老後資金のゴールは“いくら貯めたか”ではない
妻の知人の紹介で訪ねたFPは、まず田中さん夫妻の家計を丁寧にヒアリングしました。収入は年金のみで、夫婦合わせて年間約290万円。支出は、生活費や特別費を含めておよそ300万円。差額を貯蓄から取り崩していっても、資産全体への影響はわずかだということがわかりました。
FPはこう話しました。
「多くの方が“減らさない”ことを目標にしがちですが、“どう活かすか”も含めて老後の暮らしを設計することが大切なんです。田中さんはこれまでしっかり老後資金を貯めてこられました。お金が足りなくなることよりも、むしろ“自分の好きなことにお金を使える時間”が減っていくことに目を向けたほうがいいかもしれません」
そして続けます。
「老後資金のゴールは、“いくら貯めたか”ではありません。“老後をどう過ごしたいか”、“やりたいことは何か”、そのために老後資金を活用できることこそがゴールです」
田中さんは、ハッとした表情を浮かべながらうなずきました。その後、夫婦の希望や価値観を整理していくと、田中さん夫妻がこれからの暮らしの中でやりたいこと、優先させたいことが見えてきました。
・夫婦で旅行を楽しみたい
・月に一度は外食を楽しむ
・子どもに金銭的負担をかけることのないよう、夫婦分の介護費用を確保したい
これらの希望を反映したライフプランをシミュレーションした結果、さらに年間のゆとり費を50万円増やしても、100歳時点でも資産を十分に維持できることが分かりました。
「数字で見ると安心ですね。初めて『貯めたお金を使っていっていいんだ』と思えました」
田中さんは笑顔でそう語りました。それ以降、田中さん夫妻はこれまで「交通費がかかるから」と我慢していた遠方の観光地や温泉にも出かけるようになりました。行った先でも安心してお金を使えるようになり、夫婦で心から楽しむ時間が増えました。
1年後、再びFPのもとを訪れた田中さん夫妻は、穏やかな様子で報告をしました。
「無駄遣いはしていませんが、節約ばかりの生活ではなくなり、楽しみとのメリハリができました。貯金は少し減っているけれど、“使う想定の範囲内”だと思うと気持ちが楽です」
お金は“使ってこそ”人生を豊かにする
いくらお金があっても、死後に財産を持っていくことはできません。お金は“持つ”ためではなく、“使って幸せになる”ためにあります。ですが、田中さんのように真面目にコツコツと貯めてきた人ほど、“使うこと”に罪悪感を抱きがちです。
世界的ベストセラー『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』(ビル・パーキンス著)でも、お金の“貯め方”ではなく“使い切り方”に焦点を当てています。経済的な豊かさよりも、「どう使えば人生そのものを豊かにできるか」に目を向ける重要性を説いています。
そして、お金と同じく有限なのが“時間”です。年齢を重ねるほど、体力・健康面・介護など、“お金以外の理由”でやりたいことに使える時間は少なくなります。
不安に囚われるばかりではなく、“資産”と“時間”をどう活かすかに目を向けて、自分の人生をより豊かなものにしていくことこそが、「老後資金を活かす」ことではないでしょうか。
伊藤 寛子
ファイナンシャル・プランナー(CFP®)
