
37年間コツコツ働いて手にした退職金2,800万円が、わずか3年で1,700万円に――。大場良一さん(当時60歳・仮名)は、取り返しのつかない後悔に項垂れました。しかし、彼が失ったものは、お金だけではなかったのです。軽はずみな判断が家族全体を巻き込んだ悲劇から学べる教訓を、FPの青山創星氏と一緒に考えていきましょう。
見たことのない大金が振り込まれた…「退職金」の高揚感
3年前のことでした。
「2,800万円…本当に振り込まれてる」
大場良一さん(当時60歳・仮名)は、銀行のATMで通帳記入をしながら、何度も残高を確認していました。37年間勤めた精密機器メーカーからの退職金です。これまで見たことのない桁の数字に、心が躍りました。
「これで老後は安泰だ。恵子にも苦労をかけずに済む」
妻の恵子さん(当時57歳・仮名)との穏やかな老後生活を想像し、大場さんは久しぶりに心から安堵していました。住宅ローンは完済済み、子どもたちも独立し、夫婦二人の生活費は月20万円程度。65歳から受給予定の年金と合わせれば、十分すぎるほどの資産です。
大場さんは完全にリタイアしたわけではありません。退職金を受け取りましたが、65歳まで継続雇用で働き続ける立場です。しかし、長年働いた1つの節目であったことは間違いありません。そんな折、給与や退職金が振り込まれている銀行から、1本の電話がかかってきました。
「大場様、いつもお世話になっております。この度は定年を迎えられたとのこと、おめでとうございます。ところで、退職金の運用について、一度お話させていただけませんか? 今の時代、預金だけでは実質的に目減りしてしまいますので――」
電話の向こうから聞こえる丁寧な声に、大場さんは興味を抱きました。確かにニュースでは物価上昇の話をよく耳にします。
「せっかくの退職金が減るのは困る。話だけでも聞いてみよう」
「月14万円の不労所得」という、あまりに魅力的な試算
銀行の個室で、担当の山田氏は資料を広げながら説明を始めました。
「今は金利がほとんどつかない時代です。それどころか、ご存じのとおり物価高で、現金のままでは価値が目減りします。ですが、たとえばこちらの“仕組債”なら年6%の利回りが狙えます。元本保証ではありませんが、条件が揃えば非常に有利なんですよ」
大場さんの目は輝きました。2,800万円を年利6%で運用できたとすれば、年間168万円の利息。月額14万円の不労所得です。そんな自分に都合の良い点にしか頭が回らなかった大場さん。しかし、実は、説明の内容には大きなリスクが潜んでいたのです。
仕組債にはさまざまなタイプのものがありますが、典型的なものには「高い利息をもらう代わりに株価下落のリスクを引き受ける商品」があります。株価がある水準(ノックイン水準)を下回ると、お金ではなく値下がりした株式で返されてしまいます。
このような商品の場合には、株式投資と同じかそれ以上のリスクがあります。金融機関にとっては手数料が高く利益の大きな商品ですが、投資する側にとっては仕組みが複雑すぎて、本当のリスクを理解するのが困難な商品です。そして、「自分が完全に理解できない商品には投資しない」――これが投資の鉄則なのです。
「こちらの仕組債ですが、年利6%の高金利で、満期まで保有し、発行体が支払いを継続し、かつ参照株価が所定条件を満たした場合は額面償還となります。ただし、参照株価が一定水準を下回った場合は株式での償還となり、額面を下回る可能性があります」
山田氏の説明は専門用語が多く、正直なところ大場さんにはよく理解できませんでした。しかし、「年利6%」という言葉だけは強く頭に残ったのです。
「長年頑張って働いた自分へのご褒美だ。37年間コツコツと積み上げたお金だから、自分の判断で運用するのは当然だ。銀行が扱っている商品なら安心だし、不労所得が入るなら文句はないだろう」
こうして、すぐに使う予定がなかった退職金2,800万円を仕組債につぎ込むことに。妻の恵子さんには「少し運用してみる」とだけ伝え、詳細は話しませんでした。しかし、ここからが大場さんの転落の始まりだったのです。
