◆治療中に公表を決めた理由「早く言わせてほしかった」

河本準一(以下、河本):病気について、世間に「理解してほしい」という気持ちが強かったからです。
自分としては言えない方が辛い、早く言わせてくれ、という思いでした。事前に医師とも相談した上で「復帰」や「完治」といった言葉は避け、「完全な復調の見通しが付くまで温かく見守ってください」という表現に落ち着きました。

ーー病気の公表後、周囲の態度に変化はありましたか?
河本:むちゃくちゃ変わりました。直接の知り合いでいうと、口調が優しくなったり、無駄に近寄ってこなくなったり。大きな声では言えませんが、「日頃からそうだったら良かったのに……」と思う方が、少なく見積もって200人はいましたね。
ーー’25年1月、ネット番組の生放送中に倒れたのが、病気発覚のきっかけだったとのこと。当時の状況を改めて教えてください。
河本:10年前から睡眠障害があり、ほかにも低血糖になると手がしびれてしまうなど、体調は日頃から万全でなかったんです。倒れた当日は常備薬を摂取せずに本番に臨んでしまい、放送が始まってからだんだんと手足にしびれを感じるようになりました。次に呼吸が浅くなり、そのままでは倒れそうだったのでいったん画面から外れ、そのまま救急車で病院に運ばれました。
ーーその時点で、メンタルの疾患という予感はあったのでしょうか?
河本:うまいこと呂律が回らなかったので、初めは脳に問題があると思っていました。
病院に運ばれて色々検査をしてみたところ、すい臓がんも違うし、糖尿病にも該当しない。最後に精神科の先生が病室に来て診てもらった結果、「うつ病」と判明したんです。パニック障害は、突然強い不安や恐怖に襲われ、動悸や心拍数の増加、息切れなどを伴うというもの。症状はそれ以前から出ていたのですが、そのタイミングであわせて診断を受けました。
◆どこにいてもネタのことを考えていた

河本:大きく変わりました。うつ病はよく、完璧主義思考が強い人や、責任感の強い人がなりやすいと言われます。自分自身、以前は家族や後輩の面倒を見なければという思いが強くあり、後輩と一緒に外出すると常に食事代を出していました。過去には、金額も思い返せないぐらいの大借金をしていた時期もあります。
ーーテレビ越しには、いつも後輩に囲まれて面倒見が良いイメージがありました。
河本:無理をしてキャラを作っていた部分が大きかったと思います。食事は後輩に「連れて行ってください」と言われるから行っていただけ。本心としては、人におごるのもおごられるのも、すごくしんどかったです。本来は孤独が一番好き。だからこそ休養期間に入った時には、1人の時間を持てることが、何よりも嬉しかったです。
ーーお仕事についてはいかがですか。
河本:診断を受ける前は、どこにいても常にネタのことを考えていましたし、そうでなければプロの芸人と言えない、とも思っていました。出演番組を見ても、「ここができていない」「何でできへんのや」と考え、自分を追い詰めてしまう。そうした積み重ねがうつ病につながった部分もあったと思っています。
今は、仕事を「楽しむ」という目線をより大切にするようになりました。ビートたけしさんが以前、「1本1万の仕事なら100本分受けなければいけないが、1本100万の仕事なら、99本分は休める」と名言をおっしゃられていたんですね。自分も本数をこなすより、付加価値をつけて1本1本の仕事にしっかり向き合いたいと思っています。

