
元公務員で現在も4,000万円の資産を保有する田中さん(仮名・72歳)は20歳年下の妻と、24歳の娘と3人暮らし。月の家計簿は2万円赤字ですが、30万円近く支払われる年金と貯蓄があるため「老後生活は安泰」と構えていました。ところが試算を行ってみると、妻が受け取る年金支給額の“見落とし”が判明します。さらに追い打ちをかけたのは、田中さん夫妻が「年の差夫婦」であること。現代日本社会において、年の差夫婦が直面した老後のリスクについてみていきましょう。
「優雅な老後」を静かに脅かす、月2万円の赤字
「4,000万円も貯めたんだ。俺が生きている間は、まず問題ない。大丈夫だよ」
田中正治さん(仮名・72歳)は、不安げな表情の妻・陽子さん(仮名・52歳)を安心させるように語りました。元公務員の正治さんの年金は、加給年金(配偶者加算)を含めて月約28万円。住宅ローンも完済し、未就職の長女(24歳)を抱えながらも、一見すれば「勝ち組」の老後です。
しかし、家計の実態は毎月約30万円の支出。年金だけでは足りず、貯金を月2万円ずつ切り崩す生活が始まっていました。「月2万円くらい、誤差の範囲だ」――その油断が、のちに一家を奈落へ突き落とすことになります。
【シミュレーション①現在:正治さん・72歳/陽子さん・52歳】 貯蓄残高:4,000万円 月間収支:28万円(収入)-30万円(支出)=2万円の赤字85歳で訪れる「年金激減」の落とし穴
正治さんが将来の収支を試算したとき、最初の衝撃が走りました。それは、妻が65歳になった瞬間に訪れる「加給年金」の停止という制度の壁です。
「陽子が65歳になった瞬間、俺の年金から『配偶者加算』が消える。そのとき、俺は85歳。月の収入は一気に約28万円から24万7,000円まで落ち込むのか……」
支出が変わらなければ、その時点から毎月の赤字は5万円以上に跳ね上がります。
【シミュレーション②13年後:正治さん・85歳/陽子さん・65歳】 貯蓄残高:4,000万円-312万円(13年間の生活費不足分)=約3,688万円 月間収支:24.7万円(収入)-30万円(支出)=5.3万円の赤字正治さんが長生きすればするほど、頼みの綱である4,000万円の貯蓄は猛スピードで溶けていくのです。
「まさか、長生きすることがこれほどのリスクになるとは」と、正治さんは愕然としました。しかし、本当の地獄は、自分の死後に待ち受けていました。
20歳の年の差…生活費が下がっても残る不安
正治さんは当初「俺がいなくなれば、食費や交際費などの生活費は下がるはずだ」と考えていました。そこで、自分が亡くなった後の陽子さんの生活費を、現在の30万円から「20万円」まで一気に3割以上も削る前提で再計算しました。
しかし、現実は非情でした。
「俺が逝ったあと、陽子が受け取れる遺族年金と彼女自身の基礎年金を合わせても、税金や保険料を引いた手取りは月15万円程度。生活費を20万円まで切り詰めたとしても、毎月5万円の赤字が出る……」
さらに、家計には不確定要素が残っています。同居する24歳の娘がもし自立できなければ、この予算はさらに厳しくなります。加えて、古くなった自宅の修繕費や、陽子さん自身の将来の介護費を考えれば、月20万円という生活は決して「余裕がある」とはいえません。
【シミュレーション③18年後:正治さん・90歳(死亡)/陽子さん・70歳】 貯蓄残高:3,688万円-318万円(5年間の生活費不足分) -1,500万円(夫の介護・葬儀・住宅修繕費)=1,870万円 月間収支:15万円(収入)-20万円(支出)=5万円の赤字30年という「余生」の重圧
「俺が平均寿命の90歳まで生きたとしても、そのとき陽子はまだ70歳。そこから彼女が100歳まで生きるとしたら、あと30年も残っているんだ……」
陽子さんが70歳から100歳まで生きる30年間で、貯蓄は一気に底へ向かいます。そこには「高齢女性の独居」において避けては通れない、最大のリスクが抜け落ちてたのです。
老後にかかる費用が次々と発覚し、正治さんは頭を抱えました。
「平均的な介護費が約600万円と言われても、それは家族がいる場合の話だ。陽子が独りで100歳まで生きて施設に入るなら、1,000万円は見ておかないといけない。この家だって、長く住めばあちこちにガタがくるだろうから、雨漏りや配管の修繕にもお金がかかる……」
【シミュレーション④最終局面:陽子さん・70歳〜100歳】 貯蓄残高:1,870万円-1,800万円(30年間の生活費不足分)-1,000万円(自身の介護・施設入居費)-300万円(住宅維持費)=-約1,230万円 月間収支:15万円(収入)-20万円(支出)=5万円の赤字「陽子、ごめん……。俺は自分の寿命のことばかり考えていた。最大のリスクは俺がいなくなったあと、お前の人生が30年も残ってしまうことだったんだ」
震える声で告白する正治さんの前で、陽子さんは言葉を失い、ただ涙を浮かべることしかできませんでした。
豊かだと思っていた4,000万円の貯蓄は、20年の年の差が生む「時間」の前では、あまりに心もとなかったのです。
長寿社会における「年の差婚」のリスク
厚生労働省が2024年に発表した「令和5年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」によると、厚生年金受給者の平均月額は約14.6万円であり、遺族厚生年金の平均受給額は約8.1万円にとどまるという現状があります。
これは、正治さんのような元公務員で現役時代の報酬が高い層であっても、夫の死後は世帯収入が劇的に減少することを意味しており、特に20歳の年の差がある夫婦にとって「遺族年金と自身の基礎年金」のみで数十年を生き抜くことは、統計的に見て難易度が高いことがわかります。また、日本年金機構の「加給年金・振替加算」の制度解説によると、加給年金(年額約40万円)は配偶者が65歳になると同時に打ち切られるという仕組みがあります。
国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(令和5年推計)」では、女性の2人に1人が90歳まで生存すると予測されており、今回の事例のように「妻が52歳」という若さで70代の夫と生活している場合、夫亡きあとの「資産寿命の枯渇」は、単なる不安ではなく高い確率で発生する構造的なリスクといえるでしょう。
さらに、高額な年金とまとまった貯蓄がある世帯であっても、「加給年金の停止」という制度上の収入減と、「20年以上の年の差」による超長期の遺族生活という時間的リスクが組み合わさった場合、現役時代の感覚に基づいた生活水準の維持は容易に破綻を招きかねません。
老後資金のシミュレーションにおいて、夫の存命期間だけでなく「妻が独りで生きる期間」のインフレや、介護費用までを含めた長期的なキャッシュフロー管理が軽視されている点は、多死社会・長寿社会における大きな課題といえるでしょう。
[参考資料]
厚生労働省「令和5年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況」
国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(令和5年推計)」
日本年金機構「加給年金と振替加算の仕組み」
