なぜこんなことが起きるのか──高齢者の孤独と「身近な他人」への依存
65歳以上の一人暮らし世帯は、2025年には推計で800万世帯を超えます(令和7年版「高齢社会白書」より)。一方で、智之さんのように帰省が年1回以下という40代〜50代の子どもは多く、潤子さんのようなケースは決して特殊なものではありません。
夫に先立たれ、子どもとも疎遠になり、日常生活の困りごとを、誰かに頼りたいという状況で現れたのが、渡辺さんでした。
本来は家族がすべき役割を「親切な他人」が代替し、感謝の気持ちから金銭的な謝礼へと発展します。もし、潤子さんが渡辺さんに渡していた金銭が年間100万円程度であれば、民間の家事代行サービスの相場などと比較しても、妥当な範囲といえるでしょう。
仮に智之さんが潤子さんの「渡辺さんに100万円を渡したい」という当初の希望を受け入れていたら、100万円の遺贈1回だけで済んでいました。しかし、お礼として支払ったお金が仮に年間100万円だったとすれば、5年で500万円。都度払いになったことで、結果的に遺産の減少額が大きくなった可能性があります(実際に潤子さんが渡辺さんにいくら渡していたかは、今となってはわかりません)。
潤子さんに判断能力があれば財産を自由に処分でき、年間100万円程度の支払いは特に問題にはならないでしょう。潤子さん親子のケースでは相続税もかからないため、税務調査が入ることもほぼありません。
しかし智之さんにとっては遺産が減り、その多くが何に使われたのかわからなくなりました。潤子さんの判断能力に問題がなく、自分の意思で渡辺さんにお金を支払っていたのであれば、それは有効です。智之さんが「お礼としては多すぎる」と思っても、今から取り戻すことはできないでしょう。
なぜ潤子さんは智之さんに黙っていたのでしょうか。「息子には理解してもらえない」と感じたのかもしれません。それでも渡辺さんへの感謝の気持ちは変わらないので、「都度払い」という形で謝礼を渡すことにしたのでしょう。
智之さんは何を間違えたのか──「こうすべきだった」という視点から
智之さんの最大の問題は、高齢の母への無関心でした。年に一度帰省するかしないか、電話もたまにする程度。母が誰に世話になっているのか、日常生活でどんな困りごとがあるのか、関心を持ちませんでした。
交際相手との関係を優先し、母のことは後回し。結局、交際相手とは別れ、母との関係も修復しないまま時が過ぎました。自分のことしか考えず、80代の母が一人で暮らす不安や孤独に目を向けなかったのです。
もし智之さんが潤子さんの日常に関心を持ち、定期的に連絡を取り、帰省を増やしていたら、渡辺さんへの依存も、謝礼の支払いも防げたかもしれません。
謝礼について、潤子さんの判断能力が弱まっていて金額が過剰になっていたとしたら――。智之さんがそんな疑いを持ったとしても、もはや確認する術もありません。
少なくとも潤子さんと智之さんは、智之さんの父が亡くなった時点で、潤子さんに判断能力がなくなったときの財産管理について話し合っておくべきだったと思われます。高齢になれば、誰でも判断能力が低下する可能性があります。その場合の潤子さんの希望を聞き、必要に応じて任意後見や家族信託について検討すべきでした。
これらの話し合いをしていたら、その過程で潤子さんの生活ぶりがわかり、渡辺さんとの付き合いも把握できたはずです。
智之さんのような後悔をしないためには、まずは親の日常に関心を持ち、定期的に連絡を取り、帰省を増やすことが大切です。そして、親が元気なうちに、判断能力が低下したときの備えなどについて話し合いましょう。 通帳を一緒に見る、将来の希望を話し合うといった地道な関わりが、トラブル防止につながります。
松田聡子
CFP®
