◆家族のプライバシーが脅かされた三浦夫妻
三浦夫妻の場合、2人が1980年に結婚すると、マスコミの過剰取材が始まった。三浦の著書『被写体』(1999年)などによると、1987年の夫妻の東京都国立市への転居後、新居内の盗撮が起きた。母子家庭で育ったこともあり、百恵さんは同居する母親を慈しんでいたが、その母親への突撃取材もあった。そのせいで病弱な母親は日課の散歩に出られなくなってしまった。
百恵さんが自動車教習所通いを始めると、今度は追い掛け取材が連日続いた。5歳になった長男・三浦祐太朗(41)が幼稚園に入ると。その入園式にも取材陣が殺到。祐太朗は怯えて泣き始めた。異様だった。
苦悩した三浦は芸能関係者から法務省の人権擁護局の存在を教えられる。三浦は芸能人のプライバシーの問題を受け入れてくれるかどうか半信半疑だったが、所属芸能プロダクションの代表が人権擁護局に向かった。
その結果、取材陣は一人残らず消えた。人権擁護局がマスコミに対し、改善を求める勧告を出したからだ。やはり強制力はないが、マスコミにとって人権侵害の烙印を押されることは途方もなく重い。
三浦夫妻の件で人権擁護局が迅速に動いたのは、有名人だったからではないだろう。2人へのプライバシー侵害は社会の一大関心事だった。国分の件にもプライバシーが絡む。だから、コンプライアンス違反の公開を望む声があろうが、軽々には判断できない状態だ。
人権擁護局への人権救済申立ての手続きは、日弁連の人権擁護委員会とほぼ同じ。調査の上、人権侵害に当たるかどうかの判断が下る。人権侵害と求められると、勧告のほか、当事者間の調整などが行われる。
コンプライアンス違反やハラスメント問題など法律で割り切れない問題が芸能界で増えた。世間と同じだ。パワハラの認定やペナルティの判断が曖昧なところも一緒である。
もはや芸能人は何をやっても許される存在ではないが、一方で人権も守られなくてはならない。人権擁護委員会、人権擁護局に芸能人が頼る機会は増えるに違いない。<文/高堀冬彦>
【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

