む毛量の頼りなさや、顔の皺を見る限り、還暦を過ぎていると言われた方が納得だ。
訪ねた事務所は、よくあるタワマンの豪華なオフィスというわけではなく、年季の入った赤坂のビルの狭い一室だった。「事務所にお金かけるなんてもったいないですからね、無駄な経費は天敵です」と、物腰は柔らかく口調も穏やかなのに、なぜか蛇のような雰囲気で、かなり稼いでいるらしいのに事務所だけではなく、スーツ、時計、靴…と金をかけているところが見つからないという、徹底した節約家の気配も恐ろしい。
― まあ、最悪…いざとなったら、ものすごい分割払いにしてもらう覚悟を決めよう。
真壁と勝負をするには、まずここでなめられてはいけないのだから、どんなに高額でも投資すべきだ、とともみは自分を納得させる。
「ま、じゃあ契約しましょ。この弁護士なら他の事務所でもうまくやられちゃいそうだし、その前にうちで頂いておきたいから」
元々YUMEのことを手放すつもりはなかったのだろうが、弁護士の名前が効いた。おかげで2の手、3の手と準備していたカードは出さずに済んだと、ともみは密かにホッとした。
その場で弁護士の佐藤と真壁の会社の弁護士と連絡先を交換することになったけれど、まずはこちらの希望の条件をお渡ししておく、と佐藤が作ってくれた要望書を真壁に渡した。
「…あら。これくらいでいいの?」
真壁が今日初めて、満足そうに微笑んだ。
「もちろんこちらの権利はきちんと主張させて頂きたいですけれど、今回、再デビューとはいえYUMEは新人ですから。事務所が3。そちらが7ということで始めさせていただければ。ただし売り上げの詳細についてはこちらの要望があればすぐ提出する、定期的な契約の見直し、なども組み込ませていただきますけど」
この内容なら弁護士に見せなくても私で判断できそうだけど、と真壁は長い爪で提案書を弄ぶ。上機嫌だ。
「こんなに警戒しなくても、うちはクリーンもクリーン、ホワイト経営で有名なんだから」
並んで座るYUMEの体が強張った。ともみはその膝の上に置かれた手を何気なく握る。未成年に違法な美容整形を薦めた人間が、クリーンを語るとは。
「今は、時代的にうるさいし2人が働いた頃に比べると、いろんなことが改善してるからYUMEは安心して戻ってきて」
ありがとうございます、とYUMEも笑顔を作った。ぎこちなかったけれど、元々YUMEは人見知りだということは真壁も分かっているし、緊張していると受け取ってもらえる程度には笑えている。
― 普通にYUMEを歌わせてあげたいし、今度こそ、夢を叶えてあげたい。
今回の目的は真壁と松本公子への復讐だ。ともみの中では既に計画の道筋はできている。けれど、その計画を気づかれずに達成するためには、騙し抜く狡猾さが必要だ。
ともみ一人では、公子はともかく真壁に気づかれずに裏をかきながら、YUMEの音楽活動をサポートするマネジメントをしていくことはできない。
そのうえ、光江ともTOUGH COOKIESを動かしながらやると約束している。
だからともみは…もう1人誰かが欲しかった。光江に相談するという手も考えたが、「アンタの闘いなんだから、アンタがなんとかしな」と言われるのがオチだし、その通りだと思う。
ルビーは明美のことがあるし、それよりもTOUGH COOKIESのことを任せたかった。頭が回るだけではダメで、口が堅くて…少し性格が曲がっているくらいの人がいい。と思っていたところで、思わぬ適任が現れた。
「悪事を暴く――って言いました、今?」
弁護士の佐藤は、簡単なキッチンはついているが、ワンルームで40平米の赤坂の事務所の小さな応接セット(部屋ではなく、佐藤のデスクの前に置かれている)に向かい合ったともみに、まるで子どものように首をかしげて見せた。
「はい。YUMEを事務所に所属させることには、思いっきり歌わせたいということもありますが、実は…もう一つ理由があって」
「それが、悪事を暴くってことなんですか?これは…あまりにも意外な相談ですね」
あまりびっくりすることはないんですけどねぇ…と言いつつニコニコと全く表情は変わらない。
「まあ…ご依頼を頂いてから私も“ほんの少しだけ”あの事務所を調べましたが、叩けば色々出てきそうではありますけどね。しかし…今時の若い人でも、そんな正義感があるものなんですか?」
「正義感じゃありません。復讐ですから」
「やっぱりそうですか」
やっぱりそうですかと納得されれば、食えないジジイ…と口悪く。
佐藤は“ほんの少し”しか調べていないと言いながら、ともみやYUMEの過去を最早調べ上げているに近いのだろう。
― だからこそ、力を借りたい。
ともみは子役の頃からクセの強い大人に囲まれて育ったおかげで、頼るべき大人を見分けるのが得意だ。それは“いい人”というわけではなく、今この状況で自分にとって必要な人。
佐藤は、不気味なほどに穏やかだ。これほどまでに感情の揺れが見えない大人は、ともみにとっても初めてだった。その上実力は、勝つためには手段を択ばないあくどさまで、光江のお墨付き。しかも、弁護士なら守秘義務を契約として守ることに慣れていて口が固い。
「まあ、何やら楽しそうなので。追加料金さえ頂けるのならご協力しますよ」
ありがとうございます、と言いかけて少しだけひるむ。
「やっぱり、追加…料金ですよね」
「はい、何をするかによって価格は変わりますが」
ただでさえ高額を要求されることが決定しているのに、さらに上乗せとなると痛いけれど、背に腹は変えられないと、ともみは覚悟を決めた。
「お願いしたいことは、まずはリサーチです。この事務所には未成年のタレントも多く所属しています。彼らが美容整形も含めて…違法な処置や労働をさせられていないかということを調べて欲しいんです。可能でしょうか?」
「そう言うのはないと信じたいところですけどねぇ。まあ、あればすぐ出ますよ」
すぐ出る、と言い切られたことが怖いけれど、ともみは気づかぬふりをした。
「私を使うつもりなら全部話してもらいましょうか」
「…いいんですか?共犯になりますよ」
「私は全体像が分からない仕事はしないことにしているんです。あなたがたが何を企んでいたとしても、私が関わる限り共犯にはしませんよ。有罪にならなければ、犯罪ではないのですから」
「…やっぱり、佐藤さんって怖いですね」
「どうしてですか?」
「何をしても裁判で勝てばいい。もしくは罪自体を発覚させなければいい。というかなかったことにすればいい、という風に聞こえます」
「いやだな、そんなこと一言も言ってませんよ」
100人いれば100人がいい人だと疑わない笑顔。でも味方になってもらえた安心感が少しもなく、むしろ緊張感が強くなる。協力をあっさりと切り捨てられてしまうこともあるのだろうと思いながら、ともみは計画の全てを佐藤に説明した。
「なるほど。まずはYUMEさんを、大人気のシンガーにする、と。まあ正しい順番ではありますね」
全体像にひとまず及第点といったリアクションで、佐藤は契約書を完璧に仕上げてくれた。
◆
キョウコの体調は睡眠不足の解消により戻った。監督の門倉崇には無理をせずに休めと心配されたけれど、今日はロケ現場に同行している。テントを張った通称“ベース”と呼ばれる基地のような場所で、監督や音声部、スクリプターと呼ばれる記録係とともにキョウコは、役者のリハーサルをモニターでチェックしている。
18歳になった女子高生と一般的には冴えない40歳前の男性。主演俳優の2人が逃げながら、お互いが唯一無二の存在に変わっていく。それは単なる恋愛とカテゴライズされる絆ではなく、はじめてソウルメイトに出会ったような、尊重し分かり合う温かい関係。
今、主演の2人が演じているのは、男性が女子高生のことを自分よりも大切で、何より守りたい存在になったのだと気づくシーン。分かりやすいセリフや行動では陳腐になると、このドラマでは全体を通していわゆるラブシーンを描くことはやめた。
それについて随分もめた…。
キョウコは、崇を挟んで向こう側にいる大輝を見た。実生活では、恋をすると言葉や態度を尽くして愛を表現するタイプの彼とキョウコの間では、“心に迫る愛の行動”の見せ方について全く意見が違っていたのだ。
― そんなことも、別れて初めて知るなんてね。
視線に気が付いた大輝に微笑まれて、キョウコは何げなくモニターに目を戻した。いまだに心拍数が上がってしまうことを、決して気取られてはいけない。それでなくとも。
― 私は何を話してしまったんだろう。
目を覚ましたとき、枕元には大輝がいた。心配そうにのぞき込まれるとまだぼんやりとする意識の中で幸せな気持ちになった。思わずその頬に触れたくなり、「お水とか持ってきますか?」と大輝が立ち上がり、これは夢ではないのだと気づいて、伸ばしかけた手を引いた。
体を起こしてグラスを受け取ったキョウコに、まだ寝ていた方がいいのではないかと大輝は心配した。
もう大丈夫だと答えても大輝は側を離れなかった。そしてしばらくすると眉根を寄せて聞いた。
「キョウコさん、何か――抱えてること、言いたいことってありませんか」
「…え?」
「お医者さんがおっしゃってました。なにかを随分我慢してるんじゃないかって。東洋医学的に言うと、キョウコさんが倒れたのにはそんな原因も考えられるそうです」
「そんなことない、大丈夫よ。本当にただ睡眠不足だっただけ」
動揺を隠してそう言っても、大輝は納得せず――でもそうは見えません、と続けた。
「キョウコさん、意識を失う前に何て言ったか覚えてます?」
問われて、もやがかかったような記憶が徐々に戻って来る。まさか…。
「…あれって夢じゃないの?」
「夢って?」
「私、もしかして…友坂くんの…」
腕の中に倒れた?とは言葉にできず。けれど大輝の表情でそうなのだと確信する。まさか、あれが夢ではなかったのなら。
「私――何か言ってた?」
怖い。だって夢に大輝が出てくる度に、キョウコは今も、行かないでと叫んでしまう。本当は別れたくなかったのだと、すがってしまう。
「何か言ったのね。あなたに」
「…」
沈黙が答えだ。心臓が跳ねどんどん早くなる。でも聞かずにはいられなかった。
「答えて。私は何て言ったの?」
「…」
「友坂くん!」
問い詰める言葉を繰り返して、それが勢いを持ち始めたとき、大輝は観念したように呟いた。
「本当は別れたくなかった、と」
今度はキョウコが言葉を失った。また血の気が引き、キョウコがベッドボードにもたれかかると、大輝は困った顔で続けた。
「あなたは僕を見つめて言った」
「…」
「僕への言葉でしたか?」
「…」
明け始めた空の光が、障子の隙間から一筋差し込み大輝の肩で光った。
「あなたは別れたいの一点張りで。僕が何度縋ってもダメで。そして一言だけくれた言葉は『愛のために別れたい』でしたよね。でも本当は…」
「…」
「あなたは僕と別れたくなかった?じゃあなぜ、僕たちは別れなければならなかったのですか?」
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▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
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