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国土の7割が森林なのに、日本で「国産の木」が使われない理由…政府の「致命的な失敗」【建築エコノミストが解説】

国土の7割が森林なのに、日本で「国産の木」が使われない理由…政府の「致命的な失敗」【建築エコノミストが解説】

日本の建設業界が、静かに屋台骨を揺るがされています。その元凶は、単なる職人不足ではありません。安価な輸入材に駆逐された「国産材」と、現場の“指揮者”たる「工事監督」。この2つの資源の枯渇です。本記事では、森山高至氏の著書『ファスト化する日本建築』(扶桑社)より、素材と人材の「ファスト化」という病巣に迫ります。

疲弊する林業と木材のファスト化

日本の林業支援のための建築を考えるのであれば、当然に国産材の活用を第一に掲げるべきなのであるが、日本の林業は他国に比べ圧倒的に不利な条件にある。

高温多雨で多様な植物が生息し、樹木の繁茂にも適性があるはずの国土であるなら、どこが不利なのか、という疑問が湧くかもしれない。しかし問題は、樹木の植生や生育ではなく、樹木の管理と伐採や出荷における産業背景のハンデなのである。

現在、我が国が木材調達で頼っている外国は、北米や北欧、ロシアである。北米は特にカナダの針葉樹が主体なのであるが、実際にカナダの材木商社や林業者の元に出向いて、木材買い付けに携わったことのある筆者が、我が国との違いを実感したのが、樹木の育つ大地が真っ平らであることだった。

日本では樹木は山に育つ、しかも傾斜の強い急斜面であることが多い。林業に携わる者はみなこの急斜面で樹木の管理をせざるを得ない。

それに比較して、北米やロシアの大地は平らである。傾斜はあったとしても緩やかで徒歩だけでなく、自動車や重機の進入も容易である。そのため、針葉樹林は生育樹木ごとに綺麗に管理され、管理のための道路も伐採出荷のための道路も整備しやすく通行も容易である。同時に大型重機の搬入も可能であるため、一度に多くの丸太を運搬でき、大型の製材所の確保も容易である。

植林から成長管理、伐採から製材しコンテナ出荷までがワンストップでおこなわれているような現場も多数見受けられる。寒冷地であることの違いを除けば、ロシアの林業現場も同様だ。

我が国の林業の実情

一方、我が国の林道とは山の尾根を縫った杣道であり、自動車の入れるような林道整備には多大な予算を必要とし、山林の管理の前に林道工事そのものが至難となってしまう。

かつて、人の手で道作りをし、山と山をケーブルカーやトロッコで繋ぎ、奥深い山の中で切り倒した丸太を、人力で運搬機械のある場所まで運び、そこから途中の危険な崖地や谷間を越えて、やっとの思いで製材所に運び込む。製材所は谷間の限られた平地に設置されたものの、電気や燃料などの引きこみや運搬にも苦労するような場所である。

そうした小規模な製材所で加工された材木は、またも人の手やロバや馬で細い林道を伝い引き下ろす。広い国道に繋がればいいが、そうでない場合は川に流すこともあり、丸太を無事に川下りで河口まで運ぶことも危険を伴う大仕事であった。

このような苦労をともなう材木流通には当然ながら各種の費用も人件費もかかることになり、北米やロシアのように樹林産地からコンテナで積み出し港まで直送できる環境とは大いに異なり、販売単価も割高となってしまうのである。

そのような事業環境の中でも、戦前は材木および木加工品は日本の主な輸出品目のひとつでもあった。同時に原木の丸太や木加工品には30%以上の関税がかけられており、海外から木材を輸入するといったこともなかった。戦時中の需要だけでなく、戦後の復興期にはまちづくりや家造りに大量の木材を必要としており、木材価格の急騰や敗戦後のGHQの占領政策の中で、国産材だけでは木材需要がこなせないということで、木材の関税は撤廃の方向となり、1961年より木材の段階的な輸入自由化が始まったのである。

我が国は国土の70%近くが森林であり、戦前から続く植林計画もあり木材の自給率は90%近いものであったのだが、案の定、このときの関税30%からゼロという、急激な輸入自由化により一気に木材自給率は40%台にまで下落した。以降は木材価格も下がり続け、国内林業は原価率が高いにもかかわらず、木材価格は低迷を続けているため、利益が取れず国内の林業従事者は減少する一方なのである。

このことは、森林のもつ環境維持能力、治水能力等にも影響を与え始めており、山が荒れることで、水害が引き起こされる頻度が上昇しているのも、異常気象や気候変動だけでなく、この林業衰退が影響を与えている可能性もあるのだ。

この木材輸入自由化の流れは米軍による占領下で始められたものだったとしても、それまで数百年以上も続いてきた国内自給の木材供給力や、そこに関わる多くの就労者や林業を維持する文化や人材、木材木工製品を生み出す地域や文化といった多くの人材を十数年の間に一挙に失っていったという意味では、政策の失敗であり、建設産業の人材ファスト化の中でも、壊滅的なものであったと言わざるを得ないであろう。

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