いつまでも輝く女性に ranune
「包丁を突きつけられて」婚姻届を書いた37歳女性の仰天人生。離婚後に「あえて苗字を変えない理由」も激白

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◆暴れる父、天真爛漫な母、切れ者の兄

――実家が好きになれずに上京されたとのことでしたが、とーこさんにとってあまり居心地はよくなかったのでしょうか。

とーこ:私が21歳のとき、父が自死をしました。がんを患っていて、闘病を苦にしたものでした。父は非常に自分の感情に従順な人で、気に入らないことがあると大人とは思えない暴れ方をする人でした。たとえば、ストーブを家のなかで投げ、家族を萎縮させたこともあります。

 母は天真爛漫な人ですが、反面、子どもの意図を汲み取ってくれることが少ない人でもありました。たとえば私が「今日こんなことがあってね」という報告をしても、「お母さんはこうで〜」みたいな自分の言いたいことを延々と話して、平行線になるんです。

 兄は昔から切れ者で、いわゆる神童タイプの子どもです。学力別クラスを設置している進学校の、最上位クラスから東京の名門大学へ軽々入学しました。昔から討論が強くて理屈っぽい子どもで、高校時代にあまりにも生意気な兄の態度に業を煮やした教師が「代わりにお前が授業をやってみろ」と挑発した際には本当に授業を行い、クラスから喝采だったと聞いています。大人から「可愛くない」と思われるタイプだったのは間違いないと思います。私は兄の可愛げのなさだけを受け継いだような長女で、家族のなかにいつも馴染めない思いを抱えていました。

◆「死ぬ気が失せた」母からのメール

――とーこさんは何か具体的な問題行動をするのでしょうか。

とーこ:小学校から高校まで、ほぼ不登校で過ごしました。高校は兄と同じ進学校に受かったのですが、半年ほどで退学したのち、通信制高校に編入しています。その後、東京にある多摩美術大学の夜間に通うため、上京したという経緯です。

――とーこさんが家庭で感じていた辛さの正体は、どのようなものだったのでしょうか。

とーこ:ひとつは、両親が私に対して「どうか普通の子どもになってほしい」という願いを持っていたのが辛かったと思います。実際に、口に出してお願いされたこともあります。あるいはたびたび、「そんなんでどうやって生きていくの」と言われていて、自分の感性が大きくズレていると意識して生活するのもきつかったですね。

 その一方で、私は母に対して「どうしてわかろうとしてくれないんだろう」と思っていました。母は自分のしたい話しかせず、こちらが何かを聞いても「いやわからん」と直接的な言葉でぶった切るようなところがありました。 きっとコミュニケーション能力があまり高くなかったのだと思いますが、当時は母からの拒絶感として受け取っていたんです。

 今でも思い出すのは、中学生のころ、家が高台にあったこともあって、「飛び降りたら楽になれるかも」という希死念慮に襲われたことがありました。夜中に母に「いままでありがとう」とメールを打つと、翌日、「可愛いメールをありがとう! 今日は学校に頑張って行こうね」みたいなメールが返ってきました。私の気持ちをまったく察知していないことに落胆し、それ以上に脱力して、死ぬ気も失せてしまいました。


配信元: 日刊SPA!

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