◆前回までのあらすじ
専業主婦の愛梨は、息子の圭太が通う知育教室で出会った由里子と仲良くなり、由里子の昔の飲み友達・まりかとも知り合いになる。そして、由里子からパーティーに誘われ、3人で再集合する。
▶前回:「彼といても孤独は埋まらない」代理店勤務の29歳男にハマる37歳女の抱える闇
パーティーの後のジゴク:愛梨(37歳)専業主婦/夫の会社の役員
「……あれ?」
21時すぎの麻布十番商店街。私は横断歩道の向こう側に見慣れた後ろ姿を見つけた。
見覚えのあるPRADAの白シャツに、レアだと自慢されたNIKEのスニーカー。
その男性の隣には、肩までかかる茶色い髪を揺らしながら、ぴったりとくっついている人がいる。
「え?」
信じたくない光景が、そこにはあった。
ふたりは商店街の脇道に入り、雑居ビルの前で立ち止まったので、私は柱の陰から様子をうかがった。
真っ白の目立つワンピースを着ていることも忘れて。
「…どういうこと?」
彼らはビルの看板を確認して、中へ入って行った。エレベーターが開き、彼らは談笑しながら乗り込む。
私は、ひとりでその場に取り残されたまま、息を殺した。
つい数分前まで、由里子とまりかの3人で盛り上がっていたのに、こんなにドン底に突き落とされるなんて…。その時の私は、想像すらしていなかった。
3時間前。
私は由里子にパーティーに誘われ、六本木にあるホテルのレストランにいた。
ドレスコードはオールホワイト。
パンツスタイルの由里子と、六本木ヒルズのZARAで急遽ワンピースを買ったというまりか。私は着る機会のなかったLOUIS VUITTONのミニドレスを選んだ。
気合を入れすぎたかと心配だったのだが、ふたりから「さすが愛梨ちゃん」「可愛い!」と褒めてもらえて安心する。
参加者の年齢層が高いことにも安心感を覚えながら、私たちは3人揃って受付を済ませた。
テラス席でペリエ ジュエのグラスを受け取ると、スタッフがフォトスペースでの撮影を促してくれた。
「どう?ノマカメだと微妙?」と由里子が言い、「大丈夫じゃない?あとで美肌加工でもして。グループLINEに送るね〜」とまりかが返す。
送られてきた画像を見ながら、思わず微笑む。
圭太が生まれて4年。スマホのアルバムは圭太の画像で埋め尽くされ、夫の将生もカメラを向けてくれなくなった。だから、友達と自分だけのショットが、昔の私を思い出させてくれた。
「こういう非日常感も、たまには必要だよね。愛梨ちゃんは普段からシャンパンとか飲んでそうだけどさ」
由里子の言葉に、私は「ないない」と笑って否定し、みんなでシャンパングラスを小さく掲げ乾杯をした。
「あ〜おいしぃ。フリーフローなの最高…ていうか、由里子も愛梨ちゃんも旦那さんが子ども見ててくれてるんだよね?イイ男じゃん」
テーブル席に案内された後、まりかがフライドポテトをつまみながら言った。
「実は、こないだ由里子ちゃんに誘ってもらうまで、子どもができてから夜に飲み行くことって、ほぼなかったんだよね。なんていうか、夫の稼ぎで生活してるから、遊びに行くのが後ろめたいっていうか…」
そう言いながら私が目を伏せると、
「そっか。でも、家事育児だって大事な仕事だし、愛梨ちゃんが家を守ってるから、将生さんも安心して働けるんだよ。それをわかってくれてるから、今日もこうやって送り出してくれたんじゃない?」
由里子が、肩をポンポンと優しく叩いてくれる。
「あ。でも今日は、自由が丘の実家に圭太を預けてるの。だからたくさん飲んじゃう」
「いいねいいね!じゃあ、もう一回乾杯しますか」
まりかが言い、私たちはグラスを持ち上げた。
“東さん”でもなく、“圭太くんのママ”でもなく、“愛梨ちゃん”と呼ばれるこの時間が、ただただ楽しくて、嬉しかった。
「まりかちゃんは?颯斗くんとのこと聞きたいな」
私が聞くと「とにかく相性が良くて、一緒にいるのが楽なの。付き合ってないから、終わりが来ないのもいいし」と教えてくれた。
軽く脚を組み替えながら話すその様子に、由里子が「まりかのそういうとこ、変わってないよね」と笑いながら、生ハムメロンを口に運んだ。
「なんかいいなぁ…そういうの」
思わず口にした言葉に、まりかが「じゃあ愛梨ちゃんにも、誰か紹介しようか?」と冗談めかして言ってくる。
慌てて首を振ると、3人でまた笑いが弾けた。
「ねぇ、愛梨ちゃんってピラティスに通ってるんでしょう?どこのスタジオ行ってるの?」
話題は尽きることなく、お互いの趣味や美容の話へとシフトしていった。まりかが、ピラティスのインストラクターだと知り、私は身を乗り出し、相談をする。
「骨盤をニュートラルにすると、肋骨が浮いちゃって…未だに毎回と言っていいほど注意されるんだよね」
そうこぼすと、まりかが「今度、私がレッスンしてあげるよ。特別価格で」とニカッと笑う。
敬語とタメ口を絶妙に交ぜる必要もなく、変に互いを持ち上げることもしない自然な会話が心地よかった。
「ねぇ〜。楽しすぎるんだけど。私たち、この先もずっと友達でいられるかな」
ほろ酔いの由里子がふとこぼしたその言葉に、まりかが「今度は大丈夫!」と笑ったが、私は即答できなかった。
だって、由里子とは子どもの知育教室が同じというだけ。その習い事もいつまで続けるかわからないし、やめた途端、毎週会うことはなくなる。やめた後に交流があったとしても、どちらかが小学校から私立、どちらかは公立だったとして、今の関係を保っていられるのだろうか。
「愛梨ちゃん?」とまりかに声をかけられ、私は慌てて「もちろん、私だってずっと友達でいたいよ」と答えた。
それは、嘘ではなかったから。
◆
パーティーが終盤に差し掛かった頃、DJブースでは私たちより上の年代の懐メロがかかり、お姉様方が楽しそうに踊り始めた。
「どうする?まだ21時前だけど。由里子はもう一軒、行ける?」とまりかがデザートのアイスを食べながら言い、由里子はスマホを確認して「じゃあ、あと1時間だけ」とその誘いに乗っている。
私は今夜、圭太を預けている自由が丘の実家に帰る予定なので、ホテルの車寄せで解散となった。
ふたりを見送ってからスマホを見ると、母から連絡がきていた。
『圭ちゃんお利口さんで、20時に寝たよ。十番のマンションに帰っていいから、明日迎えにおいで』
― え…いいの…?
圭太に会いたい気持ちもあるが、今夜は母の優しさに甘えることにした。
― 将生に連絡しとこう…。
そう思ったが、私はスマホをバッグにしまった。実家に泊まるはずの私が帰ってきたら、将生がどんな反応をするのかを、見たくなったからだ。
息子がいない部屋にふたりっきりだなんて、産後初めてかもしれない。私は母に『ありがとう。そうする』と返事を打ち、自宅へと歩き始めた。
けやき坂を下り麻布十番商店街に入る。土曜の夜だからだろうか。街には人の気配があって、楽しそうな声があちこちから聞こえる。
その時だった。夫の姿を見つけたのは。
「……うそ」
信じたくない。
でも、あれは…どう見ても、私の夫だ。
私は、無意識に彼らの後を追っていた。ドッドッとうるさく鳴る心臓を手で押さえながら。
ふたりは商店街の脇道に入り、雑居ビルの前で立ち止まった。
「どこに行く気なの…?」
そのビルには、シーシャバーと個室サウナが入っている。どちらも“女連れ”で入っていくには、意味深すぎる場所だった。
― あんな顔、見たことない…。
将生は、女の腰に手を添えながら無邪気に笑っていた。私といるときは、あんな風に笑わないのに。
私はそのまま、とぼとぼと家を目指した。こんなことなら実家に帰ればよかったし、圭太の寝顔を見ながら楽しい余韻に浸りながら眠りたかった、と思いながら。
高鳴った心臓だけが、まだ現実を処理しきれずにいるが、足はちゃんと自宅マンションを目指していた。
鍵を開け中に入ると、やはりそこには将生はいなかった。
真っ暗な部屋に電気をつけて、洗面台の前に立ち、メイクを落とし、気力を振り絞りシャワーを浴びる。
ミラー越しに、泣きはらした顔をした女が映っていた。
「誰これ。ぜんぜん可愛くない…」
ベッドに倒れ込んでも、眠れるわけがなく、脳内で何度も再生されるのは、将生の後ろ姿だった。
電話してみるか、それとも「さっき見かけたよ」とメッセージを送るか。
『愛梨:圭太は明日の朝迎えに行くことになったよ。家に帰って来たけど、将生出掛けたんだね』
そう送るのが精一杯だった。
これを読んだら、慌てて帰ってくるだろうか。それとも…私は考えるのをやめて、目を閉じた。将生からの返信にも気づかずに。
▶前回:「彼といても孤独は埋まらない」代理店勤務の29歳男にハマる37歳女の抱える闇
▶1話目はこちら:「男の人ってズルい…」結婚して子どもができても、生活が全然変わらない
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由里子は会社の男の先輩に誘われ…

