
◆なぜ金魚にハマったのか
――游子さんが金魚に目覚めたきっかけは何だったのでしょうか。游子:私は画家の父と書道家の母の間に生まれました。けれども私は芸術系に行くわけでもなく。正直、母が書道家なのに私は悪筆なんです(笑)。一方で、文学は昔からとても好きで、きれいなものに対する憧憬はありました。昔の文学作品にはさまざまな魚が登場しますが、なかでも金魚には個性があり、多様な姿形や色味がある点が魅力的に感じました。両親は美術品としての金魚に興味があるわけではないものの、私が金魚に熱中していくのを理解してくれました。
高校生くらいのとき、愛知県弥富市で毎年おこなわれている金魚日本一大会という品評会に行きました。父から借りたカメラを持って、無心にさまざまな金魚をぱしゃぱしゃ撮っていました。
――目立ったでしょうね。
游子:はい、目を引いてしまったようですね(笑)。ちょうど同じ頃、ファッションにも興味があって、ゴスロリに傾倒していました。奇抜な格好をした女子高生が熱中して金魚を撮影している姿は、いま思うと異質だったと思います。そのとき、水産試験場の方が声をかけてくれて、いろいろ金魚に関する話を聞くことができました。書籍で読んで親しんでいたため、私に多少の知識があることがわかってもらえると、金魚の作り手の現状を教えてくれました。
◆“金魚産業”が置かれた厳しい状況
――金魚を製造する人たちが置かれた状況は、どのようなものなのでしょうか。游子:農業などと状況は似ていると思いますが、金魚を作るには広大な土地が必要です。金魚は生き物であると同時に商品でもあり、金魚は形を売るものですので、“選別”をします。尾が曲がっていたり目がないものなど、美の基準に満たないものを出荷しないようにあらかじめ弾かなければなりません。単純に、池の清掃も重労働です。それでも今の時代は、必ずしも利益が大きいわけではありません。
作り手が高齢化していき、その産業を自分の子どもに継がせるかというと、難しいですよね。昔から製造を担ってきた人たちが廃業していく姿を私もみてきました。
――歴史のある産業ですが、厳しいのですね。
游子:江戸時代からある産業であり、室生犀星などの作品にも登場する金魚ですが、現在の状況は厳しいと言わざるを得ません。かつて金魚の三大産地といえば、奈良県大和郡山市、愛知県弥富市、東京都江戸川区でしたが、いずれも後継者不足やコロナ禍でのイベント中止にみまわれています。

