
学費高騰と低賃金が重なる現代、奨学金返済はキャリアや結婚を阻む構造的な足枷となった。もはや「自己責任」では済まされないこの残酷な現実に、社会はどう向き合うべきか。本記事では、アクティブアンドカンパニー代表の大野順也氏が、Aさんの事例とともに、奨学金を背負う若者の実態に迫る。
3姉妹の真ん中っ子、高校卒業後の夢
Aさんは現在、社会人7年目の29歳。東京、丸の内にあるIT企業に勤めている。北陸地方出身で、会社員の父とパートで働く母のもとに生まれ、3人姉妹の次女として育った。彼女の人生の分岐点は、高校3年生のとき。姉は高校卒業後すぐに就職したが、Aさんは「将来の選択肢を広げたい」「北陸にいるだけでは経験できないことを学びたい」と、東京の大学への進学を希望していた。
しかし、その願いを叶えるためには、あまりに重い「条件」が必要だった。
3歳下には妹がいる。学費のことを考えれば、進学を望むこと自体に後ろめたさもあったという。それでも両親と話し合い、奨学金を借りて進学する選択に至った。志望したのは東京の有名私立大学で、4年間の学費は約450万円。一人暮らしの生活費も含めると、家計だけで賄うのは現実的ではなかった。
高校で奨学金の説明会が行われるという案内があり、Aさんは友人と参加した。会場を見渡すと、学年の半分ほどの生徒が集まっており、「借りて進学するのは珍しいことではないんだ」と感じたそうだ。その光景が、多少の後ろめたさを抱えていたAさんの背中を押した。
深刻に悩み抜いた末というより、将来のための“当たり前の選択”だった。学費を賄うため、毎月10万円を借りることを決め、大学合格とともに東京での生活が始まった。
友人同士の付き合いですら無理をする大学生活
だが現実は厳しかった。携帯代は両親に支払ってもらっていたものの、仕送りはない。引っ越し後はすぐに飲食店でアルバイトを始めた。稼いだお金は、家賃や水道光熱費、食費、交通費で消えていく。
「大学には裕福な家庭の子が多く、入学当初は肩身の狭さを感じていました。高校からエスカレーター式で進学してきた子や、都内に実家がある子。お金について悩んでいるような子はいなかったです」
遊びに行く場所や外食の価格帯、日常の金銭感覚。その一つひとつが、自分とは違う世界の出来事のように感じられ、次第に疎外感を覚えていったという。やがて同じく地方出身の気心知れた友人ができ、無理のない金銭感覚で付き合えるようになった。しかし、地元より物価が高い東京での暮らしは、想像以上にお金がかかった。
生活を成り立たせるため、コールセンターでのアルバイトも掛け持ちし、月10万円ほどを稼ぐように。授業とアルバイトに追われながらも、Aさんは「自立して生きていくためには、どちらかだけではなく、どちらも頑張らなければならない」と自分を励まし続けた。
就職先には、安定よりも成長できる環境を重視し、ベンチャー企業を中心に選考を受けた。最終的には会社の将来性も踏まえ、IT系ベンチャー企業への就職を決める。奨学金の返済を見据え、初任給が月24万円と、東京都の大卒初任給平均である21万円を上回っていた点も、判断材料の一つだった。
手取り月16万円、返済月2万3,000円…就職後の残酷な現実
しかし、入社直後に聞かされた言葉は、社会の厳しさを突きつけるものだった。
「昇給はほとんどない」「賞与も期待しないほうがいい」キャリアパスは曖昧で、中堅社員は定着せず、職場に残るのは若手ばかり。誰を目標にすればよいのかわからないまま、Aさんは目の前の業務に追われ続けた。
1年目は覚えることや任されるタスクも多く、終電で帰宅する日々が続いた。しかし、上司から「残業時間を入力するな」と勤怠の修正を求められたことをきっかけに、Aさんは早々に残業申請を諦めるようになり、見込み残業代を超える分は支払われなかった。休日も先輩や上司からメールやチャットで業務連絡が入るため、反応せざるを得ず、常に仕事から離れられない状態だった。社内は張り詰めた空気に包まれ、怒号が飛び交うことも珍しくない。こうした日々のなかで、Aさんの心身は徐々にすり減っていった。
社会人1年目の手取りは月約16万円。そのなかから、奨学金返済として毎月2万3,000円が引き落とされる。手元に残るのは5万円程度だった。そこから業務知識を身につけるために本を購入し、資格取得のための講座を受講し、会社の飲み会に参加すると、自由に使えるお金はほとんど残らなかった。
「社会人1年目って、こんなにも余裕がないんだと思いました。お金の面も、メンタル面も。でも、自分で選んだ道だから耐えて成長するしかないと、自分に言い聞かせていました」
2年目になると住民税の負担が加わり、生活はさらに苦しくなった。後輩ができ、育成担当にもなったAさんは、業務量が増えているのに給与はほぼ変わらず、努力が報われている実感を持てなかった。むしろ、「自分の仕事だけでも手一杯なのに、マネジメントまで求められたら、上司がストレスから怒りっぽくなったり、後輩の育成に手が回らなくなったりする気持ちもわかる」と感じてしまうほど、余裕を失っていた。
休日にベッドから起き上がれない日が増えていたころ、同期が給与のよい会社へ転職した話や、大学時代の友人が昇格したという話を耳にし、焦燥感が募る。
Aさんは、自分の将来と向き合う時間をつくるため、少しでも負担を減らしたいと考え、業務量や毎月の奨学金返済について人事に相談した。しかし、業務量については上司に直接言うほかなく、社内異動も難しいと告げられたうえ、奨学金についても「自分で借りたのだから、自分で貸付元に相談してほしい」とだけ伝えられた。一人で追い詰められてしまい、実家の母に電話で思わず「東京の大学に行きたい、なんて言わなきゃよかった」と零した。
このままでは生活は変わらないと感じ、転職を決断する。「返済があと15年以上続くと思うと、給料を上げ続けなければならないという焦りがありました。このまま疲弊する毎日を送るのではなく、新しいことに挑戦できて、安心して専門性を高められる環境を選びたいと考えるようになったんです」
現在は、同じIT企業でも福利厚生が整い、土日休みで残業も少ない会社に転職し、システムのカスタマーサポートとしてクライアントの運用支援を行っている。現在の手取りは月26万円ほど。精神的な安定は取り戻したものの、奨学金返済はいまも続いている。
Aさんには、新たな不安も。結婚を考える相手がいるものの、奨学金の話を切り出せずにいるのだ。SNSでみかける「奨学金がある人との結婚は無理」「奨学金のせいで結婚が破談になった」といった投稿が心に刺さっている。
「奨学金があったおかげで大学に進学できましたが、社会に出たあと、さまざまな選択の場面で制約になるとは思っていませんでした。東京では、あまり奨学金を借りたことを言わないようにしています。奨学金を借りても、生活に余裕を持って返していける社会になればいいなと思っています」
酷な環境にある現代の若者たち
Aさんの話は、決して特別なものではない。むしろ、いまの若者が置かれている現実を象徴している。政府主導で企業の賃上げが進んでいるとはいえ、物価上昇には追いつかず、可処分所得は増えていない。個人の努力だけではどうにもならない構造のなかで生きている。
また、大学の学費は40年前と比べ、国立大学で約2.4倍、私立大学で約1.8倍にまで上昇した。親世代の収入が伸び悩むなか、学生の3人に1人が奨学金を利用せざるを得ないのが現状だ。これを単なる「本人の選択」「自己責任」で片付けるのは、あまりに酷である。若者が返済の不安から挑戦を諦め、結婚や出産を躊躇する社会に、明るい未来など描けるはずがない。
近年、この深刻な事態を打破しようとする動きが、民間企業の間で広がっている。若者の置かれている環境や価値観に対応した福利厚生を充実させることで、人材確保や生産性向上につなげる企業も増えている。たとえば、テレワーク環境整備手当、e-learningの導入、ベビーシッター補助、そして奨学金返還支援制度など。これらは単なる福利厚生の枠を超え、若者が安心して働き、将来を描くための土台として考えられている。
ほかにも、2021年に創設された「代理返還制度」を導入する企業は、令和7年9月時点で全国4,154社に達した。税制上の優遇も受けられることから、企業・従業員双方にメリットのある制度といえる。
若者の肩にのしかかる重荷を企業がともに背負うことは、単なる甘やかしではない。彼らが安心して働き、将来を描ける土台を作ることは、日本の持続的な成長を実現するための、極めて現実的な選択なのである。
大野 順也
アクティブアンドカンパニー 代表取締役社長
奨学金バンク創設者
