
7年間続けた事務の仕事を退職したKさん(50代)。「最後の転職」を決意し、未経験から介護の現場に飛び込みました。
きっかけは、「ずっとこの仕事を続けるのかな」というモヤモヤ。もともと人との会話が好きだったKさんは、「もっと人と温かく関われる仕事がしたい」と介護職を選びました。
しかし、そこに至るまでには大きな壁がありました。「排泄介助だけは絶対に無理!」そう思っていた彼女が、どのように一歩を踏み出したのか。そして今、介護現場でどんなやりがいを感じているのか。Kさんに話をうかがいました。

50代での転職活動。7年続けた事務職を辞めた理由

──介護職を始める前は、どんなお仕事をされていましたか?
Kさん:介護保険関係の事務職です。市役所が委託している会社で、パートとして7年間働いていました。それまでは夫の海外赴任に帯同したり子育てがあったりしたので、専業主婦の期間が長く、パートも短期のものしか経験していませんでした。
──前の職場には長く勤められていたんですね。辞めようと思ったきっかけは何だったんでしょう?
事務の仕事は細かい作業が多いうえ、責任も重く常に緊張感があります。そうした状況に少し疲れてしまったこともあり、ふと「ずっとこの仕事を続けるのかな」と考えたんです。
実は私、人とお話するのが好きな性格なんです。事務の仕事でも、ケアマネジャーさんや来訪者の方と話す機会はありましたが、それはあくまで連絡事項のやりとり。心のどこかで「もっと人と温かく関われる仕事がしたい」という気持ちがずっとありました。
今後は母の介護のことも考えなければなりませんし、年齢的にも仕事を変えるチャンスは今しかないと思い、次のプランもないのに退職してしまったんです。
──退職後はすぐに次が見つかりましたか?
いえ、それが思った以上に厳しくて……。人と関わる仕事がしたいと思って辞めたものの、当時私には資格もありませんでしたし、胸を張ってアピールできるものも思いつかなくて。応募した2つのパートはどちらも不採用でした。
それに、私はネットもあまり得意ではなくて。スマホで気になる求人を見つけて応募すると、転職サイトから電話がかかってきて「職歴を何も入力せずに応募されていますよ」と言われたんです。職歴を入力する欄があったなんて知らず、驚きました(笑)。
でも、その電話口で「ジョブメドレースクールの介護職員初任者研修を無料で受けて、介護職に挑戦しませんか?」と案内をいただいたことが転機になったんです。
正直、最初は「無料? 怪しいんじゃない?」と警戒しました。普段は知らない番号からの電話なんて取りませんが、当時は二度も選考に落ちて焦っていたんでしょうね。
──ジョブメドレースクールの無料コースは、卒業後は介護職に6ヶ月以上就くことが条件ですよね。介護の現場で働くことに抵抗はありませんでしたか?
介護保険関係の仕事をしていたので親近感はありましたが、事務と現場は別物なので不安はありました。とくに排泄の介助をすることに抵抗があり、案内を受けるまでは「私には絶対に介護は無理」と選択肢から外していたくらいです。
──それでも受講を決めたのは、なぜだったのでしょう?
資格が取れるという点に強く惹かれたんです。この年齢で新しい資格に挑戦できるなんて思ってもみませんでしたし、これから長く携われる仕事のために資格が欲しいという気持ちが強かったんです。
それに、もし仕事が自分に合わなかったとしても、母の介護が始まったときにきっと役に立つだろうと思えたんです。そう考えるとやってみたい気持ちが不安を上回りました。
受講を決めてからのスピード感は自分でも驚くほど早かったです。電話をいただいたのが6月の末で、7月開講のクラスに入学、8月にはもう今の職場で働いていたんですから。
スクールで変わった介護職のイメージ
──スクールでの学びでとくに心に残っていることはなんですか?
印象に残っているのは、「できることまで手伝ってしまうと、その方の能力を奪うことになる。ご本人の力を引き出すのが大切」と教わったことです。
それまで私は、介護は「できないことをやってあげること」だと思っていました。そうではなく、その人らしさを支えることなんだと、考え方が180度変わりました。
──実技で印象的だった講習はありますか?
オムツ介助の実技講習です。排泄介助のことが気がかりで、先生に「排泄介助がすごく心配で……」と相談したんです。そうしたら、「心配しなくて大丈夫。比較的元気な方が多いリハビリ中心の施設を選ぶこともできますよ」と教えていただいたんです。
その一言で、すっと気持ちが楽になりました。「介護=排泄の介助をする仕事」という思い込みが外れただけで、心のハードルが一気に下がったんです。
──不安を抱えながらのスタートだったと思いますが、続けられたのはなぜでしょう?
仲間の存在が大きかったです。4人だけの少人数のクラスでしたが、年代も背景もさまざまで、事務職を続けていたら出会えなかった人たちと学べたことが、何よりの支えになりました。
とくに、心に残っていることは、同じクラスにいた若い理学療法士の方が排泄介助について「私はぜんぜん大丈夫」と話していたことです。彼女はそれを特別なことではなく、健康を支えるうえで大事なことのひとつと捉えていて、「ああ、そういう考え方もあるんだ」と腑に落ちました。

