
高額な自宅に住んでいる夫婦ほど、離婚時のリスクを見誤りがちです。「いざとなれば家を売ってわければいい」と考えていても、その家が「いつ、誰が買ったものか」によって、受け取れる金額は大きく変わります。本記事ではFPオフィスツクル代表の内田英子氏が、Aさんの事例とともに、離婚時の財産分与の注意点について解説します。※本記事で取り上げている事例は、複数の相談をもとにしたものですが、登場人物や設定などはプライバシーの観点から一部脚色を加えて記事化しています。読者の皆さまに役立つ知識や視点をお届けすることを目的としています。個別事例の具体的な取り扱いは、税理士・弁護士・司法書士など専門家にご相談ください。
定年目前の夫から、突然の離婚通告
都内のタワーマンション。20年前に夫が5,500万円で購入した住まいは、いまや1億円で売れるとも囁かれていました。Aさん(60歳/専業主婦)は、そんな家に住めていることをとても誇らしく思い、「この家がある限り、生活は安泰」そう信じていました。しかし、その安心はある日突然、夫の一言で崩れ落ちることに。
「俺をもう解放してくれ。離婚してほしい」
夫のBさんは63歳。定年退職を目前にした時期でした。
話し合えないまま積み上がった「家計の疲労」
AさんとBさんが結婚したのは約10年前のこと。夫のBさんは堅実で温厚な性格。結婚前、すでに現在住んでいるタワマンを保有しており、金融資産も1,000万円ほど蓄えていました。自身の老後設計も現実的にシミュレーションしているタイプでした。
結婚当初こそ仲睦まじかった2人ですが、時間の経過とともに「お金の使い方」に対する感覚のズレが少しずつ表面化していきました。
Aさんの支出は、本人にとっては“Bさんとの新しい生活にふさわしい出費”でした。再婚という環境の変化もあり、交際費や身だしなみ、趣味の出費が特に増えた時期もあったといいます。Aさんにとっては特別な浪費ではありませんでしたが、Bさんにとっては違って映っていたようです。
Bさんは「定年後に収入が減る」ことを強く意識しており、家計を引き締めながら貯蓄を積み上げたいと考えていたのです。しかし、Aさんとその危機感を共有する機会を持てないまま、時間は過ぎていきました。
Bさんは衝突を避けるため、細かい不満を飲み込みながらやりくりを続けていました。しかし定年が近づくにつれ、「このままでは老後がもたない」という焦りが限界に達したのです。
物価上昇の影響で生活費が膨らむ一方、収入減のタイミングは刻一刻と迫ってくる。積み重なった“家計の疲労”が、Bさんに「今後の生活を立て直したい」と決意させ、離婚を切り出す引き金になりました。
財産分与は1,200万円…夫婦の資産額と「わけるお金」の残酷な差
夫の冷めた態度に離婚に同意したAさん。離婚の話を進めるなかで、Aさんが最もショックを受けたのは、財産分与の現実でした。
「時価1億円前後の家があるのに、なぜ1,200万円なの?」
Aさんの頭の中では、「2人で住んでいる家なのだから、半分くらいは私のものになるのでしょう」という期待がありました。しかし、いまの時価が大きくみえても、離婚で「その半分」がそのまま動くとは限りません。誤解が起きやすいのですが、離婚時に整理されるのは、原則として夫婦が婚姻中に協力して築いた財産に限られます。
一方で、婚姻前から持っていた財産(いわゆる特有財産)は、基本的に分与の対象になりにくいのです。今回のタワマンは、Bさんが婚姻前に購入したものです。個別の状況によって異なりますが、少なくとも「家の価値が高い=半分もらえる」とは直結しません。
さらに、もし住宅ローンが残っていれば、仮に売却するにしても、
・ローン残債
・仲介手数料など売却コスト
・税金(譲渡所得が出る場合)
が差し引かれ、手元に残る金額は目減りします。
そして、仮に婚姻期間中に住宅ローン返済やリフォーム等の“共有の貢献”があったとしても、争点になるのは「時価」ではなく、婚姻期間中に増えた分(あるいは共有財産として認められる部分)です。
離婚前には、単に世帯の資産規模ではなく、“2人でわける資産ベース”でみる必要があります。
※財産分与の結論は個別事情で変わります(名義、取得時期、返済状況、別居の有無等)。法的判断は弁護士等への確認が前提です。離婚後の住まい探しで直面する「買えない」「借りにくい」
離婚後、Aさんはまず家を買うことを考えました。しかし、都内の不動産価格は高騰しており、手元の自己資金では選択肢が限られます。
「なら住宅ローンを」と思っても、60歳・パート勤務の単身では、金融機関の審査ハードルは高いものです。就業実績が乏しければ、返済原資を説明できません。立地を妥協し、築年数を許容しても、Aさんが「これなら」と思える物件はみつかりませんでした。
――買えない。
次にAさんは賃貸へ舵を切りました。しかし、ここでも新たな壁に突き当ります。年齢と保証の壁です。何件も内見を断られ、ようやく入居できたのは、築40年のアパート。浴室は狭く、冬は底冷えがします。タワマンの眺望と静けさは、もうどこにもありません。
気づけば、離婚時に受け取った財産分与は、引っ越し費用や家財の購入、生活費などで思った以上に減っていきました。
「こんなはずじゃなかった」
Aさんは、働くしかありませんでした。Aさんはアパートの薄い壁をみつめながら、震える手で履歴書を書きます。職歴の空白が、Aさんの心に重くのしかかりました。
就労の設計がないと、分与金は“生活費に溶ける”
離婚時にまとまったお金を得ていても、生活費の赤字が続けば数年で大きく減る可能性もあります。生活費は、2人分が1人分になるからといって単純に半分になるわけではありません。たとえば、毎月5万円の不足なら、1年間で60万円、10年では600万円が消えていきます。医療や介護が必要になったときの「万が一」を踏まえると、日々の生活に充てられる金額は思ったよりも少ないのです。
また、年金についても注意が必要です。配偶者が厚生年金もしくは共済年金に加入していた場合、離婚時に年金分割を申請できますが、分割できるのはあくまで婚姻期間の記録のみ。婚姻期間が長いほど、対象となる記録は増えますが、年収によっても金額は変わります。
なお、厚生労働省「令和6年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況」によると、離婚分割により受け取れる年金額は月平均3万3,575円、3号分割のみの場合は女性で月8,317円です。「思ったよりも少なかった」という人は多いです。
離婚後も生活の安定を図るためには、就労と年金をセットで組み立て、家計収支の実態と照らし合わせながら整合性を確認しないと成り立たちません。
離婚前に確認しておきたい「個の生活防衛」チェックリスト、7つ
離婚は感情の問題ですが、思い描いている生活は数字で崩れる可能性があります。離婚協議に入る前のチェックリストとして、以下を参考にしてください。
〇住まいは「婚姻前取得」か「婚姻後取得」か(名義・取得時期)
〇住宅ローン残高の推移(婚姻時点/離婚時点)
〇現預金はいつ形成したものか(婚姻前・婚姻後・相続など)
〇退職金・企業年金(DC含む)の見込みと受け取り方
〇厚生年金の加入状況(年金分割の対象期間)
〇離婚後の住まいの選択肢(買う/借りる/身内の協力)
〇就労の現実性(何歳から、どれくらい、いくら稼ぐか)
離婚は人生の再設計が迫られる大きなインパクトをもつイベントです。感情が先に立つ局面ほど、数字と制度を味方につけて「生活の継続性」を確保することが重要になります。
失ったのは「見通し」だった
Aさんは離婚により失ったのは、「老後も大丈夫」という見通しでした。
離婚の大きなダメージを回収し、“再出発”とするためには、住まいや年金、働き方、ライフプランなどを統合し、1つの設計図として整えることがカギとなります。リタイア前後の離婚は、人生の最後の大きな分岐点となり得るでしょう。だからこそ、個の生活防衛戦略が重要となります。
内田 英子
FPオフィスツクル代表
ファイナンシャルプランナー
