
「子どものために」と、生涯をかけてコツコツと貯めてきた大切なお金。しかし、その資産が、晩年に親子の絆を断ち切る引き金になることも。本記事では、波多FP事務所の代表ファイナンシャルプランナー・波多勇気氏が、田代さん(仮名)の事例とともに、お金と家族の絆をめぐる、切実な問題の処方箋を探ります。※プライバシー保護の観点から、相談者の個人情報および相談内容を一部変更しています。
79歳、裕福なはずの老後に訪れた“絶縁”の瞬間
兵庫県に住む79歳の田代信子さん(仮名)は、かつて地域でも有名なやりくり上手として知られていました。夫を早くに亡くし、女手一つで2人の息子を大学まで出したことを、誰よりも誇りに思っています。その苦労が、彼女を極端な節約家にしたのかもしれません。毎月の年金は18万円。銀行口座には、長年の節約と退職金で貯めた1億2,000万円。金銭的な不安はどこにもありませんでした。
しかし、ある日、次男の雅志さん(仮名/47歳)が実家を訪れた際、その関係は決定的に壊れてしまいます。
きっかけは、雅志さんの些細な気づきでした。最近、母の物忘れが少し増えたこと、友人の家で相続トラブルの話を聞いたこと……。心配になった雅志さんは、母の資産を“守る”ために、そして兄弟が将来揉めないために、よかれと思って話を切り出しました。
「母さん、このままだと相続のとき大変だと思う。信託にして、生活費として計画的に引き出せるようにするとか、少し考えない?」
その言葉を聞いた瞬間、信子さんの表情がこわばります。「信託」という言葉が、「自分の財産を取り上げられる」という響きに聞こえたのです。冷たい声で答えました。
「そんなの必要ないわ。どうせあんたたちが勝手に使うんでしょ? あの嫁に一円でも渡すなんて、まっぴらごめんよ」
リビングの空気が一瞬で凍りつきました。雅志さんは妻と2人の子どもを連れて、月に1回は実家を訪ねていました。子どもたちも祖母が大好きで、いつも「おばあちゃん、またね!」と手を振って帰る、そんな関係だったはずです。自分の善意が、なぜ母の最も触れられたくない部分を刺激してしまったのか。雅志さんは静かに立ち上がり、こう告げるしかありませんでした。
「……母さん、そのお金、後生大事にお墓まで持っていってください」
それ以来、親子の交流は途絶えました。
「老後破綻」より深刻な、「心の孤立」
信子さんは怒りに震えながらも、一人になると胸の奥にわずかな不安がよぎります。
「どうして、あんなことをいってしまったんだろう」
息子の嫁・美穂さん(仮名)は穏やかで礼儀正しい女性でした。結婚当初から距離をとりがちな信子さんに対しても、毎年誕生日や母の日には欠かさず贈り物をしてくれるような、優しい人です。
しかし、信子さんにはどうしても許せない過去のわだかまりがありました。亡き夫の遺産のわけ方を巡って、雅志さん夫婦と一度揉めたことがあったのです。それ以来、「あの嫁はお金目当てだ」という疑念が消えませんでした。時折、それを雅志さんに零すと、「美穂が強く主張したわけではなく、当時の手続き上の誤解だ」そう、何度も説明をされました。しかし、美穂さんへの疑いは拭えません。
そうしたいざこざを修復する機会を逃したまま、年月だけが過ぎていったのです。
信子さんは雅志さんとの絶縁後も、年金と預貯金だけで慎ましい生活を続けました。近所づきあいも減り、話し相手はテレビとスーパーのレジ係くらい。通帳の残高が増えるたびに、なぜか胸の奥が空っぽになっていくのを感じました。
総務省の調査によると、65歳以上の単身高齢者のうち、約4割が「誰とも会話しない日が週に3日以上ある」と答えています。また、内閣府の「孤独・孤立対策白書(2024年)」では、資産の多い層ほど人間関係が希薄になる傾向が指摘されています。経済的なゆとりが心の余裕を保証するわけではないのです。
「子どものために貯めてきたのに、どうして誰も会いに来てくれないのかしら……」
信子さんは、テーブルに並べた誰にも出されない茶菓子をみつめながら、ぽつりとつぶやきました。
