アパートに重要な役割を果たした“銭湯”
かつてのような、地主の相続税対策や本業の傍らでおこなう賃貸業においては、顔の見える大家さんと入居者の関係も生まれ、挨拶レベルではあっても小さなコミュニティが形成された。
むしろ、大家さんの趣味や関心、社会貢献に特化して、お金のない若い学生や音楽家や芸術家の卵たちを育てたり、建築の内装や外装に凝ったりする収益性を度外視したようなアパート、親から引き継いだ資産なので、古くとも管理の行き届いた懐かしさが売りのアパートも多かった。特に大都市では町内に数軒の銭湯の存在もあり、風呂なし共同トイレであっても充分、都市生活を支えることができたのだ。
そのことはアパートの建設投資においても建設費用の削減にも繋がった。
住宅において工事費用の割合がもっとも多いのは、給排水設備に電気設備が交錯し、防水工事も必要となる風呂工事であり、トイレ工事でありキッチン工事だ。近年のアパート工事は、一部屋あたり800万から1000万円といわれているが、その工事費のうちの4割ほどはこうした設備に関わる部分の工事金額である。逆に考えれば、銭湯がある街で風呂なし共同トイレで、建設費が4割下がるのであれば、家賃も4割下げられるということになるわけだ。
しかし、バブル期の不動産高騰と地上げの動きは、当時の不動産デベロッパーらが、周辺全域を立ち退かせるために、人々の生活を破綻させるよう、街中の銭湯から集中的に売却や立ち退きや建て替えを迫った。そのために、1990年代から2000年初頭にかけて、都会の銭湯はもの凄い勢いで消え失せた。
結果、風呂無しのアパートでは、入居者が埋まらなくなり、水脈を建たれた樹木が立ち枯れるように安い家賃の家は消えていったのである。結果として、必ず水回りを有するのであれば、廉価なアパート事業は不可能になる。小さな部屋でも風呂トイレ付きにならざるを得ず、景気後退で人々の収入は上がらないどころか、低下していくにもかかわらず、2万、3万といった廉価な部屋は消え失せ、都会においては、最低でも6万、8万といった家賃の部屋しか存在しなくなってしまった。
住むほうもしんどいが、貸すほうも事業投資が大きくなり、地主であっても、のんびりした大家業というのは希で、賃貸事業に余裕は失われていったのである。
ワンルームマンションの台頭
ワンルームマンションとは、かつてのアパートの間取りのように畳の部屋と水回りが壁や建具で仕切られ、床も板の間やタイルで切り替えられているような部屋ではなく、一体化した部屋の中にユニットバスとミニキッチンを配置したような構成の住戸を並べたマンションのことである。住戸の中でもっとも、手間暇と金のかかる水回り工事を簡素化したことに特徴がある。
1964年の東京オリンピックの頃に発明された、プラスチックで防水された箱型の風呂ユニットの存在によって、普及が進んだ。特にカプセル住宅といわれた最小限住宅が象徴的で、外食や食事の持ち帰りを前提とし、家の中で無理に調理もしなくていいという考えで、小型の冷蔵庫に小さなシンクと簡易なヒーターのみを備えている。
部屋の広さは、ユニットバスとミニキッチンの部分を含め、ワンルーム制限のかかる25m2前後を基に、各行政区ごとに設けられている総戸数との兼ね合いで計画される。
しかしながら、管理人室も共用のゴミ置き場や駐輪・駐車場も不十分な計画が多く、都内私鉄沿線に建設され始めた当時は、ゴミや自転車の放置などで近隣との揉め事が増えていったため、こうした小さな部屋に独身者を多く住まわせるマンションの戸数を減らす、ワンルーム規制という条例が生まれたのである。
バブル後の不況の一時期は一戸あたり400万円以下という現在の住戸建設費の半額以下で、廉価な事業用アパートも企画された。
それらは、かつての風呂なしトイレ共同アパートよりは見かけはいいものではあるが、その実、壁の断熱性能や内装を単純化したものも多く、住まいの性能よりも、部屋数と家賃だけを根拠に事業の表面利回りによってのみ査定され、現地も見ることなしに購入したオーナーも多かった。
建築エコノミスト/一級建築士
森山 高至
