◆これまでのあらすじ
莉乃(30)と正輝(30)は、異性でありながら大親友。だけど、正輝の彼女・萌香(27)は男女の友情が成立するとは考えておらず、ふたりの間に恋愛感情があるのではないかと疑っていた。
ついに我慢できなくなった萌香は、半年記念旅行で訪れた沖縄で嫉妬の涙を流す。自分の無神経な行動を反省した正輝は、莉乃から送られてきた「もう2人で会うのはよそう」というLINEに、萌香の目の前で了承するのだった。
▶前回:「もう会うのやめよう」突然届いたLINE。30歳男が動揺の末に出した結論とは
Vol.7 <莉乃>
『莉乃:ごめん、今日も帰るの遅くなりそう』
22時。明かりを落とした自分のピラティススタジオから、私は秀治にLINEを送る。
『秀治:了解。じゃあ俺ももう少しやってから帰るわ。莉乃もあんまり無理するなよ』
すぐに返ってきた秀治からの返事にリアクションをつけると、スマホをデスクに伏せる。
そして、疲れですでにショボショボとしている目頭をぎゅっと指先で押さえつけると、再びパソコンを睨みつける作業に戻った。
「無理するなって言われても、今が正念場なんだよね。頑張らないと」
外資系コンサル会社を退職し、フィットネス事業で独立してそろそろ2年が経つ。
数年前に体を壊し、拒食やダイエットに悩む女性の力になりたいと思って飛び込んだ新しい世界だったけれど…。
情熱がユーザーに届いてのことか、恵比寿に設立したこのピラティススタジオの経営は順調。
来年には少し軸を変えた2店舗目と、ボディ・ポジティブをコンセプトとしたモードでシンプルなフィットネスウエアブランドの立ち上げを企画しているのだ。
― でも、新店舗の立地…本当に新宿で大丈夫なのかな。思い切って横浜の方とか考えてみても…?
2店舗目の立地について不動産業者からのメールを見ながら頭を悩ませる一方で、両手で生地のサンプルを確かめる。デスクの上には所狭しと、吸水性と速乾性に特化したウエアの生地サンプルが広げられていた。
― このホワイト、ちょっと白すぎてイメージと違うんだよね。それに、デザインももう少しどこか尖った感じが欲しい。やっぱり少し名のあるデザイナーに力を借りる?
考えれば考えるほど、わからなくなる。元外資コンサル勤務とはいえ自分の事業となると、客観的になれているかどうかの判断そのものが難しかった。
「うーん…だれか、冷静な意見をくれる人…」
口に出してみると、すぐに心当たりが浮かんだ。
「そうだ。確か正輝の会社の先輩で、アスレジャーアパレルブランド事業に関わってた人がいなかったっけ?」
もしかしたら、市場調査や事業戦略策定支援の経験を聞けたりするかもしれない。
いてもたってもいられなくなった私は、正輝に紹介を頼むため、たった今伏せたばかりのスマホを手に取る。
もしもその人との時間が取れなくても、正輝と少し話すだけでも視界が開けるのが常でもあるのだ。
だけど──。
「おっと、ダメダメ…」
正輝とのLINEトーク画面を開くなり、ハッとして指先を止めた。
そうだった。私と正輝は、以前のように頻繁に連絡をとることをやめたのだ。
だって私の存在は───正輝の幸せの、邪魔にしかならないのだから。
あの、4人で食事をした夏の夜。帰り道のタクシーの中で秀治に言われた。
「ねえ莉乃。こんなこと、いつまで続けるつもり?」
「え…?」
言っている意味がわからなかったけれど、酔いの回った頭を必死にフル回転させて、どうにか秀治の言葉を咀嚼する。
つまり秀治が言っているのは、こういうことらしかった。
正輝と私の友情は、周囲の人間の犠牲の上に成り立っている───。
「え?いや、そんな…」
「そんな…じゃないでしょ。萌香ちゃんが嫉妬しないために、莉乃は俺を紹介した。
…それってつまり、正輝くんと莉乃が2人きりで会うことは、社会的には誤解を招くような行為だっていう認識は、ちゃんと持ってるわけだよね」
「急にどうしたの?秀治ったら、またそんなややこしい話にして…」
答えに詰まった私は、曖昧な笑みでこの場を煙にまこうとする。だけど秀治の性格上、そんな作戦がうまくいくはずはないことは分かっていた。
秀治は私とは目を合わせずに、タクシーの車窓から流れる夜景を見つめながら言葉を続ける。
「萌香ちゃん、今日はかなり頑張ってたと思うよ。電話のふりして外の空気吸いに行ったりして、一生懸命笑顔作ってた。
…男女の友情はそうやって、“パートナーの我慢”という犠牲を伴うんだ。本当は、だれもゆるしてくれてはいないよ」
秀治も?もしかして、私と付き合ってる9年間…ずっとゆるしてくれてはいなかったの?
……とは、聞けなかった。突きつけられた現実が、あまりにも恐ろしくて。
だってそれまでの私は、まさか“そんな考え方”があるなんて想像すらできていなかったのだ。
男女間を“性”でしか考えられない人は、視野が狭くてナンセンス。
男女の友情に嫉妬する人は、人生が窮屈そう。
ちゃんと潔白であることを説明すれば、パートナーの理解は得られる──。
ずっとそう思ってきたし、秀治だって同じように考えを持っているものと思い込んでいた。
それがまさかずっと、ただひたすらに、我慢を強いてきた…?
「用事を思い出して。ちょっと一本電話してきます…」
そそくさとお店の外に飛び出して行った萌香ちゃんの細い肩が、揺れる髪が、強張った笑顔が、脳裏にありありとよみがえる。
― 彼女に面と向かって、「視野が狭くてナンセンス」だなんて言える?
そう自問する私の方こそ、なんという視野の狭さだったのだろう。
萌香ちゃんを──そして、もしかすると秀治を傷つけていた自分が、恥ずかしくて消えてしまいたい。
「着きましたよ。この辺で大丈夫ですか」
タクシーの運転手さんがそう声をかけてくれた時には、幸福な酔いはすっかり冷め切っていた。
もしかしたら正輝の方も、あのあと萌香ちゃんとゆっくり話す機会があったのかもしれない。
一度だけいつものノリで食事に誘われたけれど、私が断ると正輝の方もすぐに了承してくれた。
『正輝:俺たちもう、今までみたいに連絡取り合うのはやめにしよう』
正輝からのそのメッセージが、私たちのトーク画面上での最後のやりとりだ。
あまりにも寂しいけれど、でも…。
今はちゃんと、「これでよかったんだ」と思えていた。
大人になってから、どれくらいの密度で「友人」と呼べる存在に会っているだろう?
週1?ううん、そんなに頻繁じゃない。
月1?それくらいは会っているけれど、いつも同じメンバーと…というわけでもない。
美味しいものを食べに行ったり、昔話で盛り上がったり、仕事の近況報告や相談をしたり。そういうことを、色々なジャンルの友人たちと、メンバーを変えて会っている感じ。
もう少し若い20代前半のころは毎週のように会う友人たちもいたけど、結婚や出産のステージにいる子も増えてきた今、すっかりペースは落ち着いてしまった。
そんななかで正輝と私は、男女がどうこうという以前に、仲が良すぎたのかもしれなかった。
だって正輝とは、美味しいと感じるものも、そこに出せる予算も似ている。
どれだけ話しても尽きないほどの、共通の昔話がある。
仕事もずっと一緒だったから、悩みを話せば愚痴で済まずに解決するし、近況報告をしあうだけでお互いに成長できる。
友人としたいすべてのことが、正輝がいれば事足りるのだ。
だから、必然的に友情の密度は濃くなっていって…。
だから、正輝は私の親友で…。
だけど───。
正輝は男で、私は女で。
それだけは、どうしたって変えられない事実だから。
大人になってから、女友達ともそれほど会えていないのが普通なのだ。それなのに男の正輝と会い続けるのは、どうやら世間がゆるしてくれないらしい。
そういう価値観が正しいのか、マジョリティなのかどうかは、私にはわからない。
だけど世間がどうあれ、お互いのパートナーが嫌だと思っているのだとしたら、それはタブーであるのに違いなかった。
「…うーん。やっぱり新宿の他に、横浜の物件も探してもらおう。市場調査もまずは自分で頑張らなきゃね」
仕事に戻り、ひとつひとつ思考をまとめていく。スマホは、デスクに伏せたままで。
諸々の作業を済ませて一旦切り上げることにした私は、大きくひとつ伸びをする。
気がつけばもう、時刻は24時近くになっていた。
今から帰ったらもしかしたら、秀治と同じくらいのタイミングかもしれない。缶ビールでも開けて、秀治にぴったりとくっついて寝ようと思った。
スタジオの鍵を閉め、恵比寿の街を駅方面へと歩く。
途中、秀治とよく行った深夜営業のカフェが閉店してしまっているのが見えて、思わず情けない顔で笑ってしまった。
”ずっと”、なんて無い。
そう、街に言われているような気がして。
― 年末の同窓会とかでは、大人数で会えるかな。
薄暗い街灯が照らす夜道で、正輝のことを考えた。
もう2人で会えなくても、正輝が私の親友であることに変わりはない。
もう、今までみたいには会えない。そんなことよりも、正輝に誰よりも大切にしたい人ができたことが嬉しかった。
萌香ちゃんみたいな素敵な子は、そうそういるもんじゃない。正輝と萌香ちゃんにはいつも笑っていて欲しかったし、幸せになってほしかった。
そう。2度と会えないわけじゃないはずだ。同窓会や、共通の友人と大勢でなら、世間だってゆるしてくれるだろう。
そういう場でひさしぶりに会って、「新店舗出したんだよ」と伝えたら、正輝はどんなに喜ぶだろう?
もしかしたら正輝の方からも、「萌香ちゃんと結婚することになった」とかいうニュースがあったり…。
― うん。そういうのも悪くないよね。
そんなふうに楽しい空想をしていた、まさにその時だったのだ。
薄明かりの中。
ホテルに入っていく、小柄で細身の男性と─────萌香ちゃんの姿を目撃してしまったのは。
▶前回:「もう会うのやめよう」突然届いたLINE。30歳男が動揺の末に出した結論とは
▶1話目はこちら:「彼氏がいるけど、親友の男友達と飲みに行く」30歳女のこの行動はOK?
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正輝と萌香の幸せを祈る莉乃。それなのになぜ、萌香は正輝ではない男と…?

